新村徹

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新村 徹
人物情報
生誕 (1936-02-17) 1936年2月17日
日本の旗 日本京都府
死没 1984年10月21日(1984-10-21)(48歳)
出身校 愛知大学
学問
研究分野 文学(中国文学)
研究機関 桜美林大学
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新村 徹(しんむら とおる、1936年(昭和11年)2月17日 - 1984年(昭和59年)10月21日)は、日本中国文学者児童文学者

経歴[編集]

1936年、京都府生まれ。子供の頃に、父親の新村猛世界文化の出版に関連して治安維持法違反で逮捕されたことから国賊の子扱いされ、国民学校時代にはいじめ抜かれるという経験も持つ[1]

愛知大学中国文学科卒業。旧・東京都立大学大学院博士課程修了。専攻は中国文学。他に『広辞苑』(第二版・岩波書店)改訂編集や新村出の著作編集などにも加わった。立命館大学同志社大学などの非常勤講師を経て、1975年より桜美林大学助教授を務め、後に同教授となる。

1984年10月20日、町田市内でバスで降りた後、道路を横切る途中でバイク事故にあい、病院に運ばれたが意識は戻らず、翌10月21日に急逝した[2][3]。享年48歳。

家族・親族[編集]

主な刊行[編集]

  • 『中国民話集 巨人ニジガロ』、釜屋修共訳編(日本中国友好協会、1969年8月)
  • 『中国民話集 チワンの星』、釜屋修共訳編(日本中国友好協会、1970年11月)
  • 魯迅のこころ』(少年少女におくる伝記 (ジュニア・ライブラリー)・理論社、1970年)
  • 『クルバンの魔王たいじ―中国(ウイグル)民話』(文研出版、1975年)
  • 『六にんきょうだい (中国民話の絵本)』(偕成社、1977年9月)
  • 『町に恐竜がやってきた』 (任大星、太平出版社、1984年2月)
  • 『中国現代文学事典』、丸山昇伊藤虎丸共編(東京堂出版、1985年9月)

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 朝日新聞短縮版1984年10月・1984年10月23日の訃報記事
  • 『道 新村徹の生涯』新村恭編、新村香代子(妻で中井正一の三女による私家版

脚注[編集]

  1. ^ 「国賊の子」いじめ抜かれ… 「世界文化」事件、家族も痛み”. 京都新聞 (2018年9月10日). 2018年9月10日閲覧。
  2. ^ 上野瞭『日本のプー横丁』(光村図書)第十三章・お葬式
  3. ^ 弟・新村恭『広辞苑はなぜ生まれたか―新村出の生きた軌跡』(世界思想社)P233より