「ロッキー・ジョンソン」の版間の差分
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'''ロッキー・ジョンソン'''('''Rocky "Soulman" Johnson'''、[[1944年]][[8月24日]] - )は、[[カナダ]]・[[ノバスコシア州]]出身の元[[プロレスラー]]。本名は'''ウェイド・ボウルズ'''('''Wayde Bowles''')。 |
'''ロッキー・ジョンソン'''('''Rocky "Soulman" Johnson'''、[[1944年]][[8月24日]] - )は、[[カナダ]]・[[ノバスコシア州]]出身の元[[プロレスラー]]。本名は'''ウェイド・ボウルズ'''('''Wayde Bowles''')。 |
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[[1960年代]]後半から[[1990年代]]初頭まで、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]各地で長くトップスターとして活躍した。[[日本]]には2度来日している |
[[1960年代]]後半から[[1990年代]]初頭まで、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]各地で長くトップスターとして活躍した。[[日本]]には2度来日している(日本では「[[1941年]]生まれ、アメリカ合衆国[[ニューヨーク州]]出身」と紹介されることが多い)。 |
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義父(妻の父)は[[ピーター・メイビア]]、息子はプロレスラーで[[俳優]]の[[ザ・ロック (プロレスラー)|ザ・ロック]]。[[2008年]]には[[WWE殿堂]]入りを果たした。 |
義父(妻の父)は[[ピーター・メイビア]]、息子はプロレスラーで[[俳優]]の[[ザ・ロック (プロレスラー)|ザ・ロック]]。[[2008年]]には[[WWE殿堂]]入りを果たした。 |
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== 来歴 == |
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[[1964年]]にプロレスラーとしてデビュー。バネのある身体から繰り出す華麗な空中殺法を武器に、西海岸、 |
[[1964年]]にプロレスラーとしてデビュー。バネのある身体から繰り出す華麗な空中殺法を武器に、[[アメリカ西海岸|西海岸]]、[[アメリカ合衆国南部|南部]]、[[WWE|WWF]]、[[五大湖]]地区などアメリカ各地の主要マーケットで、[[ベビーフェイス (プロレス)|ベビーフェイス]]の黒人トップスターとして数々のタイトルを獲得し、長く活躍した。特に[[ドロップキック]]の名手として知られる。ニックネームは'''"Soulman"'''。[[覆面レスラー]]の'''スイート・エボニー・ダイヤモンド'''('''Sweet Ebony Diamond''')としてファイトすることもあった。 |
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[[1983年]]に[[ニューヨーク]]のWWFに参戦し、[[トニー・アトラス]]と黒人[[タッグチーム]]「'''ソウル・パトロール'''('''The Soul Patrol''')」を結成。同年[[11月15日]]に[[ザ・ワイルド・サモアンズ]]から[[WWE・世界タッグチーム王座|WWFタッグ王座]]を奪取している。その後も同王座を巡り、[[ディック・マードック]]&[[アドリアン・アドニス]]のノース・サウス・コネクションと抗争劇を展開した。WWF離脱後は[[ハワイ州|ハワイ]]でプロモーター兼ブッカーとして活動し、[[1991年]]に現役を引退。 |
[[1983年]]に[[ニューヨーク]]のWWFに参戦し、[[トニー・アトラス]]と黒人[[タッグチーム]]「'''ソウル・パトロール'''('''The Soul Patrol''')」を結成。同年[[11月15日]]に[[ザ・ワイルド・サモアンズ]]から[[WWE・世界タッグチーム王座|WWFタッグ王座]]を奪取している。その後も同王座を巡り、[[ディック・マードック]]&[[アドリアン・アドニス]]のノース・サウス・コネクションと抗争劇を展開した。WWF離脱後は[[ハワイ州|ハワイ]]でプロモーター兼ブッカーとして活動し、[[1991年]]に現役を引退。 |
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来日を待望され、[[1970年]]に[[日本プロレス]]のNWAタッグリーグ戦に[[アーニー・ラッド]]との黒人強力コンビとして出場した。優勝候補の筆頭と見られていたが、チームワークに難があり、決勝進出を果たせなかった。その後もアメリカでは活躍を続け、[[1980年]]1月に[[新日本プロレス]]に10年振りの来日を果たす。しかし戦績は振るわず、[[北米タッグ王座]]挑戦を目前に控えた試合で[[スタン・ハンセン]]の[[ラリアット|ウエスタン・ラリアット]]の誤爆を受け負傷し、タイトル戦を欠場した。これが最後の来日となった。 |
来日を待望され、[[1970年]]に[[日本プロレス]]のNWAタッグリーグ戦に[[アーニー・ラッド]]との黒人強力コンビとして出場した。優勝候補の筆頭と見られていたが、チームワークに難があり、決勝進出を果たせなかった。その後もアメリカでは活躍を続け、[[1980年]]1月に[[新日本プロレス]]に10年振りの来日を果たす。しかし戦績は振るわず、[[北米タッグ王座]]挑戦を目前に控えた試合で[[スタン・ハンセン]]の[[ラリアット|ウエスタン・ラリアット]]の誤爆を受け負傷し、タイトル戦を欠場した。これが最後の来日となった。 |
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== 得意技 == |
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* NWAカナディアン・タッグ王座:1回(w / [[ドン・レオ・ジョナサン]]) |
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* NWAパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座:2回(w / ブレット・ソイヤー、アイスマン・キング・パーソンズ) |
* NWAパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座:2回(w / ブレット・ソイヤー、アイスマン・キング・パーソンズ) |
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* [[アメリカン・レスリング・アソシエーション|AWA]]南部タッグ王座:1回(w / [[ジミー・バリアント]]) |
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== 外部リンク == |
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* [http://us.wwe.com/superstars/halloffame/inductees/rockyjohnson/ WWE Hall of Fame] |
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* [http://www.onlineworldofwrestling.com/profiles/r/rocky-johnson.html Profile(Online World of Wrestling)] |
* [http://www.onlineworldofwrestling.com/profiles/r/rocky-johnson.html Profile(Online World of Wrestling)] |
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2009年8月28日 (金) 15:31時点における版
ロッキー・ジョンソン | |
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プロフィール | |
リングネーム |
ロッキー " ソウルマン " ジョンソン スイート・エボニー・ダイヤモンド |
本名 | ウェイド・ボウルズ |
ニックネーム | 黒い砲弾 |
身長 | 186cm |
体重 | 112kg(全盛時) |
誕生日 | 1944年8月24日(79歳) |
出身地 | カナダ・ノバスコシア州 |
デビュー | 1964年 |
引退 | 1991年 |
ロッキー・ジョンソン(Rocky "Soulman" Johnson、1944年8月24日 - )は、カナダ・ノバスコシア州出身の元プロレスラー。本名はウェイド・ボウルズ(Wayde Bowles)。
1960年代後半から1990年代初頭まで、アメリカ各地で長くトップスターとして活躍した。日本には2度来日している(日本では「1941年生まれ、アメリカ合衆国ニューヨーク州出身」と紹介されることが多い)。
義父(妻の父)はピーター・メイビア、息子はプロレスラーで俳優のザ・ロック。2008年にはWWE殿堂入りを果たした。
来歴
1964年にプロレスラーとしてデビュー。バネのある身体から繰り出す華麗な空中殺法を武器に、西海岸、南部、WWF、五大湖地区などアメリカ各地の主要マーケットで、ベビーフェイスの黒人トップスターとして数々のタイトルを獲得し、長く活躍した。特にドロップキックの名手として知られる。ニックネームは"Soulman"。覆面レスラーのスイート・エボニー・ダイヤモンド(Sweet Ebony Diamond)としてファイトすることもあった。
1983年にニューヨークのWWFに参戦し、トニー・アトラスと黒人タッグチーム「ソウル・パトロール(The Soul Patrol)」を結成。同年11月15日にザ・ワイルド・サモアンズからWWFタッグ王座を奪取している。その後も同王座を巡り、ディック・マードック&アドリアン・アドニスのノース・サウス・コネクションと抗争劇を展開した。WWF離脱後はハワイでプロモーター兼ブッカーとして活動し、1991年に現役を引退。
来日を待望され、1970年に日本プロレスのNWAタッグリーグ戦にアーニー・ラッドとの黒人強力コンビとして出場した。優勝候補の筆頭と見られていたが、チームワークに難があり、決勝進出を果たせなかった。その後もアメリカでは活躍を続け、1980年1月に新日本プロレスに10年振りの来日を果たす。しかし戦績は振るわず、北米タッグ王座挑戦を目前に控えた試合でスタン・ハンセンのウエスタン・ラリアットの誤爆を受け負傷し、タイトル戦を欠場した。これが最後の来日となった。
日本とも縁の深いアメリカの繁栄マーケットで活躍したにもかかわらず、売れっ子で多忙だったこともあり来日回数はわずか2回と少なく、日本では実績を残すことができなかった。
得意技
獲得タイトル
- シングルタイトル
- NWAフロリダ・ヘビー級王座:2回
- NWAジョージア・ヘビー級王座:1回
- NWAテキサス・ヘビー級王座:2回
- NWAミッドアトランティック・ヘビー級王座:1回
- NWAパシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座:1回
- NWAアメリカス・ヘビー級王座:1回
- NWA USヘビー級王座(サンフランシスコ版):1回
- NWA南部ヘビー級王座(メンフィス版):1回
- WWE Hall of Fame 2008(プレゼンターはザ・ロック)
- タッグタイトル
- NWA世界タッグ王座(デトロイト版):1回(w / ベン・ジャスティス)
- NWA世界タッグ王座(サンフランシスコ版):4回(w / パット・パターソン×3、ペッパー・ゴメス)
- NWAフロリダ・タッグ王座:1回(w / ペドロ・モラレス)
- NWAジョージア・タッグ王座:1回(w / ジェリー・ブリスコ)
- NWAカナディアン・タッグ王座:1回(w / ドン・レオ・ジョナサン)
- NWAパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座:2回(w / ブレット・ソイヤー、アイスマン・キング・パーソンズ)
- AWA南部タッグ王座:1回(w / ジミー・バリアント)
- WWFタッグ王座:1回(w / トニー・アトラス)
etc.