今町
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いままち 今町 | |
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今町の雁木(2020年3月) | |
廃止日 | 1956年9月1日 |
廃止理由 |
編入合併 今町 ⇒ 見附市 |
現在の自治体 | 見附市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 |
中部地方、北陸地方 甲信越地方 |
都道府県 | 新潟県 |
郡 | 南蒲原郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
7,491人 (国勢調査[1]、1955年10月1日) |
隣接自治体 | 中之島村、福島村、大面村、見附市 |
今町役場 | |
所在地 | 新潟県南蒲原郡今町大字今町[2] |
座標 | 北緯37度32分48秒 東経138度53分15秒 / 北緯37.54667度 東経138.88753度座標: 北緯37度32分48秒 東経138度53分15秒 / 北緯37.54667度 東経138.88753度 |
ウィキプロジェクト |
今町(いままち)は、新潟県南蒲原郡に存在した町。1956年9月1日に隣接する見附市への編入合併により消滅した。見附市に合併する直前の地方自治体としての今町の区域は、現在の見附市立今町小学校、今町中学校の校区とほぼ一致する。
地理
[編集]新潟県のほぼ中央、越後平野の中にあり、北部には広大な農地が広がる。西と南には刈谷田川が流れる。
歴史
[編集]刈谷田川の舟運により、川湊の町として栄えた[4]。川戸(船着き場)と表通りの間には何本もの「小路」が設けられた[5]。繊維産業を基幹としていた見附とは異なり、今町は商業が中心であった[6]。
- 1665年(寛文5年) - 新発田藩が羽賀新田を町場にするように町割を行い、名称を今町新田に改称[5]。
- 1889年4月1日 - 町村制施行により南蒲原郡今町が誕生。
- 1925年4月1日 - 南蒲原郡坂井村 (下関村、三林村、坂井村の合併した村)を編入。
- 1956年9月1日 - 見附市への編入合併により消滅。
文化
[編集]- 今町・中之島大凧合戦
- 郷土玩具 今町べと人形[7]
脚注
[編集]- ^ 都道府県市区郡町村別人口,人口増加数(昭和25年~30年),面積および人口密度 昭和30年国勢調査 政府統計の総合窓口
- ^ 全國市町村便攬 六版、p.271
- ^ “風のはなし 第3回”. いまなか風便り (地域復興調査研究協議会) 3. (2009-02-01) .
- ^ a b “歴史巡りジオラマで 見附・今町地区 道の駅にお目見え 戊辰戦争の史跡、川湊を再現”. 新潟日報. (2015年12月24日)
- ^ a b 今町の歴史散歩 今町戊辰戦争マップ 改訂版 (Report). 見附市地域経済課. 2016.
- ^ 見附市今町地区の概要 - 地域復興調査研究協議会 - ウェイバックマシン(2015年4月16日アーカイブ分)
- ^ “カムバックほっこり”. ふうど (株式会社タカヨシ) 50. (2020) .
参考文献
[編集]- 『全國市町村便攬 六版』全國教育圖書、1949年9月5日。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 地域復興調査研究協議会 - ウェイバックマシン(2015年4月16日アーカイブ分)