中央資料隊
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中央資料隊 | |
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シンボルマーク | |
創設 | 1954年(昭和29年)10月15日 |
廃止 | 2007年(平成19年)3月27日 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 陸上自衛隊 |
部隊編制単位 | 隊 |
兵科 | 諸職種混成 |
兵種/任務 | 公刊情報収集・整理・通訳 |
所在地 | 東京都 新宿区 |
編成地 | 越中島 |
最終上級単位 | 防衛大臣直轄 |
担当地域 | 日本全国 |
中央資料隊(ちゅうおうしりょうたい、英語:Central Intelligence Service Unit ; C-ISU)は、市ヶ谷駐屯地にあった防衛大臣直轄の情報部隊。
概要
[編集]陸上幕僚監部調査部(現運用支援・情報部)に対する情報支援(出版物の翻訳、地誌資料の収集・作成及び解析、国賓等に対する通訳支援)を主任務としていた。2007年3月27日付で廃止となり、翌28日、中央情報隊隷下の基礎情報隊として再編された。なお、昭和42年当時の中央資料隊の隊員数は229名であった[1]。
過去には各方面隊にも方面資料隊が編成されていたが、1978年(昭和53年)1月に方面総監部調査部の資料課に吸収され廃止された(2010年以降、方面情報隊として順次編制開始)。
沿革
[編集]資料隊
中央資料隊
- 1956年(昭和31年)7月12日:中央資料隊に改称。
- 1960年(昭和35年)1月14日:市ヶ谷駐屯地に移駐。
- 1967年(昭和42年)5月17日:檜町分屯地に移駐。
- 1974年(昭和49年)4月11日:檜町分屯地が駐屯地に昇格。
- 2000年(平成12年)3月:市ヶ谷駐屯地に移駐。
- 2007年(平成19年)3月27日:中央資料隊(市ヶ谷駐屯地)が廃止。
廃止時の組織
[編集]- 中央資料隊本部
- 第1科(東欧諸国に関する情報資料の収集整理を担当)
- 第2科(中近東諸国を除くアジア諸国に関する情報資料の収集整理を担当)
- 第3科(北米及び中南米諸国、西欧諸国、中近東諸国及びアフリカ諸国に関する情報資料の収集整理を担当)
- 第4科(国内に関する情報資料の収集整理を担当)
- 第5科(2個以上の科(整理科と電子計算機科は除く)の所掌事務に関連する情報資料の総合的な収集整理、並びに外国文書等の翻訳及び通訳を担当)
- 技術科(科学技術情報資料の収集整理を担当)
- 地誌科(国内及び国外の自然及び人文地理の調査、資料の整理、地誌の編纂、地域研究並びにこれらに必要な理論、技術の研究を担当)
- 整理科(情報資料の接受と選別及び整理保管、海外報道の受信、情報資料の複製等の業務を担当)
- 電子計算機科(電子計算機の管理及び運用を担当)
代 | 氏名 | 在職期間 | 前職 | 後職 |
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1 | 樋口忠 (2等陸佐) |
1954年10月15日 - 1955年11月14日 | ||
2 | 宮崎正雄 (2等陸佐) |
1955年11月15日 - 1959年 | 3月16日防衛大学校総務部管理課長 | 陸上幕僚監部第2部勤務 |
3 | 渡部悦郎 | 1959年 ※1960年 2月 1日 1等陸佐昇任 |
3月17日 - 1960年 7月31日第4管区総監部補給課長 | 陸上幕僚監部補給課需品班長 |
4 | 鈴木義雄 | 1960年 ※1961年 7月 1日 1等陸佐昇任 |
8月 1日 - 1963年 3月15日東北方面総監部勤務 | 第29普通科連隊長 兼 倶知安駐とん地司令 |
5 | 広瀬進 | 1963年 | 3月16日 - 1965年 3月15日陸上自衛隊調査学校研究員 | 第5普通科連隊長 |
6 | 大平四年生 | 1965年 | 3月16日 - 1967年 7月16日西部方面総監部第2部長 | 陸上幕僚監部付 →1968年1月1日 退職(陸将補昇任) |
7 | 林憲男 | 1967年 | 7月17日 - 1970年 7月15日東部方面総監部付 | 陸上幕僚監部第2部勤務 |
8 | 平原一男 | 1970年 | 7月16日 - 1972年 7月16日西部方面総監部第2部長 | 中央資料隊勤務 |
9 | 大橋政夫 | 1972年 | 7月17日 - 1974年 3月15日陸上自衛隊航空学校第1教育部長 | 調達実施本部 宇都宮駐在官事務所長 |
10 | 池本愈 | 1974年 | 3月16日 - 1976年 3月15日中部方面総監部第2部長 | 陸上自衛隊調査学校長 (陸将補昇任) |
11 | 松田哲郎 | 1976年 | 3月16日 - 1977年 7月31日富士教導団副団長 | 陸上幕僚監部総務課付 →1977年10月12日 停年退官 (陸将補昇任) |
12 | 山田尚志 | 1977年 | 8月 1日 - 1979年 1月 9日第39普通科連隊長 兼 弘前駐とん地司令 |
中央調査隊長 |
13 | 廣木亨 (陸将補) |
1979年 | 1月10日 - 1980年 7月31日第5師団司令部幕僚長 | 陸上幕僚監部付 →1981年1月1日 退職 |
14 | 狩野信行 (陸将補) |
1980年 | 8月 1日 - 1981年 7月31日中央資料隊勤務 | 第1師団副師団長 兼 練馬駐とん地司令 |
15 | 鈴木覺 (陸将補) |
1981年 | 8月 1日 - 1982年 6月30日陸上幕僚監部調査部調査第2課勤務 | 陸上自衛隊調査学校長 |
16 | 志賀謙三 | 1982年 | 7月 1日 - 1984年 3月15日中部方面総監部調査部長 | 自衛隊熊本地方連絡部長 |
17 | 金澤孝一 | 1984年 ※1985年12月 3日 陸将補昇任 |
3月16日 - 1986年 3月16日第37普通科連隊長 兼 信太山駐屯地司令 |
北部方面総監部幕僚副長 |
18 | 小林三郎 | 1986年 | 3月17日 - 1987年 7月31日陸上自衛隊調査学校研究部長 | 退職(陸将補昇任) |
19 | 鍬田利夫 | 1987年 | 8月 1日 - 1989年 3月31日陸上自衛隊九州地区補給処副処長 | 退職(陸将補昇任) |
20 | 出口猛 | 1989年 | 4月 1日 - 1990年 7月 8日中部方面総監部総務部長 | 第4師団副師団長 兼 福岡駐屯地司令 |
21 | 緒方宏 | 1990年 | 7月 9日 - 1993年 3月31日防衛大学校教授 | 退職(陸将補昇任) |
22 | 園部宏明 | 1993年 | 4月 1日 - 1995年 6月29日陸上幕僚監部調査部調査第2課長 | 第4施設団長 兼 大久保駐屯地司令 |
23 | 山岸征洋 | 1995年 | 6月30日 - 1996年 6月30日陸上幕僚監部人事部募集課長 | 第4師団副師団長 兼 福岡駐屯地司令 |
24 | 嶋野隆夫 | 1996年 | 7月 1日 - 1997年12月 7日統合幕僚会議事務局第1幕僚室 総務運営調整官 兼 総務班長 |
陸上自衛隊調査学校長 (陸将補昇任) |
25 | 村田拓生 | 1997年12月 | 8日 - 1999年 7月31日第1空挺団副団長 | 中央調査隊長 |
26 | 山縣正明 | 1999年 | 8月 1日 - 2002年12月 1日第2師団司令部幕僚長 | 退職(陸将補昇任) |
27 | 横山一 | 2002年12月 | 2日 - 2004年 3月31日第8師団司令部幕僚長 | 退職(陸将補昇任) |
28 | 森節夫 | 2004年 | 4月 1日 - 2006年12月 5日第2師団司令部幕僚長 | 退職(陸将補昇任) |
末 | 宇都昌治 | 2006年12月 | 6日 - 2007年 3月27日情報本部 | 中央情報隊副隊長 |
脚注
[編集]- ^ 昭和42年7月4日衆議院内閣委員会における島田豊政府委員答弁。
参考文献
[編集]- 中央資料隊20年のあゆみ