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中標津駅

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中標津駅
中標津駅(1989年3月)
なかしべつ
Nakashibetsu
所在地 北海道標津郡中標津町東2条南2丁目
北緯43度32分55秒 東経144度58分35秒 / 北緯43.54861度 東経144.97639度 / 43.54861; 144.97639
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
電報略号 ナヘ
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線
開業年月日 1934年昭和9年)10月1日[1]
廃止年月日 1989年平成元年)4月30日[1][2]
乗入路線 2 路線
所属路線 標津線
キロ程 47.1 km(標茶起点)
当幌 (6.4 km)
(8.1 km) 上武佐
所属路線 標津線(支線)
キロ程 0.0 km(中標津起点)
(5.4 km) 協和
備考 標津線廃線に伴い廃駅
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1977年の中標津駅と周囲約750m範囲。右上が根室標津方面、左下へ上側本線標茶方面と下側厚床支線厚床方面の2本が並行する。車庫線には転車台が残されている。その駅裏には新しくコンテナ基地が設けられている。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

中標津駅(なかしべつえき)は、北海道標津郡中標津町東2条南2丁目にかつて設置されていた、北海道旅客鉄道(JR北海道)標津線(廃駅)である。電報略号ナヘ事務管理コードは▲111705[3]

駅跡地には中標津町交通センターが建てられている。

歴史

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  • 1925年(大正14年)5月:殖民軌道根室線の中標津停留場が設置される。
  • 1934年(昭和9年)10月1日:鉄道省標津線(初代)西別駅〔→別海駅〕 - 当駅間開業に伴い開業[4][1]。釧路機関庫中標津駐泊所設置。
  • 1937年(昭和12年)
    • 10月30日:標津線(初代)第4工区(当駅 - 根室標津駅)と標茶線(建設名。営業路線としての名称は計根別線)第4工区(計根別駅 - 中標津駅)の同時開業に伴い次のように変更[5][6][7][8]
      • 計根別線(建設名:標茶線)の名称を標津線(2代)に変更
      • 今回開業区間は標津線(初代)第4工区を含む全線を標津線(2代、標茶駅 - 根室標津駅)として開通
      • 標津線(初代)は標津線(2代)の支線(中標津駅 - 厚床駅)として編入[7][8]
    • 同年:殖民軌道根室線の残存部分(中標津 - 開陽)と中標津停留場が、北海道庁から運行組合に移管。
  • 1943年(昭和18年):殖民軌道中標津停留場が廃止となる。
  • 1963年(昭和38年):中標津駐泊所の火災により、ディーゼルカー2台、モーターカー1台を焼失。
  • 1968年(昭和43年)11月21日:駅舎改築、跨線橋竣工[9]
  • 1973年(昭和48年)10月18日コンテナ基地新設。
  • 1982年(昭和57年)11月15日貨物の取り扱いを廃止[2]
  • 1984年(昭和59年)2月1日荷物扱い廃止[2]
  • 1987年(昭和62年)4月1日国鉄分割民営化に伴い、北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となる[1][2]
  • 1989年(平成元年)4月30日:標津線の廃線に伴い、廃駅となる[1][2]

駅名の由来

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町名より。

駅構造

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廃止時点では、単式1面と島式1面、計2面3線のプラットホーム(国鉄型配線)と線路を有する地上駅であった。駅舎は、構内の北側(標茶に向かって右側)にあった。

番線 路線 方向 行先
1 標津線 下り 根室標津方面
2 標津線 上り 標茶釧路方面
3 標津線(厚床支線) 上り 厚床方面

その他に、南側に3本の主要側線があった。

貨物および荷物取り扱い廃止までは、貨物積降場が2箇所有り、1箇所は北側(駅舎側)根室標津方面に有って切欠きホームへ貨物積降線が引かれ、もう一つは南側根室標津方面の貨物ホーム、後のコンテナ取り扱い場へ引かれていた。 その他に、根室標津方面は本線左右に2本、標茶方面は南側に1本、計3本の留置線(引き上げ線)が有り、また根室標津方面の本線と南側貨物ホームの間に転車台と車庫へ向かう入出区線が1本あった。取り扱い廃止後はこれらの内の南側2本に、新たに車庫が設けられた。

利用状況

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乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。

年度 乗車人員 出典 備考
年間 1日平均
1978年(昭和53年) 735 [10]

駅周辺

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隣の駅

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北海道旅客鉄道
標津線(本線)
当幌駅 - 中標津駅 - (東標津信号場) - 上武佐駅
標津線(支線)
中標津駅 - 協和駅

脚注

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  1. ^ a b c d e 石野 1998, p. 928.
  2. ^ a b c d e 石野 1998, p. 927.
  3. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、247頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362023年4月2日閲覧 
  4. ^ 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、168頁。ASIN B000J9RBUY 
  5. ^ 中標津町史編さん委員会 編『中標津町史』中標津町、1981年、1049-1065頁。doi:10.11501/9570446https://doi.org/10.11501/95704462023年4月15日閲覧 
  6. ^ 別海町百年史編さん委員会 編『別海町百年史 本編』別海町、1978年、1389-1394頁。doi:10.11501/9569942https://doi.org/10.11501/95699422023年4月14日閲覧 
  7. ^ a b 鉄道省告示第399号」『官報』第3244号、大蔵省印刷局、1936年10月21日、doi:10.11501/29597302023年4月15日閲覧 
  8. ^ a b 鉄道省告示第400号」『官報』第3244号、大蔵省印刷局、1936年10月21日、doi:10.11501/29597302023年4月15日閲覧 
  9. ^ 中標津町史編さん委員会 編『中標津町史』中標津町、1981年、1064-1065頁。doi:10.11501/9570446https://doi.org/10.11501/95704462023年4月15日閲覧 
  10. ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、917頁。doi:10.11501/12065814https://dl.ndl.go.jp/pid/12065814 

参考文献

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  • 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日。ISBN 978-4-533-02980-6 

関連項目

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