コンテンツにスキップ

楽園郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
楽園郡
位置
各種表記
チョソングル: 락원군
漢字: 樂園郡
片仮名転写: ラグォン=クン
ローマ字転写 (MR): Ragwŏn-kun
統計
行政
国: 朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国
テンプレートを表示

楽園郡(ラグォンぐん)は朝鮮民主主義人民共和国咸鏡南道に属する郡。

地理

[編集]

咸鏡南道中部の日本海海岸に位置し、西は咸興市、北は洪原郡と隣接している。

行政区画

[編集]

1邑・1労働者区・11里を管轄する。

  • 楽園邑(ラグォヌプ)
  • 三湖労働者区(サモロドンジャグ)
  • 呂湖里(リョホリ)
  • 寺洞里(サドンニ)
  • 上松里(サンソンニ)
  • 西中里(ソジュンニ)
  • 細浦里(セポリ)
  • 松海里(ソンヘリ)
  • 新豊里(シンプンニ)
  • 長興里(チャンフンニ)
  • 川中里(チョンジュンニ)
  • 興上里(フンサンニ)
  • 興西里(フンソリ)

歴史

[編集]

1952年に退潮郡として咸州郡から分かれて新設され、1982年に楽園郡に改称した。

年表

[編集]

この節の出典[1]

  • 1970年7月 - 咸興直轄市退潮区域退潮一洞・退潮二洞・三号洞・西中里・呂湖里・興西里・長興里・寺洞里・細浦里・興上里・上松里・川中里・新豊里・松海里をもって、咸鏡南道退潮郡を設置。(1邑1労働者区11里)
    • 退潮一洞・退潮二洞が合併し、退潮邑が発足。
    • 三号洞が三湖労働者区に降格。
  • 1982年9月 - 退潮郡が楽園郡に改称。(1邑1労働者区11里)
    • 退潮邑が楽園邑に改称。

退潮郡(1952~1960年)

[編集]
  • 1952年12月- 郡面里統廃合により、咸鏡南道咸州郡東川面・徳山面・退潮面、洪原郡三湖面、興南市の一部地域をもって、退潮郡を設置。退潮郡に以下の邑・里が成立。(1邑25里)
    • 退潮邑・豊興里・下㯖里・双峰里・東興里・水東里・中湖里・錦糸里・嶺峰里・大興里・興西里・川中里・松海里・新豊里・興上里・三湖里・光㯖里・城元里・陵東里・西中里・呂湖里・長興里・寺洞里・松興里・細浦里・麻田里
  • 1952年末 - 三湖里が三湖労働者区に昇格。(1邑1労働者区24里)
  • 1953年 - 興上里・川中里の各一部が合併し、上松里が発足。(1邑1労働者区25里)
  • 1954年 (1邑1労働者区25里)
    • 松興里が退潮邑・寺洞里に分割編入。
    • 豊興里・双峰里の各一部が合併し、豊慶里が発足。
  • 1960年10月 - 退潮郡廃止。
    • 退潮邑・三湖労働者区・西中里・呂湖里・興西里・長興里・寺洞里・細浦里・興上里・上松里・川中里・新豊里・松海里が新設の咸興直轄市退潮区域に編入。
    • 麻田里・陵東里が新設の咸興直轄市興南区域に編入。
    • 下㯖里・豊興里・豊慶里・双峰里・東興里・水東里・中湖里・大興里・光㯖里・城元里・錦糸里・嶺峰里が新設の咸興直轄市徳山区域に編入。

退潮区域

[編集]
  • 1960年10月 - 咸鏡南道退潮郡退潮邑・三湖労働者区・寺洞里・長興里・興西里・呂湖里・西中里・興上里・上松里・川中里・新豊里・松海里・細浦里をもって、咸興直轄市退潮区域を設置。(2洞11里)
    • 退潮邑が退潮洞に昇格。
    • 三湖労働者区が三号洞に昇格。
  • 1967年 - 退潮洞が分割され、退潮一洞・退潮二洞が発足。(3洞11里)
  • 1970年7月 - 退潮区域廃止。
    • 退潮一洞・退潮二洞・三号洞・寺洞里・長興里・興西里・呂湖里・西中里・興上里・上松里・川中里・新豊里・松海里・細浦里が新設の咸鏡南道退潮郡に編入。

交通

[編集]

脚注

[編集]

外部リンク

[編集]