金杉はじめ

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金杉かなすぎ はじめ
生誕 金杉かなすぎ はじめ
1963年
東京都渋谷区
国籍 日本
別名 K杉
K杉一浪
KANASGY
かなピョン
著名な実績 『マネーと国家と僕らの未来』(堀江貴文・茂木健一郎との共著)、廣済堂出版、2014年。
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金杉 はじめ(かなすぎ はじめ)は、連続起業家、音楽・ゲーム・メディアのプロデューサー、クリエイティブ・ディレクター。実業家作詞家音楽家写真家としての経歴を持つ。本名は、金杉 肇(読み同じ)。K杉K杉一浪KANASGYかなピョンなどの別名を使用することもある。

経歴[編集]

起業家、音楽・ゲーム・メディアのプロデューサー、クリエイティブ・ディレクター。学生時代より、クラブカルチャーを背景にしたさまざまな事業に携わり、コンピューターゲームと音楽とのメディアミックスなどを手がける。黎明期のネットラジオ音泉と動画共有ニコニコ動画にも参画。ゲームやアプリ、プラットフォーム構築に関する事業に携わる[1]

20代前半は「第三倉庫」「THE CAVE」などクラブのプロデュースやDJを中心に活動。この頃佐々木潤らと共同で、ヒップホップユニット・Funkie Watergateを結成していた[2]

その後、F&Cの前身にあたる有限会社キララに入社、最初デュプリケーション(フロッピーディスクを複製する作業のこと)といった流通部門に従事[2]、後に開発部門に異動[3]。F&Cのプロデューサーとして、『同窓会~Yesterday ones more~』や『Piaキャロットへようこそ!!』シリーズなどを手がける[注 1]。後に音楽会社DOORS(のちのDOORS MUSIC ENTERTAINMENT)、TYRELL LAB.を立ち上げ、ゲーム制作と音楽制作のプロデュースを手掛けるようになる。

2007年より音楽カテゴリー「A-POP」を提唱し[2]ドワンゴAGエンタテインメント取締役への就任を経て、同社の新レーベル「TeraBytes Records」を立ち上げる[4]F&C企画局局長やグループ会社であるシャルラクプラス代表取締役を歴任した[4]後、2008年6月にF&Cグループの一切の役職を辞して退社・独立し、新ブランド・DIVAを立ち上げる[5]

ドワンゴAGエンタテインメント取締役、タブリエ・コミュニケーションズ取締役、製作集団Division ZERO代表を歴任。2012年には徳川家広らにより設立された政策フォーラム「日本の選択」の事務局長を務め[6]、2013年には堀江貴文茂木健一郎らと共同で株式会社フューチャーラボを設立したほか、2014年には堀江・茂木と共同で音楽ユニット・ハッカーズを結成し、株式会社ベリカを設立した。2015年、アーティストに特化したクラウドファンディング「TAKEOFF」を手掛ける株式会社BitVCを小野真彰(おのなお)と設立した[7][8]

作品[編集]

書籍[編集]

  • 『マネーと国家と僕らの未来』(単行本 – 2014/12/1 堀江貴文、茂木健一郎、金杉肇 共著)

作詞[編集]

メディア[編集]

ゲーム製作[編集]

音楽製作[編集]

スペース[編集]

  • CLUB第三倉庫(富久慧との共同)
  • スヌーカーバー
  • キュアメイド・カフェ(タブリエ

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 制作発売元であるF&Cは、『Piaキャロットへようこそ!!』シリーズについて、第1作目からのシナリオライターであり、後期作品ではプロデューサーとなった稲村竜一(jane稲村)の手がけるシリーズであるとして宣伝していた。金杉のクレジットは作品によってまちまちであり、企画から携わった作品、主として音楽制作に携わった作品のほか、目立ったクレジットのない作品もある。

出典[編集]

  1. ^ 『マネーと国家と僕らの未来』廣済堂出版、2014年12月1日。 
  2. ^ a b c A-POPの提唱者・金杉肇氏インタビュー!”. ファミ通.com (2007年6月22日). 2014年1月10日閲覧。
  3. ^ A-POP提唱者が語る、アキバ系音楽のJ-POP回収システムからの脱却”. アキバ経済新聞 (2008年1月31日). 2014年1月10日閲覧。
  4. ^ a b A-POP(*1)新レーベル「TeraBytes Records(テラバイトレコード)」発足!!”. AnimeFan (2007年10月3日). 2015年4月10日閲覧。
  5. ^ DIVAプロデューサー・金杉肇からのごあいさつ”. DIVA. 2008年12月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月10日閲覧。
  6. ^ ご報告/「日本の選択」発足(我思う故に我あり。、2012年10月28日)
  7. ^ 18歳で会社を作った話。”. おのなお.tokyo. 2015年11月2日閲覧。
  8. ^ 高校を中退し起業を決意。自分で道を切り開いたからこそ得られたこと。”. co-media. 2015年11月2日閲覧。

外部リンク[編集]