ラナ・ジャンガ・パンデ

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ラナ・ジャンガ・パンデ

ラナ・ジャンガ・パンデネパール語: रणजंग पाण्डे英語: Rana Jang Pande1789年 - 1843年4月18日)は、ネパールの政治家。同国首相を2期務める。ダモダル・パンデの息子。

首相任期は次のとおり。

  1. 1837年
  2. 1839年 - 1840年

生涯[編集]

1804年、ラナ・ジャンガの父ダモダル・パンデは法王ラナ・バハドゥル・シャハとの対立の末に殺害された[1]。このとき、二人の兄弟も殺害されたが[1]、彼は助命された。

1837年、執権ビムセン・タパが失脚すると、ラナ・ジャンガ代わって執権に任命された。だが、この時はすぐに解任され、ランガ・ナート・パウデルが執権になった[2]

だが、パウデルはその年に辞職し、1839年に執権になった王族プシュカル・シャハもラナ・ジャンガの前ではなすすべもなく、辞任した[3]。この年にビムセンは獄死した。

1840年、ラナ・ジャンガは再び執権に任じられたが、ラジェンドラ王との対立もあって、同年のうちに罷免された[4]。後任は王族のファッテ・ジャンガ・シャハがついた。

1843年、死去した。

脚注[編集]

  1. ^ a b 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.509
  2. ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.530
  3. ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.531
  4. ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.533

参考文献[編集]

  • 佐伯和彦『ネパール全史』明石書店、2003年。 

関連項目[編集]