「アゾレス諸島」の版間の差分

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== 概要 ==
== 概要 ==
ポルトガル沖約1000kmの大西洋上に浮かぶ。[[1427年]]に発見された。[[リスボン]]から約1500km、[[北アメリカ]]の東端から3900kmの位置にある。[[火山]]が起源で、九つの島からなる。[[ピコ島]]の火山[[ピコ山]]は標高2351mでアソーレスのみならずポルトガルの最高地点である。
ポルトガル沖約1000kmの大西洋上に浮かぶ。[[1427年]]に発見された。[[リスボン]]から約1500km、[[北アメリカ]]の東端から3900kmの位置にある。[[火山]]が起源で、九つの島からなる。[[ピコ島]]の火山[[ピコ山]]は標高2351mでアレス諸島のみならずポルトガルの最高地点である。


[[捕鯨]]および[[遠洋漁業]]の基地としても使われたほか、現在は温暖な気候から保養地として人気がある。
[[捕鯨]]および[[遠洋漁業]]の基地としても使われたほか、現在は温暖な気候から保養地として人気がある。
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[[1583年]]、[[スペイン君主一覧|スペイン王]][[フェリペ2世 (スペイン王)|フェリペ2世]]が[[ポルトガル君主一覧|ポルトガル王]]としてフランス人商人を排除するためにアゾレス諸島に船団を派遣した。アゾレス諸島は、ポルトガル領の中で最後まで[[ハプスブルク家|ハプスブルク朝]]の[[スペイン王]][[フェリペ2世 (スペイン王)|フェリペ2世]]のポルトガル支配に抵抗した土地となった。
[[1583年]]、[[スペイン君主一覧|スペイン王]][[フェリペ2世 (スペイン王)|フェリペ2世]]が[[ポルトガル君主一覧|ポルトガル王]]としてフランス人商人を排除するためにアゾレス諸島に船団を派遣した。アゾレス諸島は、ポルトガル領の中で最後まで[[ハプスブルク家|ハプスブルク朝]]の[[スペイン王]][[フェリペ2世 (スペイン王)|フェリペ2世]]のポルトガル支配に抵抗した土地となった。


[[1820年]]からの内戦では、アソーレス諸島は[[自由主義]]派の拠点となり、[[テルセイラ島]]に[[マリア2世]]の宮廷が置かれた。
[[1820年]]からの内戦では、アレス諸島は[[自由主義]]派の拠点となり、[[テルセイラ島]]に[[マリア2世]]の宮廷が置かれた。


[[第二次世界大戦]]中、[[エスタド・ノヴォ|ポルトガル]]は一貫して[[中立国]]であったが、[[イギリス]]との[[英葡永久同盟]]や[[アメリカ合衆国|アメリカ]]からの政治的圧力があったために、事実上島は[[連合国 (第二次世界大戦)|連合軍]]の基地として使用された。
[[第二次世界大戦]]中、[[エスタド・ノヴォ|ポルトガル]]は一貫して[[中立国]]であったが、[[イギリス]]との[[英葡永久同盟]]や[[アメリカ合衆国|アメリカ]]からの政治的圧力があったために、事実上島は[[連合国 (第二次世界大戦)|連合軍]]の基地として使用された。


[[1976年]]以降、アソーレス諸島全体は自治権をもつ1つの行政区({{Lang-pt-short|Região Autónoma dos Açores}})となっている。アソーレス地域圏の首府と行政府はサンミゲル島の[[ポンタ・デルガダ]]、議会はファイアル島の[[オルタ]]、司法上の中心はテルセイラ島の[[アングラ・ド・エロイズモ]]におかれる。
[[1976年]]以降、アレス諸島全体は自治権をもつ1つの行政区({{Lang-pt-short|Região Autónoma dos Açores}})となっている。アレス地域圏の首府と行政府はサンミゲル島の[[ポンタ・デルガダ]]、議会はファイアル島の[[オルタ]]、司法上の中心はテルセイラ島の[[アングラ・ド・エロイズモ]]におかれる。


== 地理 ==
== 地理 ==
[[File:Azoren (14).jpg|thumb|250px|[[ピコ島]]の成層火山ピコ山の風景]]
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[[リスボン]]のほぼ西に位置する。主要な島は九つ。総面積は2355km{{sup|2}}である。気候は一年を通じて温暖である。アレス諸島は、[[大西洋中央海嶺]]と[[ホットスポット (地学)|ホットスポット]]が重複した位置にあり、基本的には、火山島である。


ソーレス諸島の島は、3つに大別される。
レス諸島の島は、3つに大別される。
* 東部({{lang-pt-short|Grupo Oriental}}):[[サンミゲル島]]('''{{lang-pt-short|São Miguel}}''')、[[サンタマリア島]]、[[フォルミガス島]]。
* 東部({{lang-pt-short|Grupo Oriental}}):[[サンミゲル島]]('''{{lang-pt-short|São Miguel}}''')、[[サンタマリア島]]、[[フォルミガス島]]。
* 中部({{lang-pt-short|Grupo Central}}):[[テルセイラ島]]('''{{lang-pt-short|Terceira}}''')、[[サンジョルジェ島]]、[[ピコ島]]('''{{lang-pt-short|Pico}}''')、[[ファイアル島]]、[[グラシオーザ島]]。
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== 交通 ==
== 交通 ==
[[リスボン]]および[[ポルト]]とサンミゲル島の[[ポンタ・デルガダ]]の間に[[SATA International]]の定期便が就航するほか、[[ヨーロッパ]]の主要都市との間にも定期便が運航されている。[[ポンタ・デルガダ空港]]からアソーレス諸島各島に航空便がある。
[[リスボン]]および[[ポルト]]とサンミゲル島の[[ポンタ・デルガダ]]の間に[[SATA International]]の定期便が就航するほか、[[ヨーロッパ]]の主要都市との間にも定期便が運航されている。[[ポンタ・デルガダ空港]]からアレス諸島各島に航空便がある。


また、ポルトガル本土の主な港との間に[[フェリー]]などの定期船も運航されているほか、観光客を乗せたクルーズ客船も頻繁に運航されている。
また、ポルトガル本土の主な港との間に[[フェリー]]などの定期船も運航されているほか、観光客を乗せたクルーズ客船も頻繁に運航されている。

2014年8月17日 (日) 04:26時点における版

アゾレス自治地域
Região Autónoma dos Açores
アゾレス諸島の旗 アゾレス諸島の紋章
地域の旗 地域の紋章
地域の標語:不明
地域の歌:アゾレスの歌
アゾレス諸島の位置
公用語 ポルトガル語
主都 ポンタ・デルガダ
最大の都市 ポンタ・デルガダ
政府
元首等 Vasco Cordeiro
首相等 不明
面積
総計 2,333km2N/A
水面積率 不明
人口
総計(xxxx年 241,763人(N/A
人口密度 104人/km2
自治化1976年
通貨 ユーロEUR
時間帯 UTC-1 (DST:±0)
ISO 3166-1 不明
ccTLD .pt
国際電話番号 351

アゾレス諸島は、大西洋の中央部(マカロネシア)に位置するポルトガル領の群島。諸島全体は自治権を持ち、一つの行政区でもある。島名の発音はポルトガル語ではアソーレス(Açores)となる。

概要

ポルトガル沖約1000kmの大西洋上に浮かぶ。1427年に発見された。リスボンから約1500km、北アメリカの東端から3900kmの位置にある。火山が起源で、九つの島からなる。ピコ島の火山ピコ山は標高2351mでアゾレス諸島のみならずポルトガルの最高地点である。

捕鯨および遠洋漁業の基地としても使われたほか、現在は温暖な気候から保養地として人気がある。

歴史

1427年ポルトガル人ディエゴ・デ・シルベスによって「発見」された[1]マルティン・ベハイムによれば、1431年エンリケ航海王子の配下の船長のひとりによって発見されたという。その地理上の位置から、発見当時は新大陸への重要な航海基地となった。1439年以降植民地化が進むが、初期はポルトガルからの移住者を中心とするものの、各国から移住者があった。

1583年スペイン王フェリペ2世ポルトガル王としてフランス人商人を排除するためにアゾレス諸島に船団を派遣した。アゾレス諸島は、ポルトガル領の中で最後までハプスブルク朝スペイン王フェリペ2世のポルトガル支配に抵抗した土地となった。

1820年からの内戦では、アゾレス諸島は自由主義派の拠点となり、テルセイラ島マリア2世の宮廷が置かれた。

第二次世界大戦中、ポルトガルは一貫して中立国であったが、イギリスとの英葡永久同盟アメリカからの政治的圧力があったために、事実上島は連合軍の基地として使用された。

1976年以降、アゾレス諸島全体は自治権をもつ1つの行政区(: Região Autónoma dos Açores)となっている。アゾレス地域圏の首府と行政府はサンミゲル島のポンタ・デルガダ、議会はファイアル島のオルタ、司法上の中心はテルセイラ島のアングラ・ド・エロイズモにおかれる。

地理

ピコ島の成層火山ピコ山の風景
アゾレス諸島の各島(サイズ別)
島名 面積
(km2
サンミゲル島 759
ピコ島 446
テルセイラ島 403
サンジョルジェ島 246
ファイアル島 173
フローレス島 143
サンタマリア島 97
グラシオーザ島 62
コルヴォ島 17

リスボンのほぼ西に位置する。主要な島は九つ。総面積は2355km2である。気候は一年を通じて温暖である。アゾレス諸島は、大西洋中央海嶺ホットスポットが重複した位置にあり、基本的には、火山島である。

アゾレス諸島の島は、3つに大別される。

最大の島はサンミゲル島、最小の島はコルヴォ島である。

また、西経25度~31度という位置にあることから、ポルトガル本土やマデイラ諸島よりも1時間遅いUTC-1(夏時間の際にはUTC+0)を標準時として採用している(スペイン本土とカナリア諸島の関係に似ているが、スペインよりも1時間遅れている)。

交通

リスボンおよびポルトとサンミゲル島のポンタ・デルガダの間にSATA Internationalの定期便が就航するほか、ヨーロッパの主要都市との間にも定期便が運航されている。ポンタ・デルガダ空港からアゾレス諸島各島に航空便がある。

また、ポルトガル本土の主な港との間にフェリーなどの定期船も運航されているほか、観光客を乗せたクルーズ客船も頻繁に運航されている。

住民

人口は全島を合わせて24万人強で、その半分以上がサンミゲル島に住む。2002年12月31日の統計では、全島の人口は23万8767人、人口密度は106人/km2である。全人口の95%がローマ・カトリック信者である。

文化

テルセイラ島のアングラ・ド・エロイズモ。世界遺産に登録されている

諸島内には16世紀から18世紀にかけた建築物が随所に残る。テルセイラ島のアングラ・ド・エロイズモの市街と、ピコ島ワイン畑の景観がユネスコ世界遺産に登録されている。

出身者には、2002年2006年FIFAワールドカップに、アソーレス諸島から初のポルトガル代表選手として出場したペドロ・パウレタがいる。また、非公式ながらサッカーアゾレス諸島代表というナショナル選抜チームも存在する(しかし、1998年以降活動していない)。

世界遺産

脚注

  1. ^ Microsoft® Encarta® Encyclopedia 2005.

関連項目

外部リンク