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橋本勝磨

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
橋本 勝磨
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 山梨県
生年月日 (1940-12-14) 1940年12月14日
没年月日 (2014-05-20) 2014年5月20日(73歳没)
身長
体重
171[1] cm
68[1] kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 捕手
プロ入り 1959年
初出場 1959年7月5日
最終出場 1959年7月5日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

橋本 勝磨(はしもと かつまろ、1940年12月14日 - 2014年5月20日[2])は、山梨県出身[1]プロ野球選手捕手)。右投左打[1]

来歴・人物

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甲府商業高校には中沢信一とバッテリーを組み、1958年第40回全国高等学校野球選手権大会に出場した。同年中沢とともにテストを受け合格し1959年大洋ホエールズに入団。7月5日の川崎球場での広島戦第2試合に土井淳島野雅亘に次いでプロ初出場を果たしたが3打数3三振に終わり、出場はこの1試合に終わり一年で退団した。

なお、幸田優が史上初となる1イニング4奪三振を記録したのはこの試合であるが、スタメンは前述のように土井淳であった。(試合は延長16回の末引地信之サヨナラ本塁打で4対3で大洋が勝利している。)

引退後は神奈川県相模原市にて橋本建設を設立し、2014年5月20日に亡くなった。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1959 大洋 1 3 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0 .000 .000 .000 .000
通算:1年 1 3 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0 .000 .000 .000 .000

背番号

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  • 48 (1959年)

脚注

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  1. ^ a b c d 『ホエールズ&ベイスターズ 60年の軌跡』 ベースボール・マガジン社、2009年、86頁。
  2. ^ OB NEWS Vol.62” (PDF). 公益社団法人全国野球振興会(日本プロ野球OBクラブ) (2014年7月). 2021年2月28日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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