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ヒマラヤ美術館

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ヒマラヤ美術館 とは、かつて愛知県名古屋市中村区太閤1-23-1に存在した美術館ヒマラヤ製菓が運営していた。

概況

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ヒマラヤ製菓の創業者・津田弘は、長年にわたり絵画をコレクションしており、これを元に設立。「ヒマラヤセンター」の2階・3階がヒマラヤ美術館、1階はケーキ販売店舗と喫茶室であった。

玄関先の野外には、サモトラケのニケ像が展示してあった。杉本健吉展示室[1]三岸節子作品室[2])、近代日本洋画室の展示室を設置して、最盛期の総点数は200点近くにのぼった。

2002年平成14年)12月、洋菓子店所有と財団法人所有の作品の管理が一体化していたため、財団法人所蔵の作品も洋菓子店の借金の担保とされ、担保流れとなった結果、持ち去られ売却されていることが判明。三岸節子の『ヴェネチア』等、有名な絵画が流出してしまった。このことをきっかけに閉館された[3]

財団法人が提出した財産目録によると、2001年(平成13年)3月には約70点・帳簿上で約2億3578万円相当の美術品があったが、2002年(平成14年)3月には18点、約1125万円となっていることが、2002年(平成14年)12月18日愛知県教育委員会の発表により明らかになる[4]

運営母体のヒマラヤ製菓は2004年(平成16年)1月29日に自己破産。株式会社ムッターハムに買収されることにより再開されたが、同社が親会社の株式会社フジチクとともに牛肉偽装事件を起こし、同年11月22日に自己破産。

所蔵作家・作品

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  • 三岸好太郎 - 『少年』(1931年頃作品)、『三人』(1933年作品)
  • 三岸節子 - 『室内』(同題2作、1936、1940年頃作品)、『静物』(1953年作品)、『囚』(1960年作品)、『二つの壺』(1962年作品)、『太陽賛(Ⅱ)』(1965年作品)、『群がる鳥』(1966年作品)、『永久花』(1967年作品)、『カーニュの赤い階段』(1969年作品)、『飛ぶ鳥』(1973年作品)、『ヴェネチア'73』(1973年作品)、『花(3)』(1973年作品)、『ブルゴーニュの一本の木』(1973年作品)[5][6]
  • 杉本健吉 - 『西の京』
  • 岸田劉生
  • 梅原龍三郎 - 『裸婦』
  • 鬼頭鍋三郎 - 『二人のバレリーナ』
  • その他、愛知県出身の画家

略歴

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  • 1977年昭和52年)3月 - 開館。
  • 1983年(昭和58年) - 財団法人化。
    • 4月26日 財団法人ヒマラヤ博物館が、愛知県博物館協会に加盟する[7]
  • 2002年平成14年)12月末 - 閉館。
    • 愛知県博物館協会の退会は、資料記述によると同年11月12~13日[7]

関連

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その他

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建物は閉館後数年間は残っていた(『名古屋発 レトロを訪ねて2 〜Retropolitan Journey〜』 名古屋市中村区太閤 栄へ、そして再び駅西へ 2006/03/05(日))。

2021年令和3年)現在は既に解体され、跡地は専門学校のグラウンドになっている。

脚注

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  1. ^ 杉本健吉 - 車木工房 によると、1977年の美術館開館とともに設置
  2. ^ 画家・三岸節子 - 三岸美術館 によると、1977年の美術館開館とともに設置
  3. ^ 特別講座「美術館は静かにどこへ向かうのか」第1回「美術館の閉館は誰の問題なのか?」 - 美学校 2015年1月25日 記事中にある講演会資料 閉館した美術館2015.1.6
  4. ^ ヒマラヤ美術館閉鎖へ/三岸節子らの作品流失 - 2002年12月18日 四国新聞記事
  5. ^ 三岸節子『花こそわが命 三岸節子自選画文集』求龍堂、p.Ⅰ-Ⅳ
  6. ^ 三岸節子『三岸節子作品集』ビジョン企画出版社、p.23-51
  7. ^ a b 愛知県博物館協会40年史

外部リンク

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