南部敦子

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南部 敦子(なんぶ あつこ、本名:糠澤敦子、1934年 - 1970年10月5日)は、日本の陸上競技選手。アジア大会陸上女子100m金メダリスト。1950年代を代表する選手として活躍した。大阪府千里山出身。京都光華高等学校卒業。南部忠平の長女。

1953年、インターハイ5種競技において2944点の日本新記録を樹立して優勝。高校卒業後は光華陸上クラブに所属。1954年マニラでのアジア競技大会において100mを12”5で走り優勝。太平洋戦争以来冷え切っていたフィリピン国民の対日感情改善に寄与した。日本選手権では400MRに光華陸上クラブチームの一員として参加し、優勝。また、この年5種競技では3098点をたたき出し、日本記録を更新した。しかしその後体調を崩し、メルボルンオリンピックへの出場を逃がして引退。

引退後結婚し、一男一女に恵まれたが1970年、東京都内で自動車事故により逝去した。

関連資料[編集]

「Mabuting Loob Atsuko Nambu – A Filipino Memory」(よい心根の南部敦子 - フィリピン人の心覚え)著者:Amadio Arboleda 出版社:アテネオ・デ・マニラ大学出版局


外部リンク[編集]