コンテンツにスキップ

アンジェリク・ウィジャヤ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アンジェリク・ウィジャヤ
Angelique Widjaja
アンジェリク・ウィジャヤ
基本情報
国籍 インドネシアの旗 インドネシア
出身地 同・バンドゥン
生年月日 (1984-12-12) 1984年12月12日(39歳)
身長 173cm
体重 59kg
利き手
バックハンド 両手打ち
ツアー経歴
デビュー年 1999年
引退年 2008年
ツアー通算 4勝
シングルス 2勝
ダブルス 2勝
生涯通算成績 221勝155敗
シングルス 118勝86敗
ダブルス 103勝69敗
生涯獲得賞金 $533,037
4大大会最高成績・シングルス
全豪 1回戦(2003・04)
全仏 2回戦(2002)
全英 2回戦(2002・03)
全米 2回戦(2002)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 ベスト8(2004)
全仏 3回戦(2002)
全英 ベスト8(2003・04)
全米 ベスト8(2003)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 55位(2003年3月31日)
ダブルス 15位(2004年2月2日)

アンジェリク・ウィジャヤAngelique Widjaja, 1984年12月12日 - )は、インドネシア・バンドゥン出身の女子プロテニス選手。WTAツアーでシングルス2勝、ダブルス2勝を挙げた。自己最高ランキングはシングルス55位、ダブルス15位。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。中国系の選手で漢字名は黄依林という。

来歴

[編集]

1990年代に世界ランキング19位・1997年ウィンブルドンベスト8などの偉業を残した先輩選手ヤユク・バスキの後を受けて、ウィジャヤが当地の新星として活躍を始める。彼女はジュニア選手時代、多数のトーナメントを制し、4大大会の女子ジュニア部門で2001年ウィンブルドン2002年全仏オープンシングルス、2002年全豪オープンダブルスで優勝した。2001年ウィンブルドン選手権のジュニア女子シングルスでは、決勝でディナラ・サフィナロシア)を 6-4, 0-6, 7-5 で破り、インドネシアのテニス選手として最初のウィンブルドン・タイトルを獲得している。2001年9月末、ウィジャヤはインドネシア・バリ大会でWTAツアー大会にデビューし、この大会でいきなりツアー初優勝を達成した。

2002年5月、ウィジャヤはクロアチア・ボル大会でタチアナ・ガルビンイタリア)とペアを組み、女子ツアーのダブルス初優勝を果たした。ボル大会のダブルスを制した後、2002年全仏オープンで4大大会本戦にデビューし、この年は全仏オープン・ウィンブルドン全米オープンとも2回戦に勝ち進んだ。全米オープンの1回戦で、ウィジャヤはロシアの人気選手アンナ・クルニコワを試合時間44分(スコア:6-3, 6-0)で圧倒し、世界の注目を集めた。クルニコワは2001年全米オープンから4大大会で1回戦敗退が続いていたが、このウィジャヤ戦での大敗で観客のブーイングを浴びた。ウィジャヤ自身は、続く2回戦で敗退している。同年11月にタイパタヤ市開催大会の決勝で趙倫貞韓国)を 6-2, 6-4 で破り、ツアー大会でシングルス2勝目を挙げた。

ウィジャヤは2003年、ダブルスでベネズエラマリア・ベント=カブチと組んで多くの好成績を出した。ウィジャヤとベント=カブチは、2003年ウィンブルドン全米オープンの2大会連続で女子ダブルス・ベスト8に入り、ウィジャヤの故国のトーナメントであるバリ大会のダブルス優勝、WTAツアーのティアIトーナメント(女子テニスツアーで、4大大会に続く高額賞金大会群)の1つであるカナダ・マスターズダブルス準優勝などを記録した。2004年はオリンピックのインドネシア代表選手としてアテネ五輪に出場し、シングルスは2回戦に進んだが、ダブルスは1回戦で敗退した。

彼女は2004年末に左膝の手術を受け、2005年のシーズンを棒に振った。その後、女子ツアー大会ではかつての好調さを取り戻せず、2008年に現役を引退した。女子テニス国別対抗戦・フェドカップのインドネシア代表選手としては、通算29勝6敗(シングルス13勝6敗、ダブルス16戦全勝)の成績を挙げた。

WTAツアー決勝進出結果

[編集]

シングルス: 2回 (2勝0敗)

[編集]
大会グレード
グランドスラム (0–0)
ティア I (0–0)
ティア II (0–0)
ティア III (1–0)
ティア IV & V (1–0)
結果 No. 決勝日 大会 サーフェス 対戦相手 スコア
優勝 1. 2001年9月30日 インドネシアの旗 バリ ハード 南アフリカ共和国の旗 ヨアネット・クルーガー 7–6(2), 7–6(4)
優勝 2. 2002年11月10日 タイ王国の旗 パタヤ ハード 大韓民国の旗 趙倫貞 6–2, 6–4

ダブルス: 6回 (2勝4敗)

[編集]
結果 No. 決勝日 大会 サーフェス パートナー 対戦相手 スコア
優勝 1. 2002年4月29日 クロアチアの旗 ボル クレー イタリアの旗 タチアナ・ガルビン ロシアの旗 エレーナ・ボビナ
スロバキアの旗 ヘンリエッタ・ナギョワ
7–5, 3–6, 6–4
準優勝 1. 2003年2月10日 カタールの旗 ドーハ ハード ベネズエラの旗 マリア・ベント=カブチ インドネシアの旗 ウィン・プラクスヤ
チャイニーズタイペイの旗 ジャネット・リー
1–6, 3–6
準優勝 2. 2003年5月19日 スペインの旗 マドリード クレー イタリアの旗 リタ・グランデ 南アフリカ共和国の旗 リーゼル・フーバー
アメリカ合衆国の旗 ジル・クレイバス
4–6, 6–7(6)
準優勝 3. 2003年8月11日 カナダの旗 トロント ハード ベネズエラの旗 マリア・ベント=カブチ アメリカ合衆国の旗 マルチナ・ナブラチロワ
ロシアの旗 スベトラーナ・クズネツォワ
6–3, 1–6, 1–6
優勝 2. 2003年9月8日 インドネシアの旗 バリ ハード ベネズエラの旗 マリア・ベント=カブチ オーストラリアの旗 ニコル・プラット
フランスの旗 エミリー・ロワ
7–5, 6–2
準優勝 4. 2003年11月3日 タイ王国の旗 パタヤ ハード インドネシアの旗 ウィニー・プラクシャ 中華人民共和国の旗 孫甜甜
中華人民共和国の旗 李婷
4–6, 3–6

4大大会シングルス成績

[編集]
略語の説明
 W   F  SF QF #R RR Q# LQ  A  Z# PO  G   S   B  NMS  P  NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.

大会 2002 2003 2004 通算成績
全豪オープン LQ 1R 1R 0–2
全仏オープン 2R 1R LQ 1–2
ウィンブルドン 2R 2R 1R 2–3
全米オープン 2R 1R 1R 1–3

外部リンク

[編集]