大津市身体障害者リンチ致死事件
大津市身体障害者リンチ致死事件 | |
---|---|
正式名称 | 大津市身体障害者リンチ致死事件 |
場所 | 日本: 滋賀県大津市 |
標的 | 16歳(当時)の定時制高等学校1年生 |
日付 | 2001年(平成13年)3月31日 |
攻撃手段 | 暴行 |
攻撃側人数 | 少年5名(うち主犯格2名) |
死亡者 | 標的に同じ人物 |
被害者 | 標的に同じ人物 |
犯人 | 少年A(当時15歳)、同B(同17歳) |
容疑 | 暴行による傷害致傷罪(のちに傷害致死に切り替え) |
動機 | 被害者が普通科の高等学校の試験に合格したことを快く思わなかったことによる腹いせ |
対処 | 主犯格2名=保護観察、その他匿っていた少年3人=不処分 |
賠償 | 6000万円(主犯格2名に対して) |
管轄 | 滋賀県警察大津警察署 |
この項目には暴力的または猟奇的な記述・表現が含まれています。 |
大津市身体障害者リンチ致死事件(おおつししんたいしょうがいしゃリンチちしじけん)とは、2001年(平成13年)3月31日、滋賀県大津市にある小学校の給食室の裏庭で、身体に障害がある少年X(当時16歳)が2人の少年、A(当時15歳)とB(当時17歳)からの執拗な暴行によって死亡した事件である。
概要
[編集]被害者について
[編集]被害者Xは生前、大津市立皇子山中学校に在学していたが[1]、同校の3年生であった1999年(平成11年)8月、盗難したオートバイに無免許で乗車中に、自動車との接触による交通事故に遭い、右脳に障害を負う脳挫傷で重体になる。搬送先の病院で生死の境をさまよいつつも一命を取り留めた。
その後は左半身不随状態であったが、リハビリテーションで歩行できるようになるまで回復するに至った。中学を卒業した被害者は、2000年に引き続きリハビリテーションをしながら、当初は定時制高等学校に通学していたが、定時制高校を退学して改めて全日制高校を受験し、2001年3月27日、全日制高校に合格した。この時、被害者は16歳であった。
事件の発生
[編集]2001年3月31日、被害者の全日制高校合格を快く思っていなかった定時制高校に通う2人の少年A(当時15)とB(同17)が「合格のお祝いにカラオケに連れて行ってやる」と被害者を呼び出した。被害者は「友達が初めてのアルバイトの給料で、僕の合格祝いをしてくれる」と喜んで母に伝えた。
待ち合わせ場所の小学校では、2人の少年ならびにそれを取り囲む別の少年3人が待ち伏せていた。少年らは被害者とは別の中学校出身で、共通の友達がいるという程度の関係にあった。少年らは被害者に「なぜ全日制に行くのか? 定時制にいろよ」「障害者のくせに生意気だ」と、被害者を同小学校の裏庭にある給食室の搬入口に連れて行き、被害者に対して執拗な暴力を始める。
被害者に対し、顔への平手打ち・殴打や足・腹への蹴りを入れるなどし、被害者はあごが外れ、顔面も腫れるなどして意識不明になる。さらに、抵抗できない被害者を別の場所に移して、プロレスのバックドロップで頭からコンクリートに叩きつけた。さらに、「こいつは障害者だからすぐに狸寝入りをする。プールに放り込んで目覚めさせよう」と被害者に対し水をかけた。立ち会った少年らは「このままでは(被害者が)死んでしまう」と考えて救急車を呼ぼうとするが、主犯格の2人は「そんなことしたらパクられるだろうが」と怒鳴り、被害者を物陰に隠して、少年らはパチンコ屋に行ったという。
また、この小学校の近くに住む老人が、自宅の2階から暴行の様子を見ていたが、老人はそのまま買い物に出かけて警察への通報はしていなかった。
被害者の死
[編集]Aは「俺たちで被害者をぼこぼこにした。小便たれて泡吹いて気絶してる」と自慢して回っていた。それを聞いた被害者の友人が現場の小学校に駆けつけ、意識不明となった被害者を見つけ、被害者の母に電話した。被害者は大津市民病院に搬送され、開頭手術をするものの、暴行によって頭部が腫れ上がり、内出血が激しい状態であった。執刀医から「助かる見込みは1%もない」と告げられる。被害者の母が待合室にいたAに暴力の理由について問うと、Aは「むかついていた」という。 事件から約1週間が経過した4月6日、急性硬膜下血腫により死亡した。
少年審判
[編集]しかし、この事件は少年法の改正がなされた前日(新法律は同年4月1日施行)だったため、5人は逮捕され大津家庭裁判所は主犯格の2人を刑事裁判にかけることなく少年審判により、初等少年院送致の保護処分を決定。その他の3人は処分なしで釈放された。
その後
[編集]2001年8月、被害者の母親は主犯格の2人とその保護者に対し、9500万円(後に1億円)の損害賠償を求めて提訴した。そして2003年6月に少年院を退院した2人が和解協議に参加し、被害者遺族に「一生かけて償う」と述べて謝罪。同7月3日、6000万円の賠償を支払うことで和解した。
さらに2004年、被害者の母は立ち会った少年3人とその家族らに対して3000万円の損害賠償を求めて提訴したが、2006年5月、この訴えは棄却された。大津地方裁判所は「3人は見張り役だったことを否定し、死亡予見性はなく、通報の義務もない」とした。3人は出廷した尋問において「死ぬとは思わなかった。自分が止めたら何かされると思った」と証言。大津地裁の裁判長は「3人は暴行を直接加えておらず、助長したこともない。制止する法的義務はない」とした。
更に12月、大阪高等裁判所で控訴審が行われたが「死の可能性は予想できたが、法的な責任は問えない」として控訴を棄却。更に2008年2月、最高裁判所に上告を行うが、救護義務があったとは言いがたいとして上告は棄却された。
2011年に起きた大津いじめ自殺事件での被害者生徒も、本事件の被害の母校である市立皇子山中学校に通学していた[1]。これを受けて本事件の被害者の母は、2012年8月29日から9月2日にかけて大津市内の「大津百町館」で、いじめが原因で自殺したり暴行で死亡したりした生徒約20人についての写真展示会を開催し[1]、命の大切さを訴えた[2]。このパネル展「ジェントルハートメッセージ」は、いじめで子供を失った親たちでつくるNPO法人「ジェントルハートプロジェクト」が不定期に全国で開催しているもので、8月29日は被害者の誕生日でもある[3]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 事件詳細1
- 同2
- 被害者遺族の公式サイト[リンク切れ]
- 「息子たちの無念伝えたい」 大津市でパネル展開催[リンク切れ](47ニュース)