川口容資
大分プロ育成野球専門学院BEZEL 監督 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 大分県大分市 |
生年月日 | 1987年7月9日(37歳) |
身長 体重 |
188 cm 86 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2005年 高校生ドラフト5巡目 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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監督・コーチ歴 | |
この表について
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川口 容資(かわぐち ようすけ、1987年7月9日 - )は、大分県大分市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
来歴・人物
[編集]小学校3年時に地元の金池少年野球団で軟式野球を始める。大分市立上野ヶ丘中学校から主に投手を務める。
楊志館高等学校時代は、3年時に全国高校野球選手権大会・大分県大会で竹田高校に敗れ2回戦で敗退、甲子園出場はならなかった。
2005年、同年のドラフト会議で福岡ソフトバンクホークスから高校生ドラフト5巡目で指名され入団。全12球団で最後の指名選手となった。
入寮後の新人合同自主トレでは、連日ブルペンに入り40球ほどを投げ込みキャンプイン。ルーキーイヤーの2006年はシーズン途中のフォーム修正や、度重なる怪我などで登板の機会がないまま終わるが、フェニックスリーグにて初登板・初ホールド。2試合目では初勝利を挙げた。
2007年10月6日、高卒2年目の20歳としては異例の戦力外通告を受ける。その後、11月7日に行われた12球団合同トライアウトを受け、読売ジャイアンツと千葉ロッテマリーンズが興味を示した。その後、両球団の入団テストを受け、育成選手として読売ジャイアンツに入団した。
2008年シーズン終了後、再び戦力外通告を受けた。その後、再度合同トライアウトに参加するも獲得球団はなかった。
2009年3月30日(現地時間)に、アメリカ・独立リーグのゴールデンベースボールリーグのユマ・スコーピオンズと契約した[1]。しかし、ユマでは登板がないまま退団した。シーズン終了後、再び12球団合同トライアウトに参加した。
2011年、社会人野球の新日鐵大分ベースボールクラブに入団。のちに現役を引退した。
現役引退後はホークスジュニアアカデミーのコーチを務めた[2]のち、2021年4月開校予定の野球教育施設・大分プロ育成野球専門学院BEZELの投手コーチに就任[3]。同校ではソフトバンク時代の同僚だった大田原隆太もコーチを務める[4]。2022年4月からは監督に就任した[5]。
選手としての特徴
[編集]188cmの長身と長い腕を生かして腕をしならせ投げ下ろすMAX144km/hのストレートが武器[要出典]。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]- 一軍公式戦出場なし
背番号
[編集]- 65 (2006年 - 2007年)
- 111 (2008年)
脚注
[編集]- ^ Scorps sign Japanese pitcher
- ^ “川口 容資”. NPO法人ホークスジュニアアカデミー HJA. 2021年2月17日閲覧。
- ^ “別府でプロ野球選手目指せ 来年4月、16歳以上対象に専門学院”. 大分合同新聞プレミアムオンライン Gate. (2020年10月20日) 2021年2月17日閲覧。
- ^ “大分にプロ育成野球専門学院が来春開校 NPB選手養成に「オンラインドラフト」も”. スポーツ報知. (2020年10月19日) 2021年2月17日閲覧。
- ^ “2022年の新体制の報告”. BEZEL sports academyプロ育成野球専門 Instagram (2022年4月12日). 2022年5月31日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)