ポール・ムルダース

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ポール・ムルダース
名前
本名 ポール・デ・ラ・クルス・ムルダース
ラテン文字 Paul Mulders
基本情報
国籍 フィリピンの旗 フィリピン
オランダの旗 オランダ
生年月日 (1981-01-16) 1981年1月16日(43歳)
出身地 アムステルダム
身長 183cm
体重 83kg
選手情報
在籍チーム フィリピンの旗 グローバルFC
ポジション MF(AMF)/FW
背番号 7
利き足 右足
ユース
1985-1989 オランダの旗 ゼーブルヒア
1989-1997 オランダの旗 アヤックス
1997-2000 オランダの旗 ハールレム
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2000-2005 オランダの旗 ハールレム 114 (20)
2005-2007 オランダの旗 カンブール 60 (5)
2007-2009 オランダの旗 オムニワールド 60 (11)
2009-2011 オランダの旗 アペルドールン 58 (9)
2011-2013 オランダの旗 ADOデン・ハーグ 13 (0)
2013 フィリピンの旗 グローバル 3 (0)
2014 オランダの旗 カンブール 12 (0)
2014-2017 フィリピンの旗 セレス 11 (1)
2017- フィリピンの旗 グローバル 1 (0)
代表歴2
2011-  フィリピン 40 (2)
1. 国内リーグ戦に限る。2017年5月7日現在。
2. 2017年10月10日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ポール・デ・ラ・クルス・ムルダースPaul de la Cruz Mulders[1]1981年1月16日 - )は、オランダフィリピンのサッカー選手。フィリピン代表。ポジションはMF

クラブ歴[編集]

ユース[編集]

彼はアムステルダムにてオランダ人の父親とフィリピンのイサベラ州出身の母親の間に末子として生まれた[2][3]。4歳の時にAVVゼーブルヒアでサッカーを始め、8歳でアヤックス・アムステルダムのアカデミーに加入、16歳まで在籍した[4][5]

ハールレム[編集]

1997年にHFCハールレムに移籍、このクラブはアヤックスのユースに所属した選手がサッカーを続けるために移籍するクラブでもあった[6]。その後2000年にトップチームに昇格し、10月14日に行われたエールステ・ディヴィジBVフェーンダム戦で19歳にしてプロ初出場となった。彼が注目を浴びたのは2003年8月6日に行われたアヤックスとの親善試合で、ズラタン・イブラヒモビッチワンベルトを擁するアヤックスからアムステルダム・アレナで得点を奪ったのである[7]。ハールレムには2000年から2005年にかけて在籍し、114試合20得点の結果を残し、特にロイ・ウェッセリンフ監督の下ではウィンガーとして重宝された。

カンブール[編集]

2004-05シーズン終了後にフリーの身となると、ハールレムのチームメイトであるリック・ホーアイブールと共にSCカンブールに移籍。24歳の彼はここで2年契約を締結[4]。ここではストライカーとして起用され、60試合で5得点の結果であった。しかし彼の在籍2シーズン目となった2006-07シーズンにクラブの財政問題が悪化し順位を落とさざるを得ない状況になった。結果として彼と6人の選手の契約は更新されず、放出となった[6][8]

オムニワールド[編集]

2007-08シーズンに先だって彼はオーストリアに向かったが最終的にはFCオムニワールドに加入した[2][9]。元来攻撃的ミッドフィールダー、セカンドストライカーが適切なポジションであった彼はこのクラブで活躍し、60試合で11得点の結果を残した。またここでは当時アシスタントトレーナーであったペーター・ファン・フォッセンと共に過ごし良い関係を構築したが、AGOVVアペルドールンで再開する事となる[6]

AGOVVアペルドールン[編集]

2009年2月3日にAGOVVアペルドールンに2シーズンの契約で移籍する事が発表され、同年夏にはジョン・ファン・デン・ブロム監督、ペーター・ファン・フォッセンアシスタントコーチの下、熱心にトレーニングを積んだ[10][11]。ファン・デン・ブロム監督によって彼の才能は開花、そしてチームも向上し、2009-10シーズンはナセル・シャドリラモン・レーウィンチロ・エントコジェレミー・ボキラらと共に昇格プレーオフに漕ぎ付けるという彼にとってのベストシーズンになった[12]

ADOデン・ハーグ[編集]

2010年8月にはアペルドールン時代の恩師であるファン・デン・ブロム監督が新たに就任するADOデン・ハーグに彼を連れていきたいと望んでいる事が広く報じられたものの、この移籍は実現しなかった[13]。さらに2010-11シーズンの冬の移籍市場も閉まりかけた頃合にはPFCズウォレが冬の補強として彼を渇望している事が報じられたがこれも実現しなかった[14]。最終的には2011年4月末に1年の延長オプションつきの2年契約でADOデン・ハーグに加入する事が報じられた[15]

2011年8月4日に行われたUEFAヨーロッパリーグ 2011-12 予選オモニア・ニコシア戦でADOデン・ハーグ移籍後、そしてUEFAヨーロッパリーグ初出場を果たした[16]。この試合で彼は32分にアーメド・アミに代えて投入されてのデビューとなった。試合自体は1-0で勝利したが、2戦合計のスコアは3-1で敗北した[17]。同月7日にはリーグのフィテッセ戦に出場、12シーズン目のオランダにして初めてのエールディヴィジ出場となった[16]

チェンライ・ユナイテッド[編集]

2013年1月にはタイ・プレミアリーグに所属するチェンライ・ユナイテッドFCからオファーが来ていると報じられたが、冬の移籍市場が閉まるまでに合意に達せず移籍はならなかった[18][19]。ADOデン・ハーグとの契約が切れるのに先だった2013年7月、カンブール時代のチームメイトであるアドナン・バラカットの助力を受けてタイに渡りチェンライ・ユナイテッドのテストマッチに参加したものの、同クラブの新監督は彼にオファーしなかった。

グローバルFC[編集]

無所属の身になった彼はシンガポール・カップ要員としてグローバルFCに加入した[20]

カンブールへの復帰[編集]

2014年1月20日には半年のアマチュア契約で古巣のカンブールに復帰した[21]

セレスFC[編集]

2014年夏にセレスFCに加入[22]

グローバルFCへの復帰[編集]

2017年にはグローバルFCに復帰。フィリピン・フットボールリーグ初シーズン開幕節のJPVマリキナFC戦ではペナルティキックを決めた[23]

代表歴[編集]

2011年、ADOデン・ハーグへの移籍が決まった直後に彼の友人と従兄弟は彼のファンページをfacebookに作成した。このページはフィリピンサッカー連盟の目に留まり、彼はフィリピン代表に招集された[24][25][26]。彼自身は今迄のサッカー歴と映像、そして何よりADOデン・ハーグと契約したという事実が代表招集へと繋がったと述べている[3][25]

2011年6月初めにマニラに渡り、フィリピンの旅券を取得。スリランカ代表との2014 FIFAワールドカップ・アジア1次予選の最終メンバーに選ばれた[27]。同月29日にアウェーで行われたスリランカ代表戦で代表初出場、試合は1-1の引分に終わった。ホームで迎えた2戦目では4-0と粉砕し、2次予選クウェート代表戦へと駒を進めた[28][29]。しかしコロンボで行われたスリランカ代表戦で受けたスライディングによる怪我を引き摺ってしまい、クウェート代表戦には招集されなかった[30]

10月7日に行われたシンガポール代表との親善試合で代表に復帰したが、2-0で敗北した[31]。11日に行われた親善試合のネパール代表戦では17分にフィリップ・ヤングハズバンドの得点をアシストし、4-0の勝利の黒子として活躍した[32][33]

その後、2012 AFFスズキカップのメンバーとして招集され、11月24日に行われた同大会のタイ王国代表戦で代表初得点を記録した[34]

2015年11月を以て代表に招集されなくなり、2016年3月16日に代表支配人のダン・パラミはムルダースが代表を引退する事を認めた[35]。しかし、2017年10月10日に行われたAFCアジアカップ2019イエメン代表戦で代表復帰[36]

個人成績[編集]

2017年11月9日現在

代表での得点一覧

# 日附 場所 対戦相手 得点 結果 大会
1. 2012年11月24日 タイ王国の旗 バンコクラジャマンガラ・スタジアム  タイ 2-1 2-1 2012 AFFスズキカップ
2. 2014年11月28日 ベトナムの旗 ハノイミーディン国立競技場  ベトナム 3-1 3-1 2014 AFFスズキカップ

参考文献[編集]

  1. ^ Paul Mulders profile”. AFF Suzuki Cup official website. 2013年7月6日閲覧。[リンク切れ]
  2. ^ a b van Batenberg, René (2008年2月25日). “Leo Mulders en zijn Apengatje” (Dutch). De Telegraaf Sportfamilie 
  3. ^ a b Gonzales, Mav C. (2011年10月10日). “Know your Azkals: Paul Mulders is a mama’s boy”. GMA News (Global Media Arts). http://www.gmanetwork.com/news/story/234824/sports/know-your-azkals-paul-mulders-is-a-mama-s-boy 2012年1月29日閲覧。 
  4. ^ a b De Jong, Rob (2005年9月30日). “Mulders heeft zijn draai gevonden bij Cambuur” (Dutch). Friesch Dagblad. http://www.frieschdagblad.nl/index.asp?artID=25842 2011年6月8日閲覧。 
  5. ^ Hizon, Charles (2011年6月8日). “Talk of the Town: Who is Paul Mulders?”. Soccer Central Philippines. http://www.soccercentral.ph/feature/talk-town-who-paul-mulders 2011年6月8日閲覧。 
  6. ^ a b c Roos, Yorick (2011年9月15日). “De bijzondere zomer van 'Filippijn' Paul Mulders” (Dutch). AD Haagsche Courant. http://www.adofans.nl/article/08610/De_bijzondere_zomer_van__Filippijn__Paul_Mulders.htm 2012年1月29日閲覧。 
  7. ^ “Uitslagen oefenduels voorbereiding” (Dutch). Voetbal International. (2003年8月9日). http://www.vi.nl/Nieuws-item/50219/Uitslagen-oefenduels-voorbereiding.htm 2012年1月31日閲覧。 
  8. ^ “Zeven spellers weg bij Cambuur” (Dutch). Leeuwarder Courant. (2007年3月28日). http://www.fcupdate.nl/voetbalnieuws/62752/zeven-spelers-weg-bij-cambuur/ 2012年1月29日閲覧。 
  9. ^ “Mulders van Cambuur naar Omniworld” (Dutch). FC Update. (2007年6月22日). http://www.fcupdate.nl/voetbalnieuws/70892/mulders-van-cambuur-naar-omniworld/ 2012年1月29日閲覧。 
  10. ^ “AGOVV haalt Mulders en Van Toor” (Dutch). JupilerLeague.nl. (2009年2月3日). http://www.jupilerleague.nl/nieuws/agovv-haalt-mulders-en-van-toor_1006.php 2012年1月29日閲覧。 [リンク切れ]
  11. ^ Mulders en Van Toor volgen elkaars spoor naar AGOVV” (2009年2月3日). 2017年11月9日閲覧。
  12. ^ “AGOVV Apeldoorn alsnog naar play-offs” (Dutch). de Stentor. (2010年1月25日). http://www.destentor.nl/sport/agovv-apeldoorn-alsnog-naar-play-offs-1.3128579 2011年8月6日閲覧。 
  13. ^ “AGOVV dreigt na Leeuwin ook Suart en Mulders kwijt te raken” (Dutch). Voetbal Zone. (2010年8月19日). http://www.voetbalzone.nl/doc.asp?uid=116483 2011年6月9日閲覧。 
  14. ^ Oosterheert, Jeroen (2011年4月28日). “Paul Mulders vertrekt naar ADO Den Haag” (Dutch). Almere Vandaag. http://www.almerevandaag.nl/nieuws/sportregionaal/article8859481.ece/Paul-Mulders-vertrekt-naar-ADO-Den-Haag 2011年6月9日閲覧。 
  15. ^ De Ruiter, Jurre (2011年4月26日). “ADO legt De Vogel vast en verrast met Mulders” (Dutch). Voetbal Primeur. http://www.voetbalprimeur.nl/site/nieuws/164289/ADO_legt_De_Vogel_vast_en_verrast_met_Mulders.html 2011年6月8日閲覧。 
  16. ^ a b Duijzer, Glenn (2011年8月9日). “Paul Mulders: "Immers en Bulykin niet vergelijken, het zijn verschillende spelers’’” (Dutch). Haaglanden Voetbal. http://www.haaglandenvoetbal.nl/?pid=63&news%5Biid%5D=9901 2012年1月29日閲覧。 
  17. ^ “ADO mist legio kansen en kan Europa League vergeten” (Dutch). Voetbal Zone. (2011年8月4日). http://www.voetbalzone.nl/doc.asp?uid=144068 
  18. ^ Rolloos, Harold (2013年2月1日). “Voetballer Paul Mulders Naar Chiangrai United” (Dutch). Hier is Thailand.nl. http://www.hieristhailand.nl/voetballer-paul-mulders-naar-chiangrai-united/ 2013-08-016閲覧。 
  19. ^ “Transfermarkt: topclubs houden zich gedeisd” (Dutch). de Stentor. (2013年1月31日). http://www.destentor.nl/2.2545/sport/transfermarkt-topclubs-houden-zich-gedeisd-1.3639054/ 2013年8月6日閲覧。 
  20. ^ Decena, Karl (2013年7月23日). “Azkals midfielder Paul Mulders beefs up Global for Singapore Cup campaign”. InterAKTV. http://www.interaksyon.com/interaktv/azkals-midfielder-paul-mulders-beefs-up-global-for-singapore-cup-campaign 2013年7月23日閲覧。 
  21. ^ Voetbalprimeur.nl (2014年1月20日). “Filipijns international als 'amateur' naar Cambuur”. Voetbalprimeur.nl. http://www.voetbalprimeur.nl/nieuws/item/filipijns-international-als-amateur-naar-cambuur 2014年1月20日閲覧。 
  22. ^ Ceres FC out to prove football supremacy in UFL top division” (2014年9月14日). 2017年11月9日閲覧。
  23. ^ Global Cebu FC wins PFL debut against JPV Marikina behind Paul Mulders’ penalty goal” (2017年5月7日). 2017年11月9日閲覧。
  24. ^ Tupas, Cedelf (2011年6月29日). “Stephan Schrock, Paul Mulders proud Filipinos”. Philippine Daily Inquirer. http://sports.inquirer.net/6066/stephan-schrock-paul-mulders-proud-filipinos 2012年1月29日閲覧。 
  25. ^ a b van Boven, Johan (2012年1月25日). “International dankzij Facebook” (Dutch). Spits Nieuws. http://www.spitsnieuws.nl/archives/sport/2012/01/international-dankzij-facebook 2012年1月29日閲覧。 
  26. ^ Stravers, Wout (2012年1月25日). “Mulders door Facebook Filipijns international” (Dutch). Voetbal Primeur. http://www.voetbalprimeur.nl/site/nieuws/204217/Mulders_door_Facebook_Filipijns_international.html 2012年1月29日閲覧。 
  27. ^ Manahan, John Paul (2011年6月8日). “Azkals 23-man WCQ lineup unveiled”. Soccer Central Philippines. http://www.soccercentral.ph/news/azkals-23-man-wcq-lineup-unveiled 2011年6月8日閲覧。 
  28. ^ Match report: Sri Lanka – Philippines”. FIFA.com. Fédération Internationale de Football Association. 2012年1月29日閲覧。
  29. ^ ADO-middenvelder Mulders beleeft Filipijns succes” (Dutch). vi.nl. Voetbal International. 2012年1月29日閲覧。
  30. ^ Gonzales, Mav C. (2011年7月18日). “Azkal Mulders might not play against Kuwait”. GMA News. http://www.gmanetwork.com/news/story/226562/sports/azkal-mulders-might-not-play-against-kuwait 
  31. ^ Tupas, Cedelf (2011年10月11日). “Philippine Azkals play host to Nepal side Tuesday night”. Inquirer Sports. http://sports.inquirer.net/19847/philippine-azkals-play-host-to-nepal-side-tuesday-night 
  32. ^ Tupas, Cedelf (2011年10月11日). “Philippine Azkals crush Nepal, 4–0”. Inquirer Sports. http://sports.inquirer.net/20021/philippine-azkals-crush-nepal-4-0 
  33. ^ “Mulders wint met Filippijnen” (Dutch). ADO Den Haag. (2011年10月11日). http://adodenhaag.nl/nieuws/laatste-nieuws/news/detail/4341_news 
  34. ^ Thailand 2 Philippines 1”. AFF Suzuki Cup. 2017年11月9日閲覧。
  35. ^ Paul Mulders retired from Philippines national team”. Football Channel Asia (2016年3月18日). 2016年3月18日閲覧。
  36. ^ Yemen vs. Philippines”. 2017年11月9日閲覧。

外部リンク[編集]