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モントリオールオリンピックでは団体8位、個人総合30位の成績であった。同世代の[[ナディア・コマネチ]]にあやかり、「和製コマネチ」の愛称で親しまれた。 |
モントリオールオリンピックでは団体8位、個人総合30位の成績であった。同世代の[[ナディア・コマネチ]]にあやかり、「和製コマネチ」の愛称で親しまれた。 |
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高校卒業後の1979年、体操界の名門体育大学の短期大学部<!--どこでしょうか(日体大?)-->に進学したがすぐに中退しタレントに転向、[[エアロビクス]]の普及に貢献した。その後最初の結婚。1984年には雑誌『[[平凡パンチ]]』で[[妊婦]][[ヌード]]を披露した。出産とともにタレントを引退、2児を出産 |
高校卒業後の1979年、体操界の名門体育大学の短期大学部<!--どこでしょうか(日体大?)-->に進学したがすぐに中退しタレントに転向、[[エアロビクス]]の普及に貢献した。その後最初の結婚。1984年には雑誌『[[平凡パンチ]]』で[[妊婦]][[ヌード]]を披露した。出産とともにタレントを引退、2児を出産。 |
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。過去に同容疑で5回の[[有罪]]判決を受けている。 |
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== 主な成績 == |
== 主な成績 == |
2013年2月18日 (月) 12:24時点における版
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選手情報 | ||||
フルネーム | おかざき さとこ | |||
国籍 | 日本 | |||
生年月日 | 1961年1月13日(63歳) | |||
生誕地 | 東京都 | |||
種目 | 体操 | |||
実績 | 第21回モントリオールオリンピック | |||
代表 | 1976年 | |||
引退 | 1979年 |
岡崎 聡子(おかざき さとこ、1961年1月13日 - )は日本の元体操選手。覚醒剤常用者。
経歴・人物
東京都出身。國學院高等学校在学中の1976年の全日本体操競技選手権大会[1]、NHK杯体操選手権に優勝[2][3]。オリンピック代表に選ばれモントリオールオリンピックの体操競技に15歳で出場を果たした。
モントリオールオリンピックでは団体8位、個人総合30位の成績であった。同世代のナディア・コマネチにあやかり、「和製コマネチ」の愛称で親しまれた。
高校卒業後の1979年、体操界の名門体育大学の短期大学部に進学したがすぐに中退しタレントに転向、エアロビクスの普及に貢献した。その後最初の結婚。1984年には雑誌『平凡パンチ』で妊婦ヌードを披露した。出産とともにタレントを引退、2児を出産。
2013年2月15日未明、新宿区の路上において覚醒剤使用容疑で逮捕された[4] 。過去に同容疑で5回の有罪判決を受けている。
主な成績
- 全日本体操競技選手権大会 - 優勝1回(1976年)、段違い平行棒優勝2回(1976年、1978年)、平均台優勝1回(1976年)
- NHK杯体操選手権 - 優勝2回(1976年、1977年)
著書など
- 「エアロビクス効果の方法―7日間で別のあなたに変わり始める」- (青春出版社、1982年12月)ISBN 978-4413013048
- 「サトコの青春ウルトラC」 - (講談社、1983年1月)ISBN 978-4062005234
- 創 2009年11月号『役立たぬ女子刑務所の薬物教育』(創出版)
脚注
- ^ “全日本体操競技選手権大会:優勝者一覧”. 日本体操協会. 2010年1月30日閲覧。
- ^ “NHK杯栄光の記録”. 日本体操協会. 2010年1月30日閲覧。
- ^ 高校生としては初めての優勝だった。その後1999年に山脇佳奈が中学生で優勝している。
- ^ “元五輪体操選手の岡崎聡子容疑者、覚醒剤でまた逮捕 過去に5度有罪”. msn産経ニュース (2013年2月18日). 2013年2月18日閲覧。