「フランシス・シーモア=コンウェイ (初代ハートフォード侯爵)」の版間の差分

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*第1子(長男){{仮リンク|フランシス・シーモア=コンウェイ (第2代ハートフォード侯爵)|label=フランシス・シーモア=コンウェイ|en|Francis Seymour-Conway, 2nd Marquess of Hertford}}(1743年 - 1822年) - 第2代ハートフォード侯爵位を継承
*第1子(長男){{仮リンク|フランシス・シーモア=コンウェイ (第2代ハートフォード侯爵)|label=フランシス・シーモア=コンウェイ|en|Francis Seymour-Conway, 2nd Marquess of Hertford}}(1743年 - 1822年) - 第2代ハートフォード侯爵位を継承
*第2子(長女)アン・シーモア=コンウェイ(1744年 - 1784年) - 初代{{仮リンク|ドロヘダ侯爵|en|Marquess of Drogheda}}[[チャールズ・ムーア (初代ドロヘダ侯爵)|チャールズ・ムーア]]と結婚
*第2子(長女)アン・シーモア=コンウェイ(1744年 - 1784年) - 初代[[ドロヘダ侯爵]][[チャールズ・ムーア (初代ドロヘダ侯爵)|チャールズ・ムーア]]と結婚
*第3子(次男){{仮リンク|ヘンリー・シーモア=コンウェイ (1746-1830)|label=ヘンリー・シーモア=コンウェイ|en|Lord Henry Seymour-Conway}}(1746年 - 1830年) - 庶民院議員
*第3子(次男){{仮リンク|ヘンリー・シーモア=コンウェイ (1746-1830)|label=ヘンリー・シーモア=コンウェイ|en|Lord Henry Seymour-Conway}}(1746年 - 1830年) - 庶民院議員
*第4子(次女)サラ・フランセス・シーモア=コンウェイ(1747年 - 1770年) - 初代[[ロンドンデリー侯爵]]{{仮リンク|ロバート・ステュワート (初代ロンドンデリー侯爵)|label=ロバート・ステュワート|en|Robert Stewart, 1st Marquess of Londonderry}}と結婚
*第4子(次女)サラ・フランセス・シーモア=コンウェイ(1747年 - 1770年) - 初代[[ロンドンデリー侯爵]][[ロバート・ステュワート (初代ロンドンデリー侯爵)|ロバート・ステュワート]]と結婚
*第5子(三男){{仮リンク|ロバート・シーモア=コンウェイ|en|Lord Robert Seymour-Conway}}(1748年 - 1831年) - 庶民院議員
*第5子(三男){{仮リンク|ロバート・シーモア=コンウェイ|en|Lord Robert Seymour-Conway}}(1748年 - 1831年) - 庶民院議員
*第6子(三女)ガートルード・シーモア=コンウェイ(1750年 - 1782年) - 第2代{{仮リンク|グラディソン伯爵|en|Earl Grandison}}{{仮リンク|ジョージ・メーソン=ヴィリアーズ (第2代グラディソン伯爵)|label=ジョージ・メーソン=ヴィリアーズ|en|George Mason-Villiers, 2nd Earl Grandison}}と結婚
*第6子(三女)ガートルード・シーモア=コンウェイ(1750年 - 1782年) - 第2代{{仮リンク|グラディソン伯爵|en|Earl Grandison}}[[ジョージ・メーソン=ヴィリアーズ (第2代グラディソン伯爵)|ジョージ・メーソン=ヴィリアーズ]]と結婚
*第7子(四女)フランセス・シーモア=コンウェイ(1751年 - 1820年) - [[リンカン伯]](儀礼称号){{仮リンク|ヘンリー・ペラム=クリントン (リンカン伯爵)|label=ヘンリー・ペラム=クリントン|en|Henry Pelham-Clinton, Earl of Lincoln}}と結婚
*第7子(四女)フランセス・シーモア=コンウェイ(1751年 - 1820年) - [[リンカン伯]](儀礼称号)[[ヘンリー・ペラム=クリントン (1750-1778)|ヘンリー・ペラム=クリントン]]と結婚
*第8子(四男)エドワード・シーモア=コンウェイ(1752年 - 1785年)
*第8子(四男)エドワード・シーモア=コンウェイ(1752年 - 1785年)
*第9子(五女)エリザベス・シーモア=コンウェイ(1754年 - 1825年) - {{仮リンク|ルイージ・ジャッフェーリ|fr|Luiggi Giafferi}}と結婚
*第9子(五女)エリザベス・シーモア=コンウェイ(1754年 - 1825年) - {{仮リンク|ルイージ・ジャッフェーリ|fr|Luiggi Giafferi}}と結婚

2020年12月12日 (土) 10:08時点における版

1785年にジョシュア・レノルズが描いた初代ハートフォード侯

初代ハートフォード侯爵フランシス・シーモア=コンウェイ英語: Francis Seymour-Conway, 1st Marquess of Hertford, KG, PC, PC (Ire), 1718年7月5日 - 1794年6月14日)は、イギリスの貴族、外交官、政治家。

駐フランス大使(在職:1763年 - 1765年)、アイルランド総督(在職:1765年 - 1766年)、宮内長官英語版(在職:1766年 - 1782年)などを歴任した。1732年に父からコンウェイ男爵の爵位を継承し、1750年にはハートフォード伯爵、1793年にはハートフォード侯爵に叙せられた。

経歴

ヒュー・ダグラス・ハミルトンが描いた初代ハートフォード侯

1718年7月5日、初代コンウェイ男爵フランシス・シーモア=コンウェイとその妻シャーロット(旧姓ショーター)の長男として生まれる[1][2]サマセット公爵シーモア家の分流の家柄であった。

イートン校を卒業した[3]1732年2月3日の父の死により第2代コンウェイ男爵位(イングランド貴族爵位)と第2代コンウェイ=キルルター男爵位(アイルランド貴族爵位)を継承した[3][2]

1750年アイルランド王国枢密顧問官英語版(PC (Ire))に列し、同年8月3日にはハートフォード伯爵位とビーチャム子爵位(いずれもグレートブリテン貴族)を与えられた。この2つの爵位は弟ヘンリーへの特別継承権を認めていた[3][2]

1757年ガーター勲章を受勲[3]。1757年から死去までウィリックシャー知事英語版を務め、1763年にはグレートブリテン王国枢密顧問官(PC)に列する[3][2]

1763年から1765年にかけて駐フランス大使を務めた[3][2]。1765年から1766年まではアイルランド総督を務めた[3][2]。ついで1766年から1782年まで宮内長官英語版を務めた[3][2]。その間の1766年9月から11月にかけて主馬頭英語版[3]1775年から1776年にかけてモントゴメリーシャー知事英語版も務めた[3][2]

1793年7月5日にはハートフォード侯爵位とヤーマス伯爵英語版位(いずれもグレートブリテン貴族)を与えられた[3][2]

1794年6月14日に死去した。爵位は長男フランシス英語版が継承した[3][2]

栄典

爵位

1732年2月3日の父の死により以下の爵位を継承[3][2]

1750年8月3日に以下の爵位を新規に与えられる[3][2]

  • 初代ハートフォード伯爵 (1st Earl of Hertford)
    (勅許状によるグレートブリテン貴族爵位。自身の男系男子の他、弟ヘンリーへの特別継承規定あり)
  • 初代ビーチャム子爵 (1st Viscount Beauchamp)
    (勅許状によるグレートブリテン貴族爵位。自身の男系男子の他、弟ヘンリーへの特別継承規定あり)

1793年7月5日に以下の爵位を新規に叙される[3][2]

  • 初代ハートフォード侯爵 (1st Marquess of Hertford)
    (勅許状によるイングランド貴族爵位)
  • ノーフォーク州における初代ヤーマス伯爵英語版 (1st Earl of Yarmouth in the County of Norfolk)
    (勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)

勲章

家族

1741年に第2代グラフトン公爵チャールズ・フィッツロイの娘イザベラ(1726年 - 1782年)と結婚。彼女との間に以下の13子を儲けた[3][2]

脚注

注釈

出典

  1. ^ Lundy, Darryl. “Francis Seymour-Conway, 1st Baron Conway of Ragley” (英語). thepeerage.com. 2016年1月5日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o Heraldic Media Limited. “Hertford, Marquess of (GB, 1793)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年1月5日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q Lundy, Darryl. “Francis Seymour-Conway, 1st Marquess of Hertford” (英語). thepeerage.com. 2016年1月4日閲覧。

外部リンク

外交職
先代
第4代ベッドフォード公爵
在フランス大使
1763年–1765年
次代
第3代リッチモンド公爵
名誉職
先代
初代ブルック伯爵
ウィリックシャー知事英語版
1757年–1794年
次代
第2代ウォリック伯爵英語版
先代
初代クライヴ男爵
モントゴメリーシャー知事英語版
1775年–1776年
次代
第2代パウィス伯爵英語版
公職
先代
第3代ウェイマス子爵
アイルランド総督
1765年–1766年
次代
第2代ブリストル伯爵
先代
第3代ラトランド公爵
主馬頭英語版
1766年
次代
第3代アンカスター=ケスティーヴン公爵
先代
第3代ポートランド公爵
宮内長官英語版
1766年–1782年
次代
第4代マンチェスター公爵
先代
第4代マンチェスター公爵
宮内長官
1783年
次代
第7代ソールズベリー伯爵
グレートブリテンの爵位
爵位創設 初代ハートフォード侯爵
1793年–1794年
次代
フランシス・シーモア=コンウェイ英語版
初代ハートフォード伯爵
1750年–1794年
イングランドの爵位
先代
フランシス・シーモア=コンウェイ
第2代コンウェイ男爵
1732年–1794年
次代
フランシス・シーモア=コンウェイ英語版