「封印作品」の版間の差分
修正 |
修正 |
||
18行目: | 18行目: | ||
『封印作品の謎2』でとりあげられた『[[キャンディ・キャンディ]]』について、安藤の取材を受けた原作者の水木杏子([[名木田恵子]])は、「『封印』という呼び方は適当ではない」という旨の発言をしている。封印作品という単語の発案者はもしも別人である可能性があったとしても、安藤による流布が効いていることが深く認識された。これは、「封印」という言葉を使うと、誰かが意図的に作品の公開を妨げているとの印象があるが、『キャンディ・キャンディ』に関しては「問題が解決され、再び公開されることを望んでいるから」と述べている。 |
『封印作品の謎2』でとりあげられた『[[キャンディ・キャンディ]]』について、安藤の取材を受けた原作者の水木杏子([[名木田恵子]])は、「『封印』という呼び方は適当ではない」という旨の発言をしている。封印作品という単語の発案者はもしも別人である可能性があったとしても、安藤による流布が効いていることが深く認識された。これは、「封印」という言葉を使うと、誰かが意図的に作品の公開を妨げているとの印象があるが、『キャンディ・キャンディ』に関しては「問題が解決され、再び公開されることを望んでいるから」と述べている。 |
||
[[ヴィルヘルム・ケンプ]]の「Familie Gozzi」、[[アルフレ |
[[ヴィルヘルム・ケンプ]]の「Familie Gozzi」、[[アルフレード・カゼッラ]]の「Il Deserto Tentato」はともに[[ベニート・ムッソリーニ]]政権を賛美するオペラであり、カゼッラに至っては出版社が削除するほどの問題を引き起こしたが、両者は封印をいかなる場においても明言していない。 |
||
原板メディアの不良が発生し再生が困難、または原板自体が紛失した場合については[[1970年代]]後半頃までは記録用のVTRやフィルムの質が低く、また使い回しが多かった為、含めるべきではない。ただし、過去の番組制作者は公的にマスターテープの紛失を理由にしながら、実際には関係者が放映時に家庭用のVTRで収録していたケース<ref group="注釈">[[プリンプリン物語]]</ref>があるなど、意図して使いまわしたのか不可抗力で使いまわしたのかは不明なケースが多くある。 |
原板メディアの不良が発生し再生が困難、または原板自体が紛失した場合については[[1970年代]]後半頃までは記録用のVTRやフィルムの質が低く、また使い回しが多かった為、含めるべきではない。ただし、過去の番組制作者は公的にマスターテープの紛失を理由にしながら、実際には関係者が放映時に家庭用のVTRで収録していたケース<ref group="注釈">[[プリンプリン物語]]</ref>があるなど、意図して使いまわしたのか不可抗力で使いまわしたのかは不明なケースが多くある。 |
2020年3月8日 (日) 10:13時点における版
お願い:安藤健二が『封印作品』として書籍で取り上げているもの以外、作品の記述はおやめください。公開できなくなった表現物は非常に多岐にわたり、それらのリストを恣意的に列挙することは不可能です。(ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません) |
封印作品(ふういんさくひん)は、何らかの事情により公開できなくなった作品を指すルポライターの安藤健二によって広められた造語である。
概要
文学、漫画、アニメ、映画、テレビ番組、歌謡曲その他の作品の中には、製作あるいは公開された後、市場原理による淘汰を除く、「特別な支障」(後述)が生じたため公開・流通がなされなくなった、あるいは「封印」(欠番)の理由を述べないまま公開をストップすることがままあり、背景には「特別な支障」が存在しているのではないかと噂されている作品が多く存在する。
需要の有無や、作品の人気と無関係に公開・流通が止められるため、かえって読者・視聴者の興味を惹き、かつて正規ルートで出回っていた単行本・映像ソフトが中古市場で高値をつけたり、海賊版のビデオ・DVDが出回るなどの闇市場が形成されている事例もある。また、YouTube等の動画投稿サイトにて無断配信されている場合もある。
過去にはインターネットオークションでこのような海賊版も大量に出品されていたが、監視と規制が強化されたため、たとえ非公開の作品であれ著作権を有することに変わりはないため見かけることは少なくなった。
ルポライターの安藤健二は、その範疇に含まれるいくつかの作品について「封印作品(ふういんさくひん。お蔵入りとも)」と称して取材を行い、『封印作品の謎』・『封印作品の謎2』として単行本にまとめた。公開できない表現物についての噂話が市井で飛び交うことがあっても、公式に封印作品という単語が出版物で定義されたのはこれが初めてのことであった。
この出版以降、トラブルを抱えたがために公開・流通に何らかの影響が出た著作物と関連づけて「封印作品」という語は、頻繁に用いられるようになってきている。かつては「お蔵入り[注釈 1]」という単語のほうが多く使われていた。
異論
上記のように便宜的に用いられている語であり、何をもって「封印作品」とみなすのか、なぜ「封印作品」「欠番」としたのか、原作者や制作スタッフも公式の場でその理由を語らないため、必ずしも共通の理解がされているわけでは全くない。典型例は近藤譲の未出版作品で、「これは、未出版作品であって撤回作品ではありません[注釈 2][1]」と本人から正式に回答があった。この種の受け手の勘違いといった問題は、メインカルチャーではないカルチャーでは、コミケで自由に出版できる場を持たない当時には頻繁に発生していた。
『封印作品の謎2』でとりあげられた『キャンディ・キャンディ』について、安藤の取材を受けた原作者の水木杏子(名木田恵子)は、「『封印』という呼び方は適当ではない」という旨の発言をしている。封印作品という単語の発案者はもしも別人である可能性があったとしても、安藤による流布が効いていることが深く認識された。これは、「封印」という言葉を使うと、誰かが意図的に作品の公開を妨げているとの印象があるが、『キャンディ・キャンディ』に関しては「問題が解決され、再び公開されることを望んでいるから」と述べている。
ヴィルヘルム・ケンプの「Familie Gozzi」、アルフレード・カゼッラの「Il Deserto Tentato」はともにベニート・ムッソリーニ政権を賛美するオペラであり、カゼッラに至っては出版社が削除するほどの問題を引き起こしたが、両者は封印をいかなる場においても明言していない。
原板メディアの不良が発生し再生が困難、または原板自体が紛失した場合については1970年代後半頃までは記録用のVTRやフィルムの質が低く、また使い回しが多かった為、含めるべきではない。ただし、過去の番組制作者は公的にマスターテープの紛失を理由にしながら、実際には関係者が放映時に家庭用のVTRで収録していたケース[注釈 3]があるなど、意図して使いまわしたのか不可抗力で使いまわしたのかは不明なケースが多くある。
封印作品の例
以下の作品は、安藤が「封印作品」として著書で取り上げている作品。「※」がついているのは「封印作品」や「欠番」とされた理由と経緯が公式で説明され、また何らかの措置(作品の打ち切り、絶版、制作スタッフによる謝罪、掲載誌の回収など)が執られた作品を示す。
- 一部(欠番回が存在する作品、欠番の理由を明言している作品など)のみの例
参考文献
- 『封印作品の謎』 安藤健二 太田出版 ISBN 4872338871
- 『封印作品の謎2』 安藤健二 太田出版 ISBN 4778310063
関連文献
- 『放送禁止映像大全』 天野ミチヒロ 三才ブックス ISBN 4861990041
- 『封印歌謡大全』 石橋春海 太田出版 ISBN 4861990661
- 『放送禁止歌』 森達也 知恵の森 ISBN 4334782256
- 『封印ゲーム大全』 クランツ(編) アスペクト ISBN 4757213468
- 『封印映像大全』2008年、アスペクト ISBN 9784757214408