西海町 (長崎県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
さいかいちょう
西海町
廃止日 2005年4月1日
廃止理由 新設合併
西彼町大瀬戸町西海町大島町崎戸町 → 西海市
現在の自治体 西海市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 長崎県
西彼杵郡
団体コード 42311-4
面積 67.27km²
総人口 8,860
(2003年)
隣接自治体 西彼町、大瀬戸町
西海町役場
所在地 851-3592
長崎県西海市西海町木場郷2235番地
外部リンク 西海市
特記事項 役場のデータは西海市役所西海総合支所のもの
 表示ノート編集履歴 ウィキプロジェクト

西海町(さいかいちょう)は、1955年から2005年まで長崎県西彼杵半島北部にあった

西彼杵郡に属していたが、2005年4月1日に大瀬戸町・西彼町・大島町・崎戸町と対等合併し、西海市となった。旧役場は西海総合支所となっている。

地理[編集]

五島灘佐世保湾に面する西彼杵半島北部を町域としていた。南西は大瀬戸町、南東は西彼町に隣接し、太田和地区から大島町へ通じる大島大橋が架かる。また佐世保湾に面する北東部は佐世保市佐世保港に繋がる航路があり、横瀬地区には米海軍用地もある。

町域は玄武岩質の溶岩台地からなる。海岸まで丘陵地が迫るが、西彼杵半島の中・南部よりは比較的標高が低く、起伏も少ない。照葉樹林やスギ・ヒノキ林が広がり、集落周辺ではミカン畑をはじめとした農耕地や畜産に利用されている。また面高(おもだか)地区は陸繋島で、砂州の上に集落が立ち並ぶ。

おもな山は白岳(しらたけ : 標高356m)・虚空蔵山(こくぞうざん : 標高307m)、おもな河川は多以良川・柚ノ木川・江川内川・伊佐ノ浦川・面高川・高地川・木場川がある。

地名[編集]

1957年に「面高」「七釜」「川内」「横瀬」の各大字の表示を廃止した。

1889年1955年 1955年~1957年 1957年~2005年
(面高村)天久保郷 面高天久保郷 天久保郷
(面高村)太田和郷 面高太田和郷 太田和郷
(面高村)本郷 面高本郷 面高郷
(面高村)黒口郷 面高黒口郷 黒口郷
(七釜村)中浦北郷 七釜中浦北郷 中浦北郷
(七釜村)中浦南郷 七釜中浦南郷 中浦南郷
(七釜村)本郷 七釜本郷 七釜郷
(瀬川村)川内太田原郷 (瀬川村)川内太田原郷 太田原郷
(瀬川村)川内本郷 (瀬川村)川内本郷 川内郷
(瀬川村)川内木場郷 (瀬川村)川内木場郷 木場郷
(瀬川村)川内丹納郷 (瀬川村)川内丹納郷 丹納郷(たんのう)
(瀬川村)横瀬水浦郷 (瀬川村)横瀬水浦郷 水浦郷
(瀬川村)横瀬本郷 (瀬川村)横瀬本郷 横瀬郷

歴史[編集]

北部の横瀬港は、1562年(永禄5年)に平戸港に次ぐ海外貿易の窓口として開港したが、宗教上の対立から翌年に焼き討ちされた。以後貿易港は福田(長崎市西部の福田地区)へ移り、1570年大村純忠によって長崎港が開港された。横瀬は史跡公園として整備され、港入り口の八ノ子島には当時と同様の白い十字架が復元されている。

近現代[編集]

  • 1889年4月1日 - 町村制度施行により、以下の3村が発足。
    • 面高村(単独村制)
    • 七釜村(単独村制)
    • 瀬川村(川内村と横瀬村が合併)
  • 1955年4月1日 - 面高村と七釜村が対等合併し西海村が発足。
  • 1957年3月31日 - 瀬川村を編入。
  • 1969年1月1日 - 町制施行。西海町となる。
  • 2005年4月1日 - 大瀬戸町・西彼町・大島町・崎戸町と対等合併し、西海市となり自治体として消滅。

教育[編集]

中学校

(西海市発足後は「西海市立西海○中学校」と改称。)

  • 西海町立南中学校[1]
  • 西海町立北中学校[1]
小学校

(西海市発足後は「西海市立西海○小学校」と改称。)

  • 西海町立南小学校
  • 西海町立西小学校
  • 西海町立北小学校
  • 西海町立東小学校

観光[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ a b 市町村合併で「西海市立西海南中学校」と「西海市立西海北中学校」に改称した後、2012年(平成24年)4月に統合され、「西海市立西海中学校」となった。

関連項目[編集]