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[[1988年]](昭和63年)3月26日、[[参議院]][[予算委員会]]において日本人拉致問題に関する質問をして[[国家公安委員会委員長]][[梶山静六]]から北朝鮮による関与が濃厚とする[[日本国政府|政府]]答弁を初めて引き出す<ref>[http://www.jcp.or.jp/activ/active60-ratimondai/1988-0326.html 参議院予算委員会での橋本敦議員の質問(抜粋)] 日本共産党 2015年5月11日閲覧</ref>(失踪問題を国会で初めて取り上げたのは1980年、[[公明党]]の[[和泉照雄]]。北朝鮮拉致問題を国会で初めて取り上げたのは1988年1月の[[民社党]][[民社党#歴代民社党委員長一覧|中央執行委員長]][[塚本三郎]])。拉致被害者の著書などでもこの答弁を引き出した橋本敦の存在は大きい。[[1997年]]、再び拉致問題を参議院[[法務委員会]]で質問する。[[2002年]]、かつての秘書[[兵本達吉]]から「拉致事件の解明を妨害してきた張本人」だと非難されるが橋本はこれに反論した(後述)。
[[1988年]](昭和63年)3月26日、[[参議院]][[予算委員会]]において日本人拉致問題に関する質問をして[[国家公安委員会委員長]][[梶山静六]]から北朝鮮による関与が濃厚とする[[日本国政府|政府]]答弁を初めて引き出す<ref>[http://www.jcp.or.jp/activ/active60-ratimondai/1988-0326.html 参議院予算委員会での橋本敦議員の質問(抜粋)] 日本共産党 2015年5月11日閲覧</ref>(失踪問題を国会で初めて取り上げたのは1980年、[[公明党]]の[[和泉照雄]]。北朝鮮拉致問題を国会で初めて取り上げたのは1988年1月の[[民社党]][[民社党#歴代中央執行委員長|中央執行委員長]][[塚本三郎]])。拉致被害者の著書などでもこの答弁を引き出した橋本敦の存在は大きい。[[1997年]]、再び拉致問題を参議院[[法務委員会]]で質問する。[[2002年]]、かつての秘書[[兵本達吉]]から「拉致事件の解明を妨害してきた張本人」だと非難されるが橋本はこれに反論した(後述)。


参議院議員として4期24年を勤め上げ、1998年の[[第18回参議院議員通常選挙]]に立候補せず議員生活を終える。引退直後に参議院から永年在職表彰を受けた。現在は[[大阪府]]在住で、北大阪総合法律事務所にて弁護士活動をしている。
参議院議員として4期24年を勤め上げ、1998年の[[第18回参議院議員通常選挙]]に立候補せず議員生活を終える。引退直後に参議院から永年在職表彰を受けた。現在は[[大阪府]]在住で、北大阪総合法律事務所にて弁護士活動をしている。

2015年11月8日 (日) 13:12時点における版

橋本敦
はしもと あつし
生年月日 (1928-08-23) 1928年8月23日(95歳)
出生地 大阪府
出身校 京都大学
現職 弁護士
所属政党 日本共産党
称号 参議院永年在職議員
党永年党員

選挙区 大阪府選挙区比例区
当選回数 4回
在任期間 1974年7月8日 - 1998年7月25日
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橋本 敦(はしもと あつし、1928年(昭和3年)8月23日 - )は、日本政治家弁護士日本共産党所属の元参議院議員自由法曹団所属。

概要

大阪に生まれた。1951年京都大学法学部を卒業。1957年より弁護士を開業する。1974年大阪市長選挙に日本共産党推薦で出馬するも、現職の大島靖に敗れ落選。同年の参院選大阪府選挙区で立候補し初当選、以後1時期の落選を挟んで当選4回。

ロッキード事件の調査のために訪米し、共産党国会議員団の代表として疑獄事件追及に関わる。

1987年大韓航空機爆破事件を受けて北朝鮮の拉致に疑惑を感じ、調査を始める。

1988年(昭和63年)3月26日、参議院予算委員会において日本人拉致問題に関する質問をして国家公安委員会委員長梶山静六から北朝鮮による関与が濃厚とする政府答弁を初めて引き出す[1](失踪問題を国会で初めて取り上げたのは1980年、公明党和泉照雄。北朝鮮拉致問題を国会で初めて取り上げたのは1988年1月の民社党中央執行委員長塚本三郎)。拉致被害者の著書などでもこの答弁を引き出した橋本敦の存在は大きい。1997年、再び拉致問題を参議院法務委員会で質問する。2002年、かつての秘書兵本達吉から「拉致事件の解明を妨害してきた張本人」だと非難されるが橋本はこれに反論した(後述)。

参議院議員として4期24年を勤め上げ、1998年の第18回参議院議員通常選挙に立候補せず議員生活を終える。引退直後に参議院から永年在職表彰を受けた。現在は大阪府在住で、北大阪総合法律事務所にて弁護士活動をしている。

兵本達吉による告発の主な内容とそれに対する橋本の反論

  • 兵本は、「私を除名したのは拉致問題解明の妨害」と主張している。橋本は、「98年3月の時点で兵本は定年だった。兵本をやめさせたいのであればそこでやめさせればよかっただけの話だ。しかし私は定年延長の手続きをしている。除名の原因は5月に彼が、警視庁警備公安警察官に自分の採用を事実上依頼する対応をしたことである」と反論している。
  • 兵本は、「私が拉致の解明のために出張をしようとすると橋本にとめられた事があった」と主張している。橋本は、「その件は党議員団が行うべき調査活動というようなものではなかったので止めただけで、拉致解明を妨害する意図などない」と反論している。
  • 兵本は、「橋本の質問内容はほとんど私が書いたもので、橋本はそれを読み上げただけ」と主張している。橋本は、「拉致問題を取り上げようと言ったのは自分であるし、原稿も秘書の資料を踏まえて私が書いたもの」と反論している。

脚注

  1. ^ 参議院予算委員会での橋本敦議員の質問(抜粋) 日本共産党 2015年5月11日閲覧

関連項目

議会
先代
西山登紀子
日本の旗 参議院懲罰委員長
2001年
次代
吉岡吉典