マートリカ・プラサード・コイララ
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マートリカ・プラサード・コイララ(Matrika Prasad Koirala, 1912年1月1日 - 1997年9月11日)はネパールの政治家。首相を2期務める。特に最初の任期は、ラナ宰相家の支配の終焉の後の最初の首相であった。
首相任期は次のとおり。
生涯
[編集]1951年、トリブバン国王は強力な指導力を持つビシュエシュワル・プラサード・コイララをよく思わず、同じ会議派のマートリカを首相とした[1]。
1952年、ビシュエシュワル派の閣僚三人が内閣から離脱したため、内閣総辞職追い込まれた[2]。そのため、マートリカは離党し、国民民主党を結成した。
1953年、国王はマートリカに再び組閣を命じた。だが、閣僚は彼を含めて5人しかおらず、所属政党以外の全政党が反発した[3]。
1955年、会議派や共産党の反発からマートリカは辞職し、内閣は崩壊した[4]。
親族
[編集]弟
[編集]- ビシュエシュワル・プラサード・コイララ ネパール首相(ネパール会議派)
- ギリジャー・プラサード・コイララ ネパール首相(ネパール会議派)
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 佐伯和彦『世界歴史叢書 ネパール全史』明石書店、2003年。