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ジョージ・B・マクレラン・ジュニア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジョージ・B・マクレラン・ジュニア
第93代ニューヨーク市長[1]
任期
1904年1月1日 – 1909年12月31日[2]
前任者セス・ロー
後任者ウィリアム・ジェイ・ゲイナー
アメリカ合衆国下院議員
ニューヨーク州 12区選出
任期
1895年3月4日 – 1903年12月21日
前任者ウィリアム・バーク・コックラン
後任者ウィリアム・バーク・コックラン
個人情報
配偶者ジョージアナ・ルイーズ・ヘクシャー (1863 - 1952)

ジョージ・ブリントン・マクレラン・ジュニア(George Brinton McClellan, Jr.、1865年11月23日 - 1940年11月30日)はアメリカ合衆国の政治家、作家、歴史家、[3]教育者。

経歴

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両親が訪問中のザクセン王国ドレスデンで生まれた。父ジョージ・マクレランが知事を務めていたニュージャージー州トレントンの学校に通い、後にニューヨーク州オッシニングの聖ジョン校に入学した。1885年から1888年までニューヨーク陸軍州兵を務めた。[4]1886年、プリンストン大学文学士、1889年に同校大学院で芸術修士号を修めた。を取得した。後にプリンストン大学、フォーダム大学ユニオン大学から名誉法学博士を受けた。その後、New York Worldなどの新聞社で記者や編集者を務めた。1892年、弁護士会に入り、書記官、ブルックリン橋出納官などを務めた。

1892年から1894年までニューヨーク市議会議長、同年市長代行を務めた。1895年にアメリカ合衆国下院議員(民主党所属)と選出され、1903年後半に市長になるために辞任した。下院では、米国下院歳入委員会委員を務めた。1903年11月、現職のセス・ローを破り、ニューヨーク市長となり、2年間務めた。市長任期が4年間に戻され、1905年に再選されたが、1909年の3期目の再選は不可能であった。

プリンストン大学でpublic affairs についての Stafford Little講師(1908 - 1910)、大学講師(1911 - 1912)を務め、その後、経済史教授に任命された。

新しいメディアが社会のモラルを破壊し、セルロイドフィルムは火災事故の元だと主張して、1908年のクリスマスイブ、全ての映画放映権を取り消し、映画検閲を行った。[5]

1904年10月27日、ニューヨーク市初の地下鉄・都市間高速交通 (IRT) が開通した。シティ・ホール駅で始発列車を発車させると、列車が止まらなくなるアクシデントがあった。しかし、103丁目駅に達するまで、制御を放棄することを拒否し、楽しんでいた。

1917年5月、第一次世界大戦に陸軍兵站部少佐として従軍し、1919年5月、中佐で除隊した。子供を儲けぬまま、1940年にワシントンD.C.で死亡し、アーリントン国立墓地に埋葬された。[4][6]

著作

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  • The Oligarchy of Venice. Boston: Houghton Mifflin, 1904.
  • The Heel of War. New York: G.W. Dillingham Company, 1916.
  • Venice and Bonaparte. Princeton: Princeton University Press, 1931.
  • Modern Italy: A Short History. Princeton: Princeton University Press, 1933.
  • The Gentleman and the Tiger: The Autobiography of George B. McClellan, Jr. Philadelphia: J.B. Lippincott, 1956.

参考文献

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Notes

  1. ^ "The Green Book: Mayors of the City of New York" Archived 2012年5月14日, at the Wayback Machine. on the official NYC website]
  2. ^ Arlington National Cemetery”. アーリントン国立墓地. 2007年2月14日閲覧。
  3. ^ McClellan, The Gentleman and the Tiger: The Autobiography of George B. McClellan, Jr, pp. 13,31.
  4. ^ a b “George McClellan is Stricken at 75”. ニューヨーク・タイムズ. (December 1, 1940). http://select.nytimes.com/gst/abstract.html?res=F50C17FC3F5C10728DDDA80894DA415B8088F1D3 2007年6月14日閲覧. "Mayor of New York, 1903-09, Son of Civil War General, Dead in Washington. Had Served in Congress. Princeton Alumnus of 1889 a Lecturer on Economics at Alma Mater, 1912-1930. ワシントンD.C., November 30, 1940. Colonel George Brinton McClellan, son of the famous Civil War general and a former member of Congress and Mayor of New York City from 1903 to 1909, died early today at his home here." 
  5. ^ Picture Shows All Out of Business. The New York Times, December 25, 1908.
  6. ^ George Brinton McClellan - Find a Grave(英語)

Sources

  • この記事にはパブリックドメインである次の出版物本文が含まれる: Gilman, D. C.; Peck, H. T.; Colby, F. M., eds. (1905). New International Encyclopedia (英語) (1st ed.). New York: Dodd, Mead. {{cite encyclopedia}}: |title=は必須です。 (説明)

外部リンク

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