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[[ソビエト連邦共産党]]による[[一党独裁制]]が60年以上も続いたことにより、硬直した政府を立て直すため、[[1985年]]に共産党書記長に就任した[[ミハイル・ゴルバチョフ]]が提唱・実践した。あわせて進められた[[グラスノスチ]](情報公開)とともに、ソビエト連邦の政治を民主的な方向に改良していった。
[[ソビエト連邦共産党]]による[[一党独裁制]]が60年以上も続いたことにより、硬直した政府を立て直すため、[[1985年]]に共産党書記長に就任した[[ミハイル・ゴルバチョフ]]が提唱・実践した。あわせて進められた[[グラスノスチ]](情報公開)とともに、ソビエト連邦の政治を民主的な方向に改良していった。


[[1987年]]のロシア革命70周年記念の軍事パレードの際、ロシア語で「民主主義、平和、ペレストロイカ、加速」と書かれた大きな立て看板が[[グム]]に立てかけられ、テレビ中継でアナウンサーが読み上げた<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=LrKQbbYkY5k Soviet October Revolution Parade, 1987 Парад 7 ноября]YouTube(17分40秒あたり)</ref>。以降、ソ連国内に広く浸透していった。
[[1987年]]のロシア革命70周年記念の[[軍事パレード]]の際、ロシア語で「民主主義、平和、ペレストロイカ、加速」と書かれた大きな立て看板が[[グム]]に立てかけられ、テレビ中継でアナウンサーが読み上げた<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=LrKQbbYkY5k Soviet October Revolution Parade, 1987 Парад 7 ноября]YouTube(17分40秒あたり)</ref>。以降、ソ連国内に広く浸透していった。


ゴルバチョフは、[[社会主義]]体制の枠内での改革を志向したが、高まる[[国民]]の不満を背景に、社会主義体制そのものの放棄と、連邦制の崩壊につながった。
ゴルバチョフは、[[社会主義]]体制の枠内での改革を志向したが、高まる[[国民]]の不満を背景に、社会主義体制そのものの放棄と、連邦制の崩壊につながった。
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[[コーカサス]]ではカタストロイカと呼ばれる。民族意識が高揚し、この地域でも民族対立が表面化した。現在(2000年代初頭)でも完全な解決に至っていない<ref name="hirose">廣瀬陽子「ペレストロイカからカタストロイカへ」/ 北川誠一・前田弘毅・廣瀬陽子・吉村貴之編著『コーカサスを知るための60章』明石書店 2006年 132ページ</ref>。
[[コーカサス]]ではカタストロイカと呼ばれる。民族意識が高揚し、この地域でも民族対立が表面化した。現在(2000年代初頭)でも完全な解決に至っていない<ref name="hirose">廣瀬陽子「ペレストロイカからカタストロイカへ」/ 北川誠一・前田弘毅・廣瀬陽子・吉村貴之編著『コーカサスを知るための60章』明石書店 2006年 132ページ</ref>。


まず、1987年半ばから[[アゼルバイジャン]]内でナゴルノ・カラフ紛争が起こっている<ref name="hirose" />。
まず、1987年半ばから[[アゼルバイジャン]]内で[[ナゴルノ・カラフ紛争]]が起こっている<ref name="hirose" />。


== 脚注 ==
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== 関連項目 ==
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* [[改革開放]]
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2015年7月4日 (土) 00:43時点における版

ペレストロイカロシア語перестройкаラテン文字転写:Perestroika)とは、1980年代後半からソビエト連邦で進められた政治体制の改革運動。ロシア語で「再構築(改革)」を意味する(“пере”〔ペレ〕は「再び」を意味する接頭辞、“стройка”〔ストロイカ〕は「構築」「建設」を意味する単語)。

ソビエト連邦共産党による一党独裁制が60年以上も続いたことにより、硬直した政府を立て直すため、1985年に共産党書記長に就任したミハイル・ゴルバチョフが提唱・実践した。あわせて進められたグラスノスチ(情報公開)とともに、ソビエト連邦の政治を民主的な方向に改良していった。

1987年のロシア革命70周年記念の軍事パレードの際、ロシア語で「民主主義、平和、ペレストロイカ、加速」と書かれた大きな立て看板がグムに立てかけられ、テレビ中継でアナウンサーが読み上げた[1]。以降、ソ連国内に広く浸透していった。

ゴルバチョフは、社会主義体制の枠内での改革を志向したが、高まる国民の不満を背景に、社会主義体制そのものの放棄と、連邦制の崩壊につながった。 現在では、共産圏民主化を進めるとともに冷戦を終結させた政策として、主に旧ソ連以外の各国で高く評価されている。

英語圏の国では「リストラクチャリング」(restructuring)や「リコンストラクション」(reconstruction)と訳され、1980年代後半のイギリスサッチャー政権やアメリカ合衆国レーガン政権で行われた行財政改革・産業構造の転換政策あるいは民間企業の組織再編成などを指して使われた。これは、日本1990年代後半頃から使用されている「リストラ」の語源となった単語である。

コーカサスではカタストロイカと呼ばれる。民族意識が高揚し、この地域でも民族対立が表面化した。現在(2000年代初頭)でも完全な解決に至っていない[2]

まず、1987年半ばからアゼルバイジャン内でナゴルノ・カラバフ紛争が起こっている[2]

脚注

  1. ^ Soviet October Revolution Parade, 1987 Парад 7 ноябряYouTube(17分40秒あたり)
  2. ^ a b 廣瀬陽子「ペレストロイカからカタストロイカへ」/ 北川誠一・前田弘毅・廣瀬陽子・吉村貴之編著『コーカサスを知るための60章』明石書店 2006年 132ページ

関連項目

「ペレストロイカ - それは大衆の活発で独創的な生産活動の支えである」
1988年に発行された切手
1988年に発行された切手