大津市身体障害者リンチ致死事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search

大津市身体障害者リンチ致死事件(おおつし しんたいしょうがいしゃ リンチちしじけん)とは、2001年3月31日滋賀県大津市にある大津市立平野小学校の給食室の裏庭で、身体障害者の16歳の少年が2人の少年からの執拗な暴行によって死亡した事件である。

概要[編集]

被害者について[編集]

被害者が中学校3年生だった1999年8月オートバイ乗車中に自動車との接触による交通事故に遭い、右に障害を負う脳挫傷重体になる。搬送先の病院で生死の境をさまよいつつも一命を取り留めた。

その後左半身不随状態であったが、リハビリテーションで歩行が出来るようになるまで回復するに至った。中学を卒業した被害者は、2000年に引き続きリハビリテーションをしながら、当初は定時制高等学校に通学していたが、定時制高校を退学して改めて全日制高校を受験し、2001年3月27日、全日制高校に合格した。この時、被害者は16歳であった。

事件の発生[編集]

2001年3月31日、被害者の全日制高校合格を快く思っていなかった定時制高校に通う2人の少年A(当時15)とB(同17)が「合格のお祝いにカラオケに連れて行ってやる」と被害者を呼び出した。被害者は「友達が初めてのアルバイトの給料で、僕の合格祝いをしてくれる」と母に喜んで伝えるが、この時まだ被害者が事件の犠牲になろうとは誰も予想していなかった。

待ち合わせ場所の平野小学校では、2人の少年ならびにそれを取り囲む別の少年3人が待ち伏せていた。彼らは被害者とは別の中学校出身で、共通の友達がいるという程度の関係にあった。少年らは被害者に「何で全日制に行くんだ? 定時制にいろよ」「障害者のくせに生意気だ」と、被害者を同小学校の裏庭にある給食室の搬入口に連れて行き、被害者に対して執拗な暴力を始める。

被害者に対し、顔へのビンタ・パンチや足・腹への蹴りを入れるなどして被害者はあごが外れ、顔面も腫れるなどして意識不明になる。さらに、身体障害者で抵抗出来ない被害者を別の場所に移して、プロレスバックドロップで頭からコンクリートに叩きつけてしまう。そしてさらに「こいつは障害者だからすぐに狸寝入りをする。プールに放り込んで目覚めさせよう」と被害者に対し水もかけた。立ち会った少年らは「このままでは(被害者が)死んでしまう」として救急車を呼ぼうとするが、主犯格の2人は「そんなことしたらパクられる(密告される)だろうが」と怒鳴り、被害者を物陰に隠して、少年らはパチンコ屋に行ったという。

また、この小学校の近くに住む老人が自宅の2階から暴行の様子を見ていたが、老人はそのまま買い物に出かけ警察への通報はしていなかった。

被害者の死[編集]

Aは「俺たちで被害者をぼこぼこにした。小便たれて泡吹いて気絶してる」と自慢して回っていた。それを聞いた被害者の友人が現場の小学校に駆けつけ、意識不明となった被害者を見つけ、被害者の母に電話連絡をする。被害者は大津市民病院に搬送され、集中治療室で治療・開頭手術をするものの、暴行によって頭蓋骨が異常なまでに腫れ上がり、また内出血もひどい状態だったといい、執刀医は「助かる見込みは1%もないだろう。もし助かったとしても、寝たきりの状態で自力で立ち上がることもできず、臭いも味も何もわからない高度な植物人間状態にしかならないが、それもまずありえないだろう」と、事実上の危篤を告げられる。その時、待合室にはAがおり、被害者の母がAに暴力の理由について問うと、Aは「むかついていた」という。

4月5日、被害者は集中治療室から個室病棟に移された。これは、集中治療室では肉親でも面会・付き添い時間の制限があるためで、少しでも母と一緒の時間を作ってあげたいとする、病院側の配慮だった。母は被害者に対して必死に謝罪し、被害者は永遠の別れの前に涙を流したという。こうして、事件から約1週間が経過した4月6日急性硬膜下血腫で息を引き取った。同病院は被害者の出生、そして交通事故からのリハビリなど思い出のある場所であり、そこでの最期となった。被害者が亡くなった2日後の4月8日に告別式が営まれたが、この日は、被害者が生存していれば編入する予定だった全日制高校の入学式の日であった。

少年審判[編集]

しかし、この事件は少年法の改正がなされた前日(新法律は同年4月1日施行)だったため、5人は逮捕され大津家庭裁判所は主犯格の2人を刑事裁判にかけることなく少年審判により、初等少年院送致の保護処分を決定。その他の3人は処分なしで釈放された。

その後[編集]

2001年8月、被害者の母は主犯格の2人とその保護者に対し、9500万円(後に1億円)の損害賠償を求めて提訴した。そして2003年6月に少年院を退院した2人が和解協議に参加し、被害者遺族に「一生かけて償う」と述べて謝罪。同7月3日、6000万円の賠償を支払うことで和解した。

さらに2004年、被害者は立ち会った少年3人とその家族らに対して3000万円の損害賠償を求めて提訴したが、2006年5月、この訴えは棄却された。大津地方裁判所は「3人は見張り役だったことを否定し、死亡予見性はなく、通報の義務もない」とした。3人は出廷した尋問において「死ぬとは思わなかった。自分が止めたら何かされると思った」と証言。大津地裁の裁判長は「3人は暴行を直接加えておらず、助長したこともない。制止する法的義務はない」とした。

更に12月大阪高等裁判所で控訴審が行われたが「死の可能性は予想できたが、法的な責任は問えない」として控訴を棄却。更に2008年2月最高裁判所に上告を行うが、救護義務があったとは言いがたいとして上告は棄却された。

この事件の犠牲になった被害者の母は、2012年8月に大津市内にある「大津百町館」で、いじめによる殺害や自殺をした生徒約20人についての写真展示会を開催し「人生は何度でもやり直せる。つらいことがあっても命を大切にしてほしい」と訴えている。また、2011年に起きた大津市中2いじめ自殺事件で自殺を図った生徒も、この事件の被害者と同じ中学校に通っていたという。

関連項目[編集]

出典・外部リンク[編集]