ラモン・デッカー
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基本情報 | |
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通称 |
地獄の風車 ザ・ダイアモンド |
身長 | 172cm |
体重 | 60kg〜72kg(現役時) |
誕生日 | 1969年9月4日 |
出身地 | オランダ・ブレダ |
死没日 | 2013年2月27日(43歳没) |
スタイル | キックボクシング、ムエタイ |
ラモン・デッカー(Ramon Dekkers, 1969年9月4日 - 2013年2月27日 )は、オランダ出身の元格闘家。
キックボクシングおよびムエタイで8度も世界王者に輝き、格闘王国オランダが生んだキック界の至宝と評された。KOを恐れないフルスイング回転の攻撃と鬼気迫る闘志から「地獄の風車」と呼ばれ、その驚異のKO率からムエタイの本場タイでは「ザ・ダイアモンド」とも称された。
来歴
[編集]- 1986年、16歳でコー・ヘマーズに入門(ヘマーズはオランダ・キックボクシング創成期の選手で、長い戦歴を誇るデッカーの唯一のトレーナー。後にデッカーの母親と結婚し、義理の父子となる)。デッカーとヘマーズは、2人で試行錯誤しながらトレーニング方法を作り上げることからスタートした。
- 入門から数か月後、KO勝利でプロデビュー。
- 1987年11月、年齢制限の特例を受け、17歳でタイトルマッチに挑戦し、オランダ王者となった。
- 1988年、2つの選手権でヨーロッパ王者となった。
- 1989年12月、オランダにてマンゴンダム・シットチャンを激戦の末に僅差判定で破り、IMTA世界ライト級王者になる。
- 1990年2月、オランダにてタイのルンピニー現役フェザー級1位(前王者)ナンポン・ノンキーパーフユットを判定で下し、IMF世界ライトウェルター級王座を獲得。再戦で敗れるも、以後、オランダで現役ルンピニージュニアライト級王者のチェアリー・ソー・ワニットを1RKO、ルンピニージュニアフェザー王者スーパーレック・ソンイーサンと互角の末、判定負け。9月15日、ドイツでラジャダムナンジュニアライト級2位ソンバット・ソー・タニクンに判定勝ちするなど、ムエタイ一流選手と2勝2敗のその功績が認められ、同年11月にルンピニー・スタジアム・ライト級王座への挑戦が実現する(王者イッサラー・サックリーリンに判定負け)。外国人選手がムエタイ王座に挑むのが許されたのは、実に日本の藤原敏男以来の快挙であった。この後、同国の将来有望な選手の称号である「ダイアモンド」と呼ばれた。
- 1992年、ルンピニー・スタジアムにて、現役ライト級王者のコーバーン・ルークチャオメーサイトーンを1RKOする。タイで年間優秀選手の特別賞に選ばれた。同国で最も有名な外国人と言われた。以後も日本を含む多くの国の大会で活躍を続けた。
- 1997年3月23日、オランダでライアン・シムソンと対戦し、2R終了時に左目負傷によりTKO負け。
- 2001年3月18日、オランダ「2H2H」で引退興行。マリノ・デフローリンを相手にKO勝利。華々しいエンディング・セレモニーに送られて引退。その後はゴールデン・グローリーで打撃コーチを務めながら、自らも総合格闘技の練習に取り組んだ。
- 2005年3月26日、総合格闘技大会HERO'Sで現役復帰。須藤元気と対戦するも、ヒールホールドで一本負け。
- 2005年7月20日、「K-1 WORLD MAX 2005 世界一決定トーナメント」のスーパーファイトに出場し、ドゥエイン・ラドウィックと対戦。1Rに左ストレートでダウンを奪い、3R判定3-0で勝利した。本人によれば、試合前のウォーミングアップで右腕を痛めたという。
- 2013年2月27日、サイクリングトレーニングをしている最中に突然の体調不良に陥り、そのままトンネルに激突し昏倒。同伴の仲間が救急に連絡し急遽ヘリコプターによって病院に搬送されたが、死亡が確認された(43歳没)[1]。
主な戦績
[編集]キックボクシング
[編集]キックボクシング 戦績 | ||||||
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206 試合 | (T)KO | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 | |
186 勝 | 95 | 2 | ||||
18 敗 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | 大会名 | 開催年月日 |
× | ユーリ・メス | 3R終了 判定 | It's Showtime(K-1 WORLD GP 2006 in AMSTERDAM) | 2006年5月13日 |
○ | ドゥエイン・ラドウィック | 3R終了 判定3-0 | K-1 WORLD MAX 2005 〜世界一決定トーナメント決勝戦〜 【スーパーファイト】 |
2005年7月20日 |
○ | マリノ・デフローリン | 4R 0:18 TKO | 2H2H - Simply The Best【ムエタイルール】 | 2001年3月18日 |
△ | 新田明臣 | 5R終了 判定0-1 | K-1 J・MAX | 2000年11月1日 |
× | 小比類巻貴之 | 1R終了時 TKO(右脛負傷) | K-1 RISING 2000 | 2000年1月25日 |
○ | 緒形健一 | 4R 2:58 KO(フック連打) | シュートボクシング『GROUND ZERO TOKYO』 【WPKL世界ジュニアミドル級タイトルマッチ】 |
1998年11月14日 |
○ | 吉鷹弘 | 5R終了 判定3-0 | Shoot the Shooto XX【キックボクシングルール】 | 1998年4月26日 |
× | ダニー・ビル | 5R終了 判定 | フランス | 1997年11月22日 |
○ | ハッサン・カスリオイ | 3R KO | Night of Dynamite | 1997年10月11日 |
× | ライアン・シムソン | 2R終了時 TKO(左目負傷) | オランダ | 1997年3月23日 |
○ | 港太郎 | 1R 1:33 KO | マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟 | 1995年6月2日 |
× | サックモンコン・シットチューチョーク | 判定 | ルンピニー・スタジアム | 1991年11月26日 |
この節の加筆が望まれています。 |
総合格闘技
[編集]総合格闘技 戦績 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
1 試合 | (T)KO | 一本 | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 |
0 勝 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1 敗 | 0 | 1 | 0 | 0 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | 大会名 | 開催年月日 |
× | 須藤元気 | 1R 2:54 ヒールホールド | HERO'S | 2005年3月26日 |
獲得タイトル
[編集]- オランダフェザー級王座
- MTBN欧州フェザー級王座
- NKBB欧州スーパーフェザー級王座
- IMTA世界ライト級王座
- IMTF世界スーパーライト級王座
- IMF世界ライトウェルター級王座
- WPKL世界ウェルター級王座
- WPKL世界スーパーウェルター級王座
- WPKF世界ミドル級王座
- WPKL世界ミドル級王座
脚注
[編集]- ^ “伝説のキックボクサー、ラモン・デッカーが事故死”. eFight (2013年2月28日). 2018年3月22日閲覧。