西海市立西海東小学校
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西海市立西海東小学校 | |
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北緯33度03分32秒 東経129度42分05秒 / 北緯33.058944度 東経129.7015度座標: 北緯33度03分32秒 東経129度42分05秒 / 北緯33.058944度 東経129.7015度 | |
過去の名称 |
公立下等丹納小学校 簡易丹納小学校 簡易瀬川小学校 尋常瀬川小学校 瀬川尋常小学校 瀬川尋常高等小学校 瀬川村国民学校 瀬川村立瀬川小学校 西海村立瀬川小学校 西海町立瀬川小学校 西海町立東小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 西海市 |
併合学校 |
尋常水浦小学校 尋常横瀬小学校 瀬川尋常高等小学校水浦分教場 瀬川尋常高等小学校川内分教場 |
設立年月日 | 1875年(明治8年) |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B142210001394 |
所在地 | 〒851-3501 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
西海市立西海東小学校(さいかいしりつ さいかいひがししょうがっこう, Saikai City Saikaihigashi Elementary School)は、長崎県西海市西海町丹納(たんのう)郷にある公立小学校。略称「西海東」(さいかいひがし)、「東小」(ひがししょう)。
概要
[編集]- 学校教育目標
- 「豊かな心を持ち、心身ともにたくましく、かしこい子どもの育成」
- 校章
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- 瀬川小学校時代の校章をほとんど継承し、中央の「瀬川」の文字(縦書き)を「東小」の文字(縦書き)に変更しただけである。
- 校歌
- 瀬川小学校時代の1959年(昭和34年)に校歌が制定された。作詞は原口喜久也、作曲は富永博による。歌詞は3番まであり、制定当時は各番に校名の「瀬川小学校」が登場していた。東小学校に改称した1978年(昭和53年)に「瀬川」の部分が「東」に改定された。それ以外は詞と曲は全く同じである。
- 校区
- 住所表記で西海市西海町の後に「川内上(丹納・江里・石田・木場)、川内下(日守・太田原・開田・浜・古里・高地)、水浦(畑下・水浦・小郡)、天久保(第1・第2)、黒口(丸尾・村・上・崎辺・大岳)、中浦(奥野地区の木場郷)」が続く地域。中学校区は西海市立西海中学校。
沿革
[編集]- 前史
- 1870年(明治3年)- 大村藩庁の命により、川内村旧藩庄屋跡の家屋に村学校を設置し、児童の教育を開始。
- 面高(おもだか)・横瀬・川内・大串4村の児童約70~80名を収容。
- 1871年(明治4年)- 廃藩置県により、村学校が廃止される。
- 1872年(明治5年)- 学制の施行により、横瀬小学校が設置される。
- 1874年(明治7年)- 横瀬小学校が廃止される。
- 正史
- 1875年(明治8年)
- 横瀬村の旧庄屋跡に「公立下等横瀬小学校」が設置される。
- 河内村の八幡神社廃社跡(現・西海東小学校校地の一部)に「公立下等丹納郷小学校」が設置される(創立年)。
- 水浦・畑下・小郡に関しては、山頭に「公立下等水浦小学校」が設置される。
- 1886年(明治19年)9月 - 小学校令の施行により、簡易科(3年制)を設置し、「簡易横瀬小学校」・「簡易丹納小学校」・「簡易水浦小学校」に改称。
- 1889年(明治22年)4月 - 町村制の施行により、横瀬村と川内村が合併し「瀬川村」が発足し、丹納小学校を「簡易瀬川小学校」に改称。
- 1890年(明治23年)10月 - 小学校令が改正され、簡易科を廃止し、尋常科(4年制)を設置した上で、丹納小学校が「尋常瀬川小学校」に改称。
- 横瀬小学校と水浦小学校も「尋常横瀬小学校」、「尋常水浦小学校」に改称。
- 1893年(明治26年)4月 - 小学校令の一部改正により、「横瀬尋常小学校」・「瀬川尋常小学校」・「水浦尋常小学校」に改称(「尋常」の位置が変わる)。
- 1896年(明治29年)4月 - 瀬川尋常小学校が高等科を併置し「瀬川尋常高等小学校」(尋常科4年・高等科4年)に改称。
- 1899年(明治32年)- 水浦尋常小学校を統合し、水浦分教場と川内分教場を設置。
- 1905年(明治38年)- 北校舎1棟を増築。
- 1908年(明治41年)4月 - 小学校令の一部改正により、義務教育年限が尋常科4年から尋常科6年に延長されたため、修業年限を尋常科6年・高等科2年に改定。
- 1909年(明治42年)- 横瀬尋常小学校を統合し、横瀬分教場とする。
- 1913年(大正2年)4月8日 - 瀬川農業補習学校を併設。
- 1918年(大正7年)4月 - 併設の農業補習学校に女子部が新設される。
- 1925年(大正14年)4月 - 水浦分教場と川内分教場を廃止し、本校に統合。本校を増築。
- 1926年(大正15年/昭和元年)- 校旗を新調。
- 1929年(昭和4年)- 校舎を増築。第1回奥野ヶ原5村連合体育会を開催。
- 1935年(昭和10年)6月1日 - 青年学校令の施行により、併設の農業補習学校が「瀬川青年学校」に改称。
- 1941年(昭和16年)4月 - 国民学校令の施行により、「瀬川村国民学校」(初等科6年・高等科2年)に改称。
- 1947年(昭和22年)4月 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
- 旧・国民学校の初等科が改組され、「瀬川村立瀬川小学校」(6年制)が発足。横瀬分教場を横瀬分校とする。
- 旧・国民学校の高等科が改組され、「瀬川村立瀬川中学校」(新制中学校,3年制)となり、当面の間小学校に併設される。
- 1948年(昭和23年)
- 3月31日 - 瀬川青年学校が廃止される。
- 12月4日 - 横瀬分校の新校舎が完成。
- 1957年(昭和32年)4月1日 - 瀬川村が西海村に編入され、「西海村立瀬川小学校」に改称。
- 1958年(昭和33年)10月1日 - 横瀬分校が面高小学校面高分校と統合され、西海村立北小学校として独立。
- 1959年(昭和34年)3月20日 - 校歌を制定。
- 1969年(昭和44年)
- 1972年(昭和47年)1月 - 旧役場跡に西海町立学校給食共同調理場が完成し、完全給食を開始。
- 1977年(昭和52年)3月 - 体育館が完成。
- 1978年(昭和53年)4月1日 - 「西海町立東小学校」に改称。これに伴い、校歌・校章の「瀬川」部分を「東」に変更。
- この時学区改定により、西海町立面高小学校区の天久保・黒口地区の児童70名が編入。
- 1993年(平成5年)- 校舎を大幅に改造。
- 2005年(平成17年)4月1日 - 西海市の発足により、「西海市立西海東小学校」(現校名)と改称。
交通アクセス
[編集]- 最寄りのバス停
- 最寄りの道路
周辺
[編集]脚注
[編集]参考資料
[編集]- 「西海町郷土誌」(2005年(平成17年)3月31日(閉町日)発行, 西海町教育委員会)p.540~
- 「西彼杵郡現勢一班」(1926年(昭和元年)12月31日発行, 出版:郡役所廃止記念会)- 国立国会図書館近代デジタルライブラリー p.322(コマ番号172)