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'''古堅 実吉'''(ふるけん さねよし、[[1929年]][[7月5日]] - )は[[沖縄県]][[国頭村]]出身の元[[日本共産党]][[衆議院|衆議院議員]]である。 |
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*[[1944年]]に[[沖縄師範学校]]予科に入学、戦争中は「[[鉄血勤皇隊]]」を経験した。 |
*[[1944年]]に[[沖縄師範学校]]予科に入学、戦争中は「[[鉄血勤皇隊]]」を経験した。 |
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*[[琉球大学]]中退経て[[関西大学]]卒業後、[[琉球政府]]下 |
*[[琉球大学]]中退を経て[[関西大学]]法学部卒業後、[[琉球政府]]下にて中央巡回裁判所書記官、[[弁護士]]、[[立法院]]議員、[[沖縄人民党]][[書記長]]として活躍した。 |
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*[[沖縄返還]]後、[[沖縄県議会]]を経て、[[1990年]]の[[第39回衆議院議員総選挙]]で[[沖縄県全県区]]で初当選した。[[1993年]]は同じ選挙区で2期目の当選となり、[[1996年]]には[[小選挙区比例代表並立制]]下で、[[沖縄1区]]で現職として臨んだが県議会の後輩で[[新進党]]新人[[白保台一]]に敗れ[[比例復活]]で3期目の当選となった。[[2000年]][[第42回衆議院議員総選挙]]には不出馬、政界を[[引退]]した。 |
*[[沖縄返還]]後、[[沖縄県議会]]を経て、[[1990年]]の[[第39回衆議院議員総選挙]]で[[沖縄県全県区]]で初当選した。[[1993年]]は同じ選挙区で2期目の当選となり、[[1996年]]には[[小選挙区比例代表並立制]]下で、[[沖縄1区]]で現職として臨んだが県議会の後輩で[[新進党]]新人[[白保台一]]に敗れ[[比例復活]]で3期目の当選となった。[[2000年]][[第42回衆議院議員総選挙]]には不出馬、政界を[[引退]]した。 |
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*引退後、[[2002年]]1月から2002年4月まで「命(ぬち)かじり-回顧録-」で[[琉球新報]]に連載し、同年8月に[[琉球新報社]]にて刊行した。 |
*引退後、[[2002年]]1月から2002年4月まで「命(ぬち)かじり-回顧録-」で[[琉球新報]]に連載し、同年8月に[[琉球新報社]]にて刊行した。 |
2009年7月26日 (日) 15:19時点における版
古堅 実吉(ふるけん さねよし、1929年7月5日 - )は沖縄県国頭村出身の元日本共産党衆議院議員である。
人物
- 1944年に沖縄師範学校予科に入学、戦争中は「鉄血勤皇隊」を経験した。
- 琉球大学中退を経て関西大学法学部卒業後、琉球政府下にて中央巡回裁判所書記官、弁護士、立法院議員、沖縄人民党書記長として活躍した。
- 沖縄返還後、沖縄県議会を経て、1990年の第39回衆議院議員総選挙で沖縄県全県区で初当選した。1993年は同じ選挙区で2期目の当選となり、1996年には小選挙区比例代表並立制下で、沖縄1区で現職として臨んだが県議会の後輩で新進党新人白保台一に敗れ比例復活で3期目の当選となった。2000年第42回衆議院議員総選挙には不出馬、政界を引退した。
- 引退後、2002年1月から2002年4月まで「命(ぬち)かじり-回顧録-」で琉球新報に連載し、同年8月に琉球新報社にて刊行した。
関連項目