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1981年、モトリー・クルーの初代ヴォーカリストとしてデビュー。
1981年、モトリー・クルーの初代ヴォーカリストとしてデビュー。


新曲を含むベスト・アルバム『デケイド・オブ・デカダンス』(1991年)を最後に、モトリー・クルーを一度脱退。1992年、映画『Encino Man(邦題:原始のマン)』に、[[ダム・ヤンキース]]のジャック・ブレイズとトミー・ショウと共作した楽曲「You're Invited (But Your Friend Can't Come)」を提供してソロ・デビュー。2のソロ・アルバムを発表した後、1997年にモトリー・クルーに復帰。
新曲を含むベスト・アルバム『デケイド・オブ・デカダンス』(1991年)を最後に、モトリー・クルーを一度脱退。1992年、映画『Encino Man(邦題:原始のマン)』に、[[ダム・ヤンキース]]のジャック・ブレイズとトミー・ショウと共作した楽曲「You're Invited (But Your Friend Can't Come)」を提供してソロ・デビュー。2のソロ・アルバムを発表した後、1997年にモトリー・クルーに復帰。


モトリー・クルー復帰後もソロ・ツアーは続けている。
モトリー・クルー復帰後もソロ・ツアーは続けている。


かつてはかなり破天荒な問題児として、ロックシーンにその悪名を轟かせた。
かつてはかなり破天荒な問題児として、ロックシーンにその悪名を轟かせた。
今までに何度もバンドを脱退(実質的にはクビ)しがらも舞い戻っている。その理由は、彼のパワフルかつ秀逸なボーカル特にその独特の声色―が唯一無二のものであり、モトリー・クルーのイメージを決定けているからであり、ライブでも数多くの伝説的なパフォーマンスを残している。
過去に何度もバンドを実質的にはクビなっている。しかし、彼のパワフルかつ秀逸なボーカル特にその独特唯一無二の声質が、モトリー・クルーのイメージを決定けているため舞い戻っている。ライブでも数多くの伝説的なパフォーマンスを残している。


音楽活動だけでなく他のビジネスにも手を広げ、クラブ経営からタトゥー・ショップ経営、2010年3月には近距離航空会社Vince Neil Aviation社を設立した。
音楽活動だけでなく他のビジネスにも手を広げ、クラブ経営からタトゥー・ショップ経営、2010年3月には近距離航空会社Vince Neil Aviation社を設立した。

2013年9月19日 (木) 13:58時点における版

ヴィンス・ニール
Vince Neil
基本情報
出生名 Vincent Neil Wharton
生誕 (1961-02-08) 1961年2月8日(63歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州 ロサンゼルス
ジャンル ハード・ロック
グラム・メタル
職業 ミュージシャンソングライター
担当楽器 ヴォーカルギターハーモニカ
活動期間 1981-現在
共同作業者 モトリー・クルー
ヴィンス・ニール

ヴィンス・ニール(本名、Vincent Neil Wharton , 1961年2月8日 - )は、アメリカロックバンドモトリー・クルーのヴォーカリスト、航空会社社長。アメリカカリフォルニア州ロサンゼルス出身。

人物

1981年、モトリー・クルーの初代ヴォーカリストとしてデビュー。

新曲を含むベスト・アルバム『デケイド・オブ・デカダンス』(1991年)を最後に、モトリー・クルーを一度脱退。1992年、映画『Encino Man(邦題:原始のマン)』に、ダム・ヤンキースのジャック・ブレイズとトミー・ショウと共作した楽曲「You're Invited (But Your Friend Can't Come)」を提供してソロ・デビュー。2作のソロ・アルバムを発表した後、1997年にモトリー・クルーに復帰。

モトリー・クルー復帰後もソロ・ツアーは続けている。

かつてはかなり破天荒な問題児として、ロック・シーンにその悪名を轟かせた。 過去に何度もバンドを実質的にはクビになっている。しかし、彼のパワフルかつ秀逸なボーカル、特にその独特で唯一無二の声質が、モトリー・クルーのイメージを決定付けているため、舞い戻っている。ライブでも数多くの伝説的なパフォーマンスを残している。

音楽活動だけでなく他のビジネスにも手を広げ、クラブ経営からタトゥー・ショップ経営、2010年3月には近距離航空会社Vince Neil Aviation社を設立した。

エピソード

  • 1984年12月、トミー・リーミック・マーズハノイ・ロックスのメンバーを招いてのパーティを開いたヴィンスは、パーティ3日目にしてなくなったアルコールを買いに飲酒運転で出かける。車の助手席にはハノイ・ロックスのドラマー、ラズル。アルコールを買い込んでの帰路、スピードを出しすぎたヴィンスの車はスリップ、中央分離帯を越え対向車線の車と正面衝突した。この事故でラズルは死亡。対向車の一般人二人も重傷を負う。逮捕されたヴィンスは保釈後裁判所の命令でアルコール依存のリハビリ施設に入所、ラズルに捧げたアルバム「シアター・オブ・ペイン」発表とそれにともなうツアー後に実刑判決を受け刑務所に入っている。
  • 1989年、MTVミュージック・アワード授賞式の楽屋でイジー・ストラドリンを殴り倒す。それを見て激高したアクセル・ローズは以降メディアを通してヴィンスを罵倒しはじめた。イジーとの一件は水に流したヴィンスだったが今度はアクセルとの喧嘩にシフト。MTVを通じて双方合意の決闘の日時・場所を決めたが、現れたのはヴィンスだけだった。
  • かつてはレーシングドライバーを目指していたというが、資金の問題でその道を断念せざるを得なくなった為、音楽の道を選んだという。現在も時折サーキットに姿を見せている。が、サーキット好きが高じて音楽活動が疎かになり、バンドをクビになる原因にもなった。
  • ラズルの死亡後ハノイ・ロックスは解散、ハノイ・ロックスのヴォーカリストだったマイケル・モンローはギタリストのスティーブ・スティーブンスと新バンドを結成しようとしていた。一方モトリー・クルーをクビになりソロとなったヴィンスは、パートナーとしてビリー・アイドルからスティーブ・スティーブンスを推薦される。この結果スティーブはマイケルとのバンドをレコーディング直後に脱退、ヴィンスと合流する。これらのことからマイケル及びハノイ・ロックスのファンからヴィンスは非常に嫌われている。
  • 愛娘のスカイラーを病気で亡くしていることから、近年「スカイラー・ニール基金」を設立し、闘病中の子供を支援する活動などの慈善事業を行っている。スカイラーが、入院中の病院の環境が劣悪である事、子供たちが見たいディズニーのアニメなどが観られないなどの状況を目の当たりにしたためだ、とインタビューで語っていた。
  • ポルノ女優との性行為を収めたプライベート・ビデオが流出したことがある。この事は日本のヘヴィメタル雑誌『BURRN!』誌1999年8月号に掲載されていた喜国雅彦の漫画「ROCKOMANGA!」でもネタにされたが、このビデオを見た喜国の感想は「C級ポルノのようで哀し過ぎる」との事だった[1]

ディスコグラフィー

ソロ・アルバム

  • Exposed(1993年)
スティーヴ・スティーヴンス(元ビリー・アイドル・バンド)、ヴィッキ・フォックス(元イナフ・ズナフ)等が参加。
  • Carved in Stone(1995年)
  • Live at the Whisky: One Night Only(2003年)
全曲モトリー・クルーのレパートリーによるライブ・アルバム

脚注

  1. ^ ROCKOMANGA!(リットーミュージック) 117P(BURRN!1999年8月号掲載分)

外部リンク