「岩倉城 (尾張国)」の版間の差分
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[[弘治 (日本)|弘治]]2年([[1556年]])、[[稲生の戦い]]で城主[[織田信安]]が、「織田弾正忠家」当主の[[織田信長]]の弟で[[末森城 (尾張国)|末森城]]主[[織田信行]](信勝)に味方したため、信長と対立した。その後、永禄元年([[1558年]])、[[浮野の戦い]]で信安の跡を継いだ嫡男[[織田信賢]]は敗れ、翌[[永禄]]2年([[1559年]])[[3月]]、岩倉城に篭城するも、信長に攻撃されて岩倉城は落城。 |
[[弘治 (日本)|弘治]]2年([[1556年]])、[[稲生の戦い]]で城主[[織田信安]]が、「織田弾正忠家」当主の[[織田信長]]の弟で[[末森城 (尾張国)|末森城]]主[[織田信行]](信勝)に味方したため、信長と対立した。その後、永禄元年([[1558年]])、[[浮野の戦い]]で信安の跡を継いだ嫡男[[織田信賢]]は敗れ、翌[[永禄]]2年([[1559年]])[[3月]]、岩倉城に篭城するも、信長に攻撃されて岩倉城は落城。 |
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また一説に、岩倉落城は[[永禄]]元年([[1558年]])とする説もある<ref>[[高澤等]]『新・信長公記』によれば、永禄2年は信長が年初から2月にかけて上洛しており、2~3ヶ月の攻囲の後、3月に落城したとする『[[信長公記]]』と齟齬が生じるとし、[[山内一豊]]の父[[山内盛豊]]の墓碑の年号から[[浮野の戦い]]を[[弘治]]3年([[1557年]])、岩倉落城を[[永禄]]元年([[1558年]])、上洛が[[永禄]]2年([[1559年]])との説を立てている</ref>。 |
また一説に、岩倉落城は[[永禄]]元年([[1558年]])とする説もある<ref>[[高澤等]]『新・信長公記』によれば、永禄2年は信長が年初から2月にかけて上洛しており、2~3ヶ月の攻囲の後、3月に落城したとする『[[信長公記]]』と齟齬が生じるとし、[[山内一豊]]の父[[山内盛豊]]の墓碑の年号から[[浮野の戦い]]を[[弘治]]3年([[1557年]])、岩倉落城を[[永禄]]元年([[1558年]])、上洛が[[永禄]]2年([[1559年]])との説を立てている。</ref>。 |
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現在の本丸跡には「岩倉城址」と「織田伊勢守城址」の碑がある。後者の碑は[[安政]]7年([[1860年]])に建てられたもの。なお二重の堀で囲まれた城だったらしい。 |
現在の本丸跡には「岩倉城址」と「織田伊勢守城址」の碑がある。後者の碑は[[安政]]7年([[1860年]])に建てられたもの。なお二重の堀で囲まれた城だったらしい。 |
2011年5月22日 (日) 16:13時点における版
岩倉城 (愛知県) | |
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岩倉城跡 | |
城郭構造 | 平城 |
天守構造 | なし |
築城主 | 織田敏広(織田信安?) |
築城年 | 文明11年(1479年)ごろ |
主な城主 | 織田敏広、寛広、信安、信賢 |
廃城年 | 永禄2年(1559年) |
遺構 | 堀址、石碑 |
指定文化財 |
岩倉城跡 location = 北緯35度16分30.8秒 東経136度52分38.16秒 / 北緯35.275222度 東経136.8772667度 |
岩倉城(いわくらじょう)は、尾張国丹羽郡岩倉(現在の愛知県岩倉市下本町)にあった城。市指定史跡。
文明11年(1479年)頃、「織田伊勢守家」当主の織田敏広(または織田信安の時代とも)によって築城されたといわれる。 この城を拠点として「織田伊勢守家」(岩倉織田氏)は尾張上四郡を支配し、尾張守護所が置かれた清洲城を拠点として尾張下四郡を支配した「織田大和守家」(清洲織田氏)に対し、武威を示して当時の尾張では清洲城と並び、重要な城であった。 弘治2年(1556年)、稲生の戦いで城主織田信安が、「織田弾正忠家」当主の織田信長の弟で末森城主織田信行(信勝)に味方したため、信長と対立した。その後、永禄元年(1558年)、浮野の戦いで信安の跡を継いだ嫡男織田信賢は敗れ、翌永禄2年(1559年)3月、岩倉城に篭城するも、信長に攻撃されて岩倉城は落城。
また一説に、岩倉落城は永禄元年(1558年)とする説もある[1]。
現在の本丸跡には「岩倉城址」と「織田伊勢守城址」の碑がある。後者の碑は安政7年(1860年)に建てられたもの。なお二重の堀で囲まれた城だったらしい。
脚注
関連項目
交通
外部リンク
- 岩倉城
- 山内一豊と岩倉の歴史 愛知県岩倉市公式ホームページ(岩倉城跡の解説)