「池田澄時」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
編集の要約なし |
||
14行目: | 14行目: | ||
| 藩 = [[因幡国]][[鳥取藩#鹿奴藩|鹿奴藩]]主 |
| 藩 = [[因幡国]][[鳥取藩#鹿奴藩|鹿奴藩]]主 |
||
| 氏族 = [[池田氏]] |
| 氏族 = [[池田氏]] |
||
| 父母 = 父:[[池田重寛]]、母:村上氏<br/>養父:''[[池田 |
| 父母 = 父:[[池田重寛]]、母:村上氏<br/>養父:''[[池田延俊]]'' |
||
| 兄弟 = [[池田治恕|治恕]]、[[池田治道|治道]]、'''澄時'''、糸子([[池田斉政]]室)、<br/>本子([[松平信成]]室)、[[池田仲雅|仲雅]] |
| 兄弟 = [[池田治恕|治恕]]、[[池田治道|治道]]、'''澄時'''、糸子([[池田斉政]]室)、<br/>本子([[松平信成]]室)、[[池田仲雅|仲雅]] |
||
| 妻 = 正室:[[浅野長喬]]の娘と婚約 |
| 妻 = 正室:[[浅野長喬]]の娘と婚約 |
||
23行目: | 23行目: | ||
'''池田 澄時'''(いけだ すみとき)は、[[因幡国|因幡]][[鳥取藩#鹿奴藩|鹿奴藩]](鳥取東館新田藩)の第6代藩主。 |
'''池田 澄時'''(いけだ すみとき)は、[[因幡国|因幡]][[鳥取藩#鹿奴藩|鹿奴藩]](鳥取東館新田藩)の第6代藩主。 |
||
明和6年(1769年)3月22日、因幡[[鳥取藩]]の第5代藩主・[[池田重寛]]の三男として[[鳥取城]]で生まれる。明和8年([[1771年]])に鹿奴藩の第5代藩主・[[池田 |
明和6年(1769年)3月22日、因幡[[鳥取藩]]の第5代藩主・[[池田重寛]]の三男として[[鳥取城]]で生まれる。明和8年([[1771年]])に鹿奴藩の第5代藩主・[[池田延俊|延俊]]が死去したため、その[[養子]]として[[家督]]を継いだ。初代[[池田仲澄|仲澄]]、4代[[池田澄延|澄延]](延俊の兄)の[[偏諱]]である「澄」の字を取って'''澄時'''と名乗る。 |
||
天明5年([[1785年]])6月、[[江戸城]]神田橋門番に任じられるが、7月21日に[[江戸]]で死去した。享年17。跡を異母弟で養子の[[池田仲雅|仲雅]]が継いだ。 |
天明5年([[1785年]])6月、[[江戸城]]神田橋門番に任じられるが、7月21日に[[江戸]]で死去した。享年17。跡を異母弟で養子の[[池田仲雅|澄教(仲雅)]]が継いだ。 |
||
{{鹿奴藩主|第6代|1771年 - 1785年}} |
{{鹿奴藩主|第6代|1771年 - 1785年}} |
2013年6月15日 (土) 12:52時点における版
時代 | 江戸時代中期 |
---|---|
生誕 | 明和6年3月22日(1769年4月28日) |
死没 | 天明5年7月21日(1785年8月25日) |
改名 | 亀丸・亀三郎(幼名)、澄時 |
別名 | 主計(通称) |
戒名 | 真常院殿本覚浄光 |
墓所 | 東京都墨田区の弘福寺 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 因幡国鹿奴藩主 |
氏族 | 池田氏 |
父母 |
父:池田重寛、母:村上氏 養父:池田延俊 |
兄弟 |
治恕、治道、澄時、糸子(池田斉政室)、 本子(松平信成室)、仲雅 |
妻 | 正室:浅野長喬の娘と婚約 |
子 | 実子:なし、養子:仲雅 |
池田 澄時(いけだ すみとき)は、因幡鹿奴藩(鳥取東館新田藩)の第6代藩主。
明和6年(1769年)3月22日、因幡鳥取藩の第5代藩主・池田重寛の三男として鳥取城で生まれる。明和8年(1771年)に鹿奴藩の第5代藩主・延俊が死去したため、その養子として家督を継いだ。初代仲澄、4代澄延(延俊の兄)の偏諱である「澄」の字を取って澄時と名乗る。
天明5年(1785年)6月、江戸城神田橋門番に任じられるが、7月21日に江戸で死去した。享年17。跡を異母弟で養子の澄教(仲雅)が継いだ。