萩埜
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萩埜 | |
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北緯35度48分47.0秒 東経140度13分30.8秒 / 北緯35.813056度 東経140.225222度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 千葉県 |
市町村 | 印西市 |
地区 | 本埜地区 |
標高 | 5 m |
人口 | |
• 合計 | 51人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
270-2311[2] |
市外局番 | 0476[3] |
ナンバープレート | 習志野 |
※座標・標高は下井機場付近 |
萩埜(はぎの)は、千葉県印西市の大字。郵便番号270-2311[2]。
地理
[編集]北は立埜原、本埜小林、北東は甚兵衛、東は長門屋、南は中、西は行徳、北西は下曽根に隣接している。
小字
[編集]小字は以下の通り[4]。
- 上割(かみわり)
- 中割(なかわり)
- 堤外(ていがい)
- 出津(いでづ)
歴史
[編集]江戸期は松虫新田であり、下総国印旛郡のうち、笠神埜原新田に属する。寛文年間笠神村御立野原を開発、成立した萩原村の持添新田。寛文11年国手形寺請状改綴によれば、入百姓12、出身地は上野国館林領9、武蔵国羽生領3(吉植家文書)。はじめ幕府領、元禄14年から佐倉藩領、享保8年から再び幕府領、天保10年から浜松藩領、弘化2年幕府領となるが同4年から再び浜松藩領。村高は「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに見えず、「旧高旧領」45石余。江戸中・後期は笠神埜原新田10か村組の1つで、天保3年十ヶ村請免状写によれば、畑・埜地から成り反別9町3反余、このほかに延享3年の検地による反高埜畑1町9反余があり、永82文余を納入(吉植家文書)。明治6年千葉県に所属。神社は鳥見神社(印旛郡誌)。明治22年埜原村の大字となる[5]。
年表
[編集]- 1873年(明治6年) - 千葉県に所属。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 埜原村大字萩原新田となる。
- 町村制施行し、下曽根新田、下井新田、松木新田、将監新田、中田切新田、長門屋新田、和泉屋新田、佐野屋新田、甚兵衛新田、中根新田、行徳新田、松虫新田、押付新田、萩原新田、安食卜杭新田の大部分、小林新田、酒直卜杭新田が合併し埜原村が発足。
- 1910年(明治43年) - 埜原村大字萩原となる[5]。
- 松虫新田が改称し、埜原村大字萩原となる。
- 1913年(大正2年)4月1日 - 本埜村萩原となる。
- 2010年(平成22年)3月23日 - 印西市萩埜となる[6]。
世帯数と人口
[編集]2017年(平成29年)10月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
萩埜 | 16世帯 | 51人 |
交通
[編集]道路
[編集]施設
[編集]- 下井機場
- 鳥見長柄神社
脚注
[編集]- ^ a b “印西市の人口と世帯数”. 印西市 (2017年11月2日). 2017年11月13日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年11月13日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年11月13日閲覧。
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 1453頁
- ^ a b 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 682頁
- ^ 合併後の住所表示と郵便番号 - 印西市、2013-12-27閲覧
下曽根 | 立埜原、本埜小林 | 甚兵衛 | ||
行徳 | 長門屋 | |||
萩埜 | ||||
中 |
萩原 | ||||
萩埜(飛び地) | ||||
桜野 |