山風 (海風型駆逐艦)
艦歴 | |
---|---|
計画 | 1907年度[1] |
起工 | 1910年6月1日[1] |
進水 | 1911年1月21日[1] |
就役 | 1911年10月21日[1] |
その後 | 1912年8月28日一等駆逐艦[1] 1930年6月1日掃海艇編入、第八号掃海艇 (二代) と改名[1] |
除籍 | 1922年4月1日[1] |
性能諸元(計画竣工時) | |
排水量 | 基準:1,030トン 常備:1,150トン |
全長 | 水線長:97.84m 垂線間長:310 ft 0 in (94.49 m) |
全幅 | 28 ft 0+13⁄16 in (8.56 m) |
吃水 | 9 ft 0 in (2.74 m) |
深さ | 5.26m |
機関 | 推進:3軸 主機:パーソンズ式直結タービン3軸併結 出力:計画 20,500馬力 ボイラー:イ号艦本式缶 混焼缶6基、重油専焼缶2基 |
最大速力 | 計画:33ノット |
燃料 | 重油218トン、石炭165トン |
航続距離 | 2,700カイリ / 15ノット |
乗員 | 竣工時定員:139名[2] 1920年時 141名 |
兵装 | 40口径四一式12cm単装砲 2門 40口径四一式8cm単装砲 5門 45cm単装発射管 3基 (竣工直後に45cm連装水上発射管2基4門に換装) |
搭載艇 | 1920年5隻 |
備考 | ※トンは英トン |
その他 | 信号符字:GQBL(竣工時)[3] |
山風(やまかぜ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦で[4]、海風型駆逐艦の2番艦である[5]。同名艦に白露型駆逐艦(海風型駆逐艦 / 改白露型駆逐艦)の「山風」があるため[6][7]、こちらは「山風 (初代)」や「山風I」などと表記される[8]。
艦歴
[編集]海風型駆逐艦(海風、山風)は、日本海軍の駆逐艦として蒸気タービンを最初に採用した画期的艦艇であった[9]。 基本計画番号はF9で、本艦の仮称艦名は「甲号大駆逐艦」[9][8]。1909年(明治42年)8月28日、三菱合資会社と製造契約を締結[10]、同年11月15日、甲号大駆逐艦は「山風」と命名される[4][11]。 1910年(明治43年)6月1日、三菱長崎造船所で起工[12][13]。1911年(明治44年)1月21日、進水[12][14]。進水前の写真では菊の御紋章がついているのが確認できる[15]。完成時には取り外されてはいるが、これは駆逐艦に菊の御紋章がつけられた唯一の事例である[16]。
全力公試中に計画出力を越えた3万軸馬力と35.0ノットを発揮したという[9]。 同年10月21日、竣工[17][18][注釈 1]、同日附で駆逐艦に類別される[19]。
1912年(大正元年)8月28日、駆逐艦に等級が附与され、本艦の等級は一等とされる[20]。
1915年(大正4年)3月5日、第16駆逐隊(山風、海風)[21]は沼津市に到着[22]。沼津御用邸沖合に停泊する(第16駆逐隊司令桑島省三、山風艦長角田貫三、海風艦長小泉親治)[23][24]。 3月6日[25]、裕仁親王(後の昭和天皇、当時14歳)は「山風」を御召駆逐艦(供奉艦「海風」)として三保の松原に向かう(同日、御用邸帰還)[26][27]。 3月7日、裕仁親王は「山風」に乗艦して駿河湾を遊覧、訓練では自ら魚雷発射を試みた[28][29]。 3月8日、任務を終えた16駆(山風、海風)は横須賀に向かった[30][31]。
第一次世界大戦では第一南遣支隊所属で南洋群島方面攻略に参加[1][18]。1918年(大正7年)のシベリア出兵では沿海州沿岸警備に従事[1]。 1920年(大正9年)3月24日午前9時30分、九州地方行啓のため大正天皇皇太子(後の昭和天皇、当時19歳)は神戸港より戦艦「香取」に乗艦する[32][33]。海風型2隻(海風、山風)は他の供奉艦(第二戦隊〈安藝、薩摩〉、駆逐艦〈榎、楢〉)と共に同行する[34][35]。翌日夕刻、艦隊は鹿児島に到着[36][37]。翌日、皇太子は鹿児島に上陸した[38][39]。以後も山風以下艦隊は皇太子(御召艦香取)の九州行啓を護衛した。
1926年(大正15年)11月29日 - 艦艇類別等級表に「艦型」が定められ、本艦の艦型は海風型とされる[40]。同年12月1日から[41]1928年12月10日まで鎮海要港部に所属し[42]、この間主に朝鮮半島で活動する[43]。
1930年(昭和5年)6月1日、山風は駆逐艦籍から除かれ[43]掃海艇に類別変更[44]。「第八号掃海艇」(二代)と改称した[1][45]。1936年(昭和11年)4月1日、除籍。
艦長
[編集]※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。
- 駆逐艦長
- 渡辺仁太郎 中佐:不詳 - 1912年6月29日
- *兼佐世保海軍工廠艤装員( - 1911年12月22日)
- 山下義章 中佐:1912年6月29日 - 1913年4月1日
- 岡村秀二郎 中佐:1913年4月1日 - 12月1日
- (心得)角田貫三 少佐:1913年12月1日 - 不詳
- 角田貫三 中佐:不詳 - 1915年5月1日[46]
- (心得)前川義一 少佐:1915年5月1日[46] -
- 前川義一 中佐:1915年12月13日 - 1916年4月1日
- (心得)中山友次郎 少佐:1916年4月1日 - 8月1日
- 中山友次郎少佐:1916年8月1日 - 1916年12月1日
- 杉浦正雄 少佐:1916年12月1日 - 1917年6月1日
- 馬島専之助 少佐:1917年6月1日 - 12月1日[47]
- 若山昇 少佐:1917年12月1日[47] - 1918年9月10日[48]
- 後藤章 少佐:1918年9月10日 - 12月1日
- 長井実 少佐:1918年12月1日 - 1919年4月1日
- (心得)長井実 少佐:1919年4月1日 - 12月1日
- (心得)蒲田静三 少佐:1919年12月1日[49] - 1920年12月1日[50]
- (心得)赤沢堅三郎 少佐:1920年12月1日[50] - 1921年12月1日[51]
- (心得)森田重房 少佐:1921年12月1日[51] - 1922年12月1日[52]
- (心得)石井先知 少佐:1922年12月1日[52] - 1923年4月1日[53]
- (心得)吉田健介 少佐:1923年4月1日[53] - 11月20日[54]
- (心得)荒糺 少佐:1923年11月20日 - 1924年6月10日
- (心得)中円尾義三 少佐:1924年6月10日 - 1924年12月1日
- 加来博胤 少佐:1924年12月1日[55] - 1926年7月20日[56]
- (兼)岩原盛恵 少佐:1926年7月20日[56] - 11月1日[57]
- 金子豊吉 少佐:1926年11月1日 - 1927年12月1日
- 樋口通達 少佐:1927年12月1日[58] - 1929年7月20日[59]
- 西岡茂泰 少佐:1929年7月20日 - 1930年6月1日
- 掃海艇長
- 西岡茂泰 少佐:1930年6月1日 - 1930年8月1日
- 谷口信義 少佐:1930年8月1日[60] - 1931年4月1日[61]
- 有田貢 少佐:1931年4月1日[61] - 1932年4月1日[62]
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ #海軍制度沿革11-2(1972)pp.1068-1069、昭和3年2月14日(内令43)艦船要目公表範囲では明治44年12月21日となっている。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j 『日本海軍史』第7巻、295頁。
- ^ #海軍制度沿革10-1(1972)p.505、明治43年10月10日(内令183)『海軍定員令別表中ヘ附表ノ通驅逐艦定員表其四ヲ追加セラル | 艦第二十一表ノ二 | 驅逐艦定員表 其四 | 驅逐艦名 | 海風 | (以下略) |』將校同相當官8人、兵曹長同相當官、准士官3人、下士37人、卒91人。同書p.508、明治44年7月6日(内令116)『海軍定員令別表驅逐艦定員表其四中「海風」ノ次ニ「山風」ヲ追加セラル』
- ^ #2月 画像1『達第十二號 驅逐艦海風外一隻ニ左ノ通信號符字ヲ點付ス 明治四十四年二月六日 海軍大臣 男爵齋藤實 信號符字 艦名 GQBF 海風 GQBL 山風』
- ^ a b #海軍制度沿革8(1971)p.372、達第123号『三菱長崎造船所ニ於テ製造スヘキ甲號大驅逐艦ヲ 山風(ヤマカゼ) ト命名ス』
- ^ 福井、日本駆逐艦物語 1993, pp. 67a-68〈海風型〉
- ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.210『◎驅逐艦山風外一隻水雷艇鵯外二隻及掃海艇命名ノ件 昭和九年十一月二十四(達二〇一)』
- ^ 福井、日本駆逐艦物語 1993, p. 288日本海軍駆逐艦艦名一覧/山風(II)Yamakaze
- ^ a b 福井、日本駆逐艦物語 1993, p. 284日本海軍駆逐艦艦名一覧/山風(I)Yamakaze
- ^ a b c 福井、日本駆逐艦物語 1993, p. 67b.
- ^ #M44公文備考20/(海風山風)製造命令及予算(2)画像21
- ^ 「明治42年 達 完/11月(1) p.3」 アジア歴史資料センター Ref.C12070059600 『○達第百二十三號 長崎三菱造船所ニ於テ製造スヘキ甲號大驅逐艦ヲ
山 風 ト命名ス 明治四十二年十一月十五日 海軍大臣 男爵齋藤實』 - ^ a b #海軍制度沿革11-2(1972)pp.1068-1069、昭和3年2月14日(内令43)艦船要目公表範囲
- ^ #M44公文備考20/(海風山風)製造命令及予算(4)画像27、明治43年6月1日電報訳『山風本日起工ス(了)』
- ^ #M44公文備考20/(海風山風)進水式関係画像27、明治44年1月21日電報訳『駆逐艦山風無事進水セリ』
- ^ 『超駆逐艦 標的艦 航空機搭載艦』55ページ
- ^ 『超駆逐艦 標的艦 航空機搭載艦』58ページ
- ^ #M44公文備考20/(海風山風)製造命令及予算(4)画像6、明治44年10月21日山風機密第38号『山風領収ノ件 別紙写ノ通リ引渡領収證交換ノ上受領ヲ了シ候 右報告ス (別紙二通添) (終)』
- ^ a b 幕末以降海軍写真史実コマ94(原本150頁)『海風型(二隻) 艦種一等驅逐艦 艦名考風の種類に採る。以下風に因める驅逐艦總て然り。|海風(うみかぜ) 艦歴大正3-9年役從軍:南洋群島占領に参加、昭和5年除籍。|山風(やまかぜ) 艦歴大正3-9年從軍:南洋群島占領に参加、昭和5年除籍。|要目長94.49米/幅8.56米/吃/2.74米/排水量1,030噸/機關 パーソンタルビン3軸 艦本式罐8/馬力20,500/速力33/乗組人員140/船材 鋼/兵装 12糎砲2 機砲5 發射管4 探照燈2|海風 (起工)明治42-11-23/(進水)明治43-10-10/(竣工)明治44-9-28/(建造所)舞鶴工廠|山風 (起工)同43-6-1/(進水)同44-1-21/(竣工)同44-10-21/(建造所)三菱造船所』
- ^ #海軍制度沿革8(1971)p.72、達第114号『艦艇類別等級別表中驅逐艦ノ欄内「海風」ノ次ニ「山風」ヲ加フ』
- ^ #海軍制度沿革8(1971)pp.72-74、達第12号『艦艇類別等級別表ノ通リ改正ス』
- ^ 「大正4年3月3日(水) 海軍公報第766号 p.6」 アジア歴史資料センター Ref.C12070246100 『○郵便物送付先 第十六驅逐隊司令部及山風海風宛 三月四日ヨリ同八日マテ到着見込ノモノ 沼津ヘ』
- ^ #皇太子山風乗艦(1)p.31『大正四年三月五日午後二時 海軍大臣ヘ山風ヨリ 沼津着 第十六駆逐隊司令』
- ^ 「大正4年3月5日(金) 海軍公報第768号 p.11」 アジア歴史資料センター Ref.C12070246100 『○艦船所在【清水】(司令)山風、海風』
- ^ #昭和天皇実録第二100頁『(大正四年三月)五日 金曜日 午後一時、駆逐艦山風及び海風が沼津御用邸沖に来航し投錨する。ついで第十六駆逐隊司令桑島省三・山風艦長角田貫三・海風艦長小泉親治参邸につき、謁を賜う。その後、庭前の石垣上より、山風・海風の様子を御覧になる。』
- ^ 「大正4年3月6日(土) 海軍公報第769号 p.13」 アジア歴史資料センター Ref.C12070246100 『○艦船所在【江ノ浦】(司令)山風、海風』
- ^ #昭和天皇実録第二100-101頁『(大正四年三月)六日 土曜日(駆逐艦山風に御乗艦 三保松原)』
- ^ #皇太子山風乗艦(1)p.35『(発信宛略)皇太子殿下本日午前十一時山風ニ御乗艦清水ニ御航海三堡松原ニ御上陸午后三時半清水御発艦海上御都合ヨク午后五時御機嫌麗シク還啓アラセラル』
- ^ #昭和天皇実録第二101頁『(大正四年三月)七日 日曜日(駿河湾航行・大瀬三崎に御上陸)山風乗艦(供奉海風)沼津発大瀬岬上陸・帰艦後、山風にて自ら魚雷発射を試みる』
- ^ #皇太子山風乗艦(3)pp.3-4『附録第八号 魚雷発射方案』
- ^ 「大正4年3月8日(月) 海軍公報第770号 pp.15-16」 アジア歴史資料センター Ref.C12070246100 『○艦船所在【航海中】(司令)山風、海風(八日清水發横須賀ヘ)』
- ^ #皇太子山風乗艦(2)pp.8-11『第十六駆逐隊特別任務概報』
- ^ #御発着報告(大正9)p.3『(発信/宛略)東宮殿下 御豫定ノ通二十四日午前九時半軍艦香取御乗艦同十一時御機嫌麗ハシク御發航在ラセラル(了)』
- ^ 大正9年3月26日官報第2292号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ6『○東宮御發艦 皇太子殿下ハ一昨日二十四日午前六時四十分二條離宮御出門同七時京都驛御發車同八時五十五分神戸驛御著車御乗艦同十一時神戸港御發艦アラセラレタリ』
- ^ #昭和天皇実録第二552頁『(大正九年三月)二十四日 水曜日(神戸御出港)』
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- ^ #御発着報告(大正9)p.4『(発信/宛略)午後四時三十分 第二戰隊、海風、山風ヲ率ヰ鹿児島着、昨日末少雨濛気アリ風力五乃至六ナリシモ幸ニ終始追風ナリシ為艦ノ動揺少ナク速力モ豫期以上ニ出テ豫定通行動スルヲ得タリ 東宮殿下御機嫌麗ハシク渉ラセラル』
- ^ 大正9年3月27日官報第2293号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ7『○東宮御入港 皇太子殿下ハ一昨二十五日午後四時二十分鹿兒島港ニ御入港アラセラレタリ』
- ^ 「大正9年3月26日(金) 海軍公報第2250号 pp.32-33」 アジア歴史資料センター Ref.C12070269700 『○艦船所在【鹿兒島】(司令官)安藝、薩摩、香取、(司令)海風、山風』
- ^ #昭和天皇実録第二553-555頁(鹿児島県庁/島津侯爵別邸/城山/七高造士館/照國神社/伊敷練兵場/高等農林学校/)
- ^ #海軍制度沿革8(1971)pp.88-92『大正十五年十一月二十九日(内令二三八) 艦艇類別等級別表ノ通定ム(別表省略)』| 驅逐艦 | 一等 | 海風型 | 海風、山風 |
- ^ #海軍制度沿革4-1(1971)pp.87-88、内令265
- ^ #海軍制度沿革4-1(1971)p.92、内令350
- ^ a b #S9-12-31恩給叙勲年加算調査(下)/除籍艦艇/駆逐艦(3)画像6-7
- ^ #海軍制度沿革8(1971)p.94、内令第113号
- ^ 福井、日本駆逐艦物語 1993, pp. 68–69◇掃海艇への転用
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参考文献
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- 艦船模型スペシャル No.17 日本海軍 駆逐艦の系譜 1
- 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料編、KKベストセラーズ、1994年。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』普及版、光人社、2003年。
- 石橋孝夫『超駆逐艦 標的艦 航空機搭載艦 艦艇学入門講座/軍艦の起源とその発展』潮書房光人社、2017年、ISBN 978-4-7698-3006-1
- アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
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- 国立国会図書館デジタルコレクション - 国立国会図書館
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