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* 3代 - フランソワ・ボンヌ<ref>フランソワ・ボンヌ(François Bonne)<br />[[1855年]]5月25日フランスのシャンベリー教区にて誕生。同地はアルプス山脈西麓の交通の要衝で、かつて[[1232年]]から[[1562年]]までサボイア公国の首府であった。パリ外国宣教会に入り、[[1879年]]司祭に叙階され、同年宣教師として日本に派遣された。はじめ、天草に赴任し[[1882年]]長崎神学校校長に就任し自ら神学・哲学を講義した。[[1910年]]東京大司教区に転じ東京大司教に就任。[[1912年]]1月11日東京において死去。</ref>(パリ外国宣教会)1910~1912年 |
* 3代 - フランソワ・ボンヌ<ref>フランソワ・ボンヌ(François Bonne)<br />[[1855年]]5月25日フランスのシャンベリー教区にて誕生。同地はアルプス山脈西麓の交通の要衝で、かつて[[1232年]]から[[1562年]]までサボイア公国の首府であった。パリ外国宣教会に入り、[[1879年]]司祭に叙階され、同年宣教師として日本に派遣された。はじめ、天草に赴任し[[1882年]]長崎神学校校長に就任し自ら神学・哲学を講義した。[[1910年]]東京大司教区に転じ東京大司教に就任。[[1912年]]1月11日東京において死去。</ref>(パリ外国宣教会)1910~1912年 |
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* 4代 - [[ジャン・ピエール・レイ]](パリ外国宣教会)1912~1927年 |
* 4代 - [[ジャン・ピエール・レイ]](パリ外国宣教会)1912~1927年 |
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* 5代 - [[ジャン・アレキシス・シャンボン]](パリ外国宣教会)1927~1937年 |
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* 5代 - ジャン・アレキシス・シャンボン<ref>ジャン・アレキシス・シャンボン(Jean-Baptiste-Alexis Chambon)<br />[[1875年]]3月17日フランスのヴァロル・ヴィル(クレルモン司教区)にて誕生。[[1898年]]パリ外国宣教会に入会し、翌年司祭に叙階。宣教師として日本に派遣された。函館に赴任し、のち仙台に転じ仙台神学校校長に挙げられたが第一次世界大戦が勃発、召集をうけて帰国した。終戦後、再び来日をはたし東京大司教に就任。邦人司祭の育成に尽力、東京大神学校を設立した。[[1937年]]東京を離れ初代横浜司教に着任したが[[1940年]]引退した。[[1948年]]2月に発病し、同年9月8日入院先の横浜ジェネラル・ホスピタルにて死去。</ref>(パリ外国宣教会)1927~1937年 |
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* 6代 - ペトロ [[土井辰雄]] 1937~1970年 |
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* 7代 - ペトロ [[白柳誠一]] 1970~2000年 |
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2013年11月13日 (水) 05:04時点における版
カトリック東京大司教区(カトリックとうきょうだいしきょうく、英: Roman Catholic Archdiocese of Tokyo)は、東京都および千葉県を管轄区域とするカトリック教会の司教区。司教座聖堂は関口教会。日本では信者数が最も多い教区で、大司教が管理する大司教区である。
司教座聖堂
- 大司教座 - 関口教会(東京カテドラル聖マリア大聖堂)
沿革
- 1846年(弘化3年)- 日本使徒座代理区が設立。パリ外国宣教会に委託される。
- 1876年(明治9年)5月22日 - 日本使徒座代理区を日本北緯使徒座代理区、日本南緯使徒座代理区の2区に分割。日本北緯使徒座代理区は横浜に司教座を置き、北海道、東北、関東および中部の各地方を管轄区域とした。
- 1877年(明治10年)7月 - 司教座を横浜から築地教会へ移す。
- 1891年(明治24年)4月17日 - 北海道と東北地方を分離し、函館使徒座代理区となる。
- 1891年(明治24年)6月15日 - 日本使徒座代理区を東京大司教区とし、大司教区に昇格。
- 1912年(大正元年)8月13日 - 富山、石川、福井の3県を新設の新潟使徒座知牧区に委譲。
- 1920年(大正9年)- 司教座を築地教会から関口教会へ移す。
- 1922年(大正11年)2月18日 - 愛知、岐阜の2県を新設の名古屋使徒座知牧区に委譲。
- 1937年(昭和12年)11月9日 - パリ外国宣教会の手を離れて邦人教区となり、東京都と千葉県以外の地域は新設の横浜教区に委譲。
- 1945年(昭和20年)5月25日 - 関口教会の司教座聖堂が戦災のために焼失。神田教会が仮の司教座聖堂となる。
- 1964年(昭和39年)11月9日 - 現在の東京カテドラル聖マリア大聖堂が完成。
歴代司教(教区長)
- 初代 - ピエール・マリー・オズーフ(パリ外国宣教会)1891~1906年
- 2代 - ピエール・ザヴィーエ・ムガブル[1](パリ外国宣教会)1906~1910年
- 3代 - フランソワ・ボンヌ[2](パリ外国宣教会)1910~1912年
- 4代 - ジャン・ピエール・レイ(パリ外国宣教会)1912~1927年
- 5代 - ジャン・アレキシス・シャンボン(パリ外国宣教会)1927~1937年
- 6代 - ペトロ 土井辰雄 1937~1970年
- 7代 - ペトロ 白柳誠一 1970~2000年
- 8代 - ペトロ 岡田武夫 2000年~現在
現況
- 信者数
- 信徒数:94,040人(人口あたりの信徒率:0.501%)
- 信者数[4]:96,146人
- 教会数
- 小教区:75
- 準小教区:3
- 集会所:2
教区の教会
(50音順)
あか |
さ
た
|
な
はま
ら |
所在地・交通アクセス
〒112-0014 東京都文京区関口3-16-15(北緯35度42分50.9秒 東経139度43分33.7秒)
脚注
- ^ ピエール・ザヴィーエ・ムガブル(Pierre-Xavier Mugabure)
1850年1月1日フランスのバスク地方ゲタリーにて誕生。1874年に司祭に叙階。1902年東京大司教区補佐司教に任命され、1906年東京大司教に就任。聖堂の新設、出版物の刊行に力を注ぐ。1910年5月27日、故郷のバスク地方ゲタリーにおいて死去。 - ^ フランソワ・ボンヌ(François Bonne)
1855年5月25日フランスのシャンベリー教区にて誕生。同地はアルプス山脈西麓の交通の要衝で、かつて1232年から1562年までサボイア公国の首府であった。パリ外国宣教会に入り、1879年司祭に叙階され、同年宣教師として日本に派遣された。はじめ、天草に赴任し1882年長崎神学校校長に就任し自ら神学・哲学を講義した。1910年東京大司教区に転じ東京大司教に就任。1912年1月11日東京において死去。 - ^ カトリック中央協議会「カトリック教会現勢2010年」(pdf)
- ^ 信者数=信徒数(一般信者)に司祭・修道者・神学生などの人数を加えた数
関連項目
参考文献
- 一粒の麦 東京教区創立100周年記念誌(1991年)