一之御前神社

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一之御前神社

一之御前神社社頭
所在地 愛知県名古屋市熱田区神宮1丁目1番1号
位置 北緯35度7分40.63秒 東経136度54分29.85秒 / 北緯35.1279528度 東経136.9082917度 / 35.1279528; 136.9082917 (一之御前神社)座標: 北緯35度7分40.63秒 東経136度54分29.85秒 / 北緯35.1279528度 東経136.9082917度 / 35.1279528; 136.9082917 (一之御前神社)
主祭神 天照大神荒魂[1]
創建 景行天皇年間あるいは天武天皇在位年間(諸説あり)
地図
一之御前神社の位置(名古屋市内)
一之御前神社
一之御前神社
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一之御前神社(いちのみさきじんじゃ)は、愛知県名古屋市熱田区にある神社である。熱田神宮境内摂社のひとつ。

概要[編集]

創建は景行天皇年間とも天武天皇在位年間ともいわれる[注 1]。本宮からみて北西方向、「こころの小径」と呼ばれる参拝道の奥まったところにあるが、現在地には1893年(明治26年)に移転したもので、それ以前には現本宮の南東付近にあった[注 2]

祭神として天照大神荒魂(あまてらすおおかみあらみたま)を祀る[1]。荒魂とは激しく動的な事象を生み出す神霊をいい、勇猛さ・進取の象徴ともなる。熱田神宮でこれが祀られる由縁も、伊勢神宮荒祭宮北緯34度27分22秒 東経136度43分30秒 / 北緯34.45611度 東経136.72500度 / 34.45611; 136.72500があることと同義とされる[1]

「宮中第一の摂神」[注 3]とされ、本宮とのきわめて近しい関係のほか、忠誠心の強い側近のような印象もうかがわれる。本宮での神事の際、古くは必ず最初に当社に供物を奉じることが慣わしとなっており、このことは「鬼食い」(毒味)の意味を持つともいう[注 4]
このことから、祭神の別説、あるいは相神として、大伴武日命(おおとものたけひのみこと)を祀ったとする説も古くからみられる[6]天野信景深田正韶がこの説を支持する一方、津田正生は「信じがたし」と切り捨てている[7]。『尾張志』によれば、大伴武日命は日本武尊の東征時に吉備武彦命(きびたけひこのみこと)と共に左右の副将軍として尊を支えた武人で[注 5]龍神社(祭神は吉備武彦命)と当社が本宮の両脇に衛士のように座することもこの故事に由縁があるという[9]
江戸時代以前は龍神社と相殿であったようで、それぞれ別社とすることの要望が大宮司宛口上書(1686年6月5日(貞享3年4月15日)付)として残っている[注 6]。この願いは聞き届けられ、以来、一之御前神社と龍神社は現在に至るまで独立して存在している。

社名の由来としては、「魂」を「美佐岐(みさき)」と訓ずることが『倭姫命世記』などで知られており[11]、ゆえに「一ノ魂(いちのみさき)」と書かれたとする説[注 7]686年朱鳥元年)に朝廷から還座した草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)がまず納められた仮宮であったとする説[注 8]、本宮5神[注 9]のうち第1の御前(ごぜん)である天照大神そのものを指すとする説[注 10]などが知られる。「一神前(いちのみさき)」[注 11]、「一御崎(いちのみさき)」[注 12]とも書かれた。

脚注[編集]

注釈
  1. ^ 「日代宮(景行天皇)御宇、建荒魂宮ヲ別祭荒祭神ヲ」(『熱田大神宮御鎮座次第神体本記』[2]
  2. ^ 旧正殿から見ての方角はやはり北西方向になる。(『明治二十六年四月熱田神宮改築及明治以前建造物位置推定図』[3]
  3. ^ 『熱田大神宮御鎮座次第神体本記』[2]、『熱田神宮記』[4]など。
  4. ^ 「本宮ヲ祭ル時ハ、必先ッアラミサキヘ供御ヲ備フ、今世俗ニ云、ヲニクイト云フカ如シ」(『尾州神宮秘伝』[5]
  5. ^ 『日本書紀』(巻第七景行天皇)[8]
  6. ^ 「一ノ御前社・龍神社別社願候」[10]
  7. ^ 『熱田本社末社神体尊命記集説』[12]
  8. ^ 『熱田大神宮神体伝聞書』[13]
  9. ^ 天照大神、素盞嗚尊(すさのおのみこと)、日本武尊(やまとたけるのみこと)、宮簀媛命(みやすひめのみこと)、建稲種命(たけいなだねのみこと)。
  10. ^ 『尾張志』[14]、『熱田神宮記』[4]
  11. ^ 『熱田大神宮御鎮座次第神体本記』[2]
  12. ^ 『熱田本社末社神体尊命記』[15]
出典
  1. ^ a b c 『熱田神宮』:20ページ
  2. ^ a b c 『熱田神宮史料 縁起由緒編』:139ページ
  3. ^ 『名古屋市史 地図』
  4. ^ a b 『熱田神宮史料 縁起由緒編』:363ページ
  5. ^ 『熱田神宮史料 縁起由緒続編(一)』:7ページ
  6. ^ 『熱田神宮史料 縁起由緒編』:156ページ
  7. ^ 『尾張国地名考』:75ページ
  8. ^ 『仮名日本書紀 上巻』:289ページ
  9. ^ 『尾張志熱田』:9ページ
  10. ^ 『熱田神宮史料 造営遷宮編 上巻』:412ページ
  11. ^ 『国史大系 第七巻』:497ページ
  12. ^ 『熱田神宮史料 縁起由緒続編(一)』:34ページ
  13. ^ 『熱田神宮史料 縁起由緒続編(一)』:184ページ
  14. ^ 『尾張志熱田』:8ページ
  15. ^ 『熱田神宮史料 縁起由緒編』:171ページ

参考文献[編集]

  • 『国史大系 第七巻』 経済雑誌社、1898年(明治31年)8月6日
  • 深田正韶 等編 『尾張志熱田』 博文社、1898年(明治31年)
  • 名古屋市役所 『名古屋市史 地図』 名古屋市役所、1915年(大正4年)12月5日
  • 津田正生 『尾張国地名考』 愛知縣海部郡教育會、1916年(大正5年)8月20日
  • 植松安 『仮名日本書紀 上巻』 阪本眞三、1920年(大正9年)6月28日
  • 熱田神宮宮庁 『熱田神宮』 熱田神宮宮庁、1997年(平成9年)12月30日
  • 熱田神宮宮庁 『熱田神宮史料 縁起由緒編』 熱田神宮宮庁、2002年(平成14年)3月17日
  • 熱田神宮宮庁 『熱田神宮史料 縁起由緒続編(一)』 熱田神宮宮庁、2005年(平成17年)7月7日

外部リンク[編集]