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山形県立新庄神室産業高等学校真室川校

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山形県立新庄神室産業高等学校真室川校
地図北緯38度51分13.1秒 東経140度16分1.5秒 / 北緯38.853639度 東経140.267083度 / 38.853639; 140.267083座標: 北緯38度51分13.1秒 東経140度16分1.5秒 / 北緯38.853639度 東経140.267083度 / 38.853639; 140.267083
過去の名称 山形県立真室川高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 山形県
学区 北学区
校訓 自律・誠心・挑戦
設立年月日 1948年(昭和23年)4月1日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学期 3学期制
学校コード D106236450019 ウィキデータを編集
高校コード 06126D
所在地 999-5312
山形県最上郡真室川町大字新町字塩野947
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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山形県立新庄神室産業高等学校真室川校の位置(山形県内)
山形県立新庄神室産業高等学校真室川校

山形県立新庄神室産業高等学校真室川校(やまがたけんりつ しんじょうかむろさんぎょうこうとうがっこうまむろがわこう、Yamagata Prefectural Shinjō-Kamuro Industrial High School Mamurogawa Branch School)は、山形県最上郡真室川町大字新町字塩野にある県立高等学校

概要

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歴史
1948年昭和23年)に県立の新制高等学校として開校。当初は定時制高校であったが、1953年(昭和28年)には全日制を併置し、1964年(昭和39年)に定時制課程を廃止して完全な全日制の高校となった。2013年平成25年)に創立65周年を迎えた。
2015年(平成27年)には県立高校の再編により「山形県立新庄神室産業高等学校真室川校」(分校)となった[1]
設置課程・学科
全日制課程 普通科 1学年あたり1学級
校訓
「自律・誠心・挑戦」- 1998年(平成10年)に創立50周年を記念して制定された。
校章
蕗の薹をモチーフにしてデザインされ、中央に「真」の文字を置いている。1949年(昭和24年)に安彦好重によってデザインされた。デザイン生徒会誌のタイトル「蕗」は校章にちなんだもの。
校歌
1955年(昭和30年)に制定。作詞は安彦好重(校章の制作者と同じ)、作曲は岸登佐美による。
進路
進学と就職の割合がほぼ同じである。その中で進学の中では各種専門学校への進学が多く、4年制大学や短大への進学は少ない。

沿革

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  • 1948年(昭和23年)
    • 4月1日 - 「山形県立真室川高等学校」(定時制)の設立が認可される。
    • 5月3日 - 真室川小学校内に開校。普通・農業・家庭の2課程を設置。初代校長に正野徳治が着任。
    • 5月10日 - 安楽城小学校内に安楽城分校を開設。
    • 5月13日 - 豊田小学校内に豊里分校を開設。
    • 5月19日 - 及位分校(大滝分室・釜淵分室)を開設。
  • 1949年(昭和24年)10月1日 - 校章を制定。
  • 1951年(昭和26年)
  • 1952年(昭和27年)
    • 3月8日 - 真室川町他5ケ村(安楽城・及位・鮭川・豊田・豊里)で山形県立真室川高等学校建築一部事務組合を設立。
    • 3月31日 - 安楽城分校と豊里分校を廃止。
  • 1953年(昭和28年)4月1日 - 通常制普通課程(現・全日制課程普通科、2学級、定員80名)を併置。
  • 1954年(昭和29年)7月12日 - 体育館が完成。
  • 1955年(昭和30年)
    • 3月18日 - 調理室・用具室・理科準備室が完成。
    • 5月3日 - 校歌を制定。
  • 1956年(昭和31年)
    • 4月1日 - 通常課程普通科定員100名となる。
    • 5月3日 - 校旗を制定。デザインは山形県立山形工業高等学校の生徒による。視聴覚室・家庭科教室・社会科準備室が完成。
  • 1961年(昭和36年)
    • 3月31日 - 定時制課程の募集を停止。
    • 7月30日 - 図書館と音楽室が完成。
  • 1964年(昭和39年)
    • 3月31日 - 及位分校を廃止。 定時制課程を廃止。
    • 4月1日 - 全日制課程(3学級)を設置。
    • 7月1日 - 柔道場が完成。
  • 1966年(昭和41年)10月3日 - 体育館ステージが完成。
  • 1968年(昭和43年)
  • 1971年(昭和46年)3月 - スポーツ後援会を設立。
  • 1977年(昭和52年)
  • 1981年(昭和56年)
  • 1987年(昭和62年)2月28日 - 銃剣道場が完成。
  • 1988年(昭和63年)
  • 1992年(平成4年)
    • 3月31日 - 教育用コンピュータを導入。
    • 12月24日 - 駐輪場2棟が完成。
  • 1994年(平成6年)7月25日 - 産業振興施設家庭科棟が完成。
  • 1996年(平成8年)11月20日 - 旧調理実習室と準備室を多目的教室、ロッカー室等に改装。
  • 1998年(平成10年)10月3日 - 創立50周年記念式典を挙行。校訓を制定。
  • 1999年(平成11年)
    • 4月1日 - 普通科が2学級80名定員となる。
    • 4月24日 - スポーツ後援会を学校後援会に統合。
  • 2000年(平成12年)10月1日 - 勤労体験学習の一環としてあずまやが完成。
  • 2003年(平成15年)
    • 4月24日 - 教育目標をもとに「育成する人間像」を制定。
    • 5月26日 - 朝読書を開始。
  • 2004年(平成16年)7月26日 - 学校ホームページの公開を開始。
  • 2006年(平成18年)6月13日 - 学校林(分収造林)を解約。
  • 2009年(平成21年)12月14日 - 管理棟と教室棟の耐震補強工事を完了。
  • 2013年(平成25年)4月1日 - 普通科1学級40名定員となる。
  • 2015年(平成27年)4月1日 - 統合により「山形県立新庄神室産業高等学校真室川校」に改称[1]
    • 普通科としての募集および校舎の使用は継続される。真室川高校1・2年修了者をそのまま真室川校2・3年生として収容。
    • 新庄神室高等学校本校との間にキャンパス制[2]を導入[1]

部活動

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スキー部(クロスカントリー)が全国大会で好成績を挙げている。かつては銃剣道部も存在した。

体育系
文化系

著名な出身者

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  • 青木富美子(同窓生・教諭) - スキークロスカントリーオリンピック代表

交通アクセス

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最寄りの鉄道駅

脚注

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  1. ^ a b c 各地区の高校教育の在り方に関する検討委員会の開催状況と県立高校再編整備計画 (PDF) - 山形県ウェブサイト
  2. ^ 1学年1~3学級の高校(小規模校)が、将来の統合を視野に、地域の協力の下、近隣の高校と連携・交流することにより、適正規模の高校に準じた教育環境を確保する制度。【出典】山形県立高等学校キャンパス制設置要綱 (PDF) 山形県ウェブサイト

関連項目

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外部リンク

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