ロンドンデリー侯爵

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ロンドンデリー侯爵ヴェーン=テンペスト=ステュワート家の紋章のエスカッシャン部分

ロンドンデリー侯爵英語: Marquess of Londonderry)は、イギリス侯爵位。アイルランド貴族

初代ロンドンデリー伯爵ロバート・ステュワート英語版1816年に叙されたのに始まる。

歴史[編集]

1812年から1822年まで外務大臣を務めた第2代ロンドンデリー侯爵ロバート・ステュワート(襲爵前の儀礼称号カスルリー子爵で知られる)

アイルランド議会の議員を務めたロバート・ステュワート英語版(1739年 – 1821年)は、1789年9月20日にロンドンデリー男爵、1795年10月1日にカスルリー子爵(Viscount Castlereagh)、1796年8月8日にロンドンデリー伯爵(Earl of Londonderry)、1816年3月3日にロンドンデリー侯爵(Marquess of Londonderry)に叙せられた。いずれもアイルランド貴族爵位である。1801年にグレートブリテン王国アイルランド王国が合同し、グレートブリテン及びアイルランド連合王国が成立したが、アイルランド貴族は自動的にイギリス貴族院の議席を得ることはなく、貴族代表議員に選出された者のみが貴族院に議席を得ることになった。彼は1801年から1821年の死去まで貴族代表議員として貴族院に議席を有した[1]

その長男ロバート・ステュワート(1769年 – 1822年)は爵位継承前、カスルリー子爵を儀礼称号として使用していた1812年に外務大臣に就任し、1822年の死去までの長期にわたって務め、ナポレオン戦争後のウィーン体制の構築に貢献した[2]。彼は1822年に自殺したが、その前年に第2代ロンドンデリー侯爵位を継承したばかりだった[3]

2代侯には子供がなく、その異母弟チャールズ・ヴェーン(1778年 – 1854年)が第3代ロンドンデリー侯爵位を継承した。彼はその頃までに軍人としての戦功から連合王国貴族ドニゴール州におけるステュワーツコート=バリーローンのステュワート男爵(Baron Stewart, of Stewart's Court and Ballylawn in the County of Donegal)に叙せられており、また1818年にヴェーン=テンペスト家の女子相続人フランセス・ヴェーン=テンペスト英語版と再婚したのを機に勅許を得てヴェーンと改姓していた[4]。彼はさらにロンドンデリー侯爵位襲爵の翌年の1823年3月28日に後妻フランセスとの間の男子への特別継承を規定した連合王国貴族ダラム州におけるシーハムのシーハム子爵(Viscount Seaham, of Seaham in the County of Durham)とヴェーン伯爵(Earl Vane)に叙せられた[5]

そのため3代侯が死去すると先妻との間の長男フレデリック・ステュワート英語版(1805年 – 1872年)が4代ロンドンデリー侯爵位を継承する一方、後妻との間の長男(全て子供の中の次男)ジョージ・ヴェーン=テンペスト英語版(1821–1884)(彼は1851年に勅許を得てテンペスト姓を加えたヴェーン=テンペストに改姓していた)も第2代ヴェーン伯爵位と第2代シーハム子爵位を継承した[5][6]

4代侯には子供がなかったので4代侯の死後、2代ヴェーン伯ジョージ・ヴェーン=テンペストが5代ロンドンデリー侯爵位も継承している。その子である6代侯チャールズ英語版(1852年 – 1915年)は、1885年に勅許をえてスチュワート姓を復活させてヴェーン=テンペスト=ステュワートに改姓した。彼は保守党の政治家として保守党政権下で教育委員会委員長英語版(在職:1902年 - 1905年)や枢密院議長(在職:1903年 - 1905年)など閣僚職を歴任した[7]

その子である第7代ロンドンデリー侯チャールズ・ヴェーン=テンペスト=ステュワート英語版(1878年 – 1949年)も、保守党の政治家として保守党政権下で建設長官英語版(在職:1928年 - 1929年、1931年)や航空大臣英語版(在職:1931年 - 1935年)や貴族院院内総務(在職:1935年)などの閣僚職を歴任した[8]

現在の当主は、その曽孫にあたる第10代ロンドンデリー侯フレデリック・ヴェーン=テンペスト=ステュワート(1972年 - )である[9]

一族の本邸は北アイルランドダウン州マウント・ステュワート英語版だった。他にイングランドダラムシーハム・ホール英語版ロンドンロンドンデリー・ハウスなどの邸宅を所有した。

現当主の保有爵位[編集]

現在の当主フレデリック・ヴェーン=テンペスト=ステュワートは、以下の爵位を保有する[5]

  • 第10代ロンドンデリー侯爵 (10th Marquess of Londonderry)
    (1816年1月13日の勅許状によるアイルランド貴族爵位)
  • 第10代ロンドンデリー伯爵 (10th Earl of Londonderry)
    (1796年8月8日の勅許状によるアイルランド貴族爵位)
  • 第7代ヴェーン伯爵 (7th Earl Vane)
    (1823年7月8日の勅許状による連合王国貴族爵位)
  • 第10代カスルリー子爵 (10th Viscount Castlereagh)
    (1795年10月1日の勅許状によるアイルランド貴族爵位)
  • ダラム州におけるシーハムの第7代シーハム子爵 (7th Viscount Seaham, of Seaham in the County of Durham)
    (1823年7月8日の勅許状による連合王国貴族爵位)
  • 第10代ロンドンデリー男爵 (10th Baron Londonderry)
    (1789年9月20日の勅許状によるアイルランド貴族爵位)
  • ドニゴール州におけるステュワーツコート=バリーローンの第8代ステュワート男爵 (8th Baron Stewart, of Stewart's Court and Ballylawn in the County of Donegal)
    (1814年7月1日の勅許状による連合王国貴族爵位)

一覧[編集]

ロンドンデリー男爵 (1789年)[編集]

カスルリー子爵 (1795年)[編集]

ロンドンデリー伯 (1796年)[編集]

ロンドンデリー侯 (1816年)[編集]

系譜図[編集]

出典[編集]

  1. ^ Lundy, Darryl. “Robert Stewart, 1st Marquess of Londonderry” (英語). thepeerage.com. 2015年8月4日閲覧。
  2. ^ 佐々木雄太 & 木畑洋一 1999, p. 32-39.
  3. ^ Lundy, Darryl. “Robert Stewart, 2nd Marquess of Londonderry” (英語). thepeerage.com. 2015年8月4日閲覧。
  4. ^ Lundy, Darryl. “Charles William Vane, 3rd Marquess of Londonderry” (英語). thepeerage.com. 2015年8月4日閲覧。
  5. ^ a b c Heraldic Media Limited. “Londonderry, Marquess of (I, 1816)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年3月15日閲覧。
  6. ^ Lundy, Darryl. “George Henry Robert Charles William Vane-Tempest, 5th Marquess of Londonderry” (英語). thepeerage.com. 2015年8月4日閲覧。
  7. ^ Lundy, Darryl. “Charles Stewart Vane-Tempest-Stewart, 6th Marquess of Londonderry” (英語). thepeerage.com. 2015年8月4日閲覧。
  8. ^ Lundy, Darryl. “Charles Stewart Henry Vane-Tempest-Stewart, 7th Marquess of Londonderry” (英語). thepeerage.com. 2015年8月4日閲覧。
  9. ^ Lundy, Darryl. “Frederick Aubrey Vane-Tempest-Stewart, 10th Marquess of Londonderry” (英語). thepeerage.com. 2015年8月4日閲覧。

参考文献[編集]

  • 佐々木雄太木畑洋一『イギリス外交史』有斐閣、1999年。ISBN 978-4641122536