ノート:ユダヤ人

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過去ログ:2004年以前


パレスチナ問題は、「2000年もの長期間多くのユダヤ人が祖国を離れ、帰還してきたことに端を発したいる」というのがこの問題の一般的な見方です。アラブ人によって一方的に引き起こされたとするのは誤りだと思います。--ロリ 2005年3月3日 (木) 08:48 (UTC)[返信]

たとえ「一般的な見方」であっても、「一般的であり」「それが正しいのだ」ということを証明できるでしょうか。また細見的に見ますと、ファウズィー・フサイニー暗殺などはどう考えられるのでしょうか(彼の暗殺移行、分割案が優勢になったようです)。--Sheynhertz-Unbayg 2005年3月3日 (木) 11:43 (UTC)[返信]
証明はできません。百科辞典には、多くの人が正しいであろうと考える一般的な見方を書く物です。争いの当事者は双方自分たちが正しいと信じています。--ロリ 2005年3月3日 (木) 14:14 (UTC)[返信]

複雑極まりない状況や歴史を説明するのに、歴史の単純化・ステレオタイプ化が必要となります。 「多くの人が思って」いても間違っていた例として、天動説、「我が闘争」と「反ユダヤ主義」があるのではないでしょうか(後二者は「多く」かは不明ですが)。いずれにしても、それらの点についてもじきに加筆されると思います。そして現在の紛争(しかも何が目的の、何が原因の紛争か)にそのような要素が無いと言い切れますでしょうか。

「二千年」というのは比喩で(国家にも歌われていますが)、それ以前の歴史についてはその後「イスラエルの歴史」に加筆されると思います。ブーバー理論にもそのうち言及したいと思います。

昔からアラブ過激派はテロをすることにより、反シオニズムをあおっています。しかし、ユダヤ人帰還者が煽ってアラブ人をそれほど無差別に殺したでしょうか。また、必ずしも帰還者の中には、国家建設が目的ではなく、文化シオニズム、イフードの立場にある人もいました。そのような人も死の危険があった、ということを忘れてはならないとは思いませんか? --Sheynhertz-Unbayg 2005年3月4日 (金) 15:34 (UTC)[返信]

仰りたいことはよく分かります。ユダヤ人にも同情します。地動説は現在ほとんどの人に信じられています。パレスチナ問題は全体として多くのユダヤ人が大量に帰還してきたことに起因していることも、現在ほとんどの人に信じられています。--ロリ 2005年3月5日 (土) 08:53 (UTC)[返信]
間違えました。天動説でした。--Sheynhertz-Unbayg 2005年3月15日 (火) 11:45 (UTC)[返信]

そもそもの出典が公平でない場合の扱いはどうなるんだ?この場合、出典として適当ではないとも思えるのだが--222.151.131.48 2008年7月14日 (月) 01:25 (UTC)[返信]

疑問[編集]

ユダヤ人の定義づけについてイスラエルの帰還法の定義が記されていますが、ナチス・ドイツではユダヤ人は、どう定義づけられて、どう選別されていたのですか?219.37.104.91 2005年3月20日 (日) 08:20 (UTC)[返信]

日本人についての記述はわずかこれだけです。また、アーリア人についての記述も定義付けとそれにかかる記述以外ありません。過去の政治や思想体系ににまで入り込んだ記述は、少しやりすぎでは? この項目は「ユダヤ人」の定義のみにとどめ、その歴史的背景や個々の事象に関しては新たな項目を作るか、既に存在している関連項目に移したほうが良いと思います。(匿名希望)2005年5月1日 (日) 17:04 (UTC)

ユダヤ人から見た一方的な記述が目立ちますが[編集]

>>ユダヤ人はこのような迫害には屈せず、自らの宗教に誇りを持ち、また共存を模索しながら生きてきたのである。

っと、ありますが、ユダヤ人は現在パレスチナに対しホロコースト同様の行いをしている事実があります。 このことから、共存を模索しながら生きてきたのである。という、記述は問題があると思われるのですが、どうでしょうか?--以上の署名のないコメントは、218.226.94.202会話/Whois)さんが 2006年4月23日 (日) 00:41 (UTC) に投稿したものです。[返信]

質問:90%以上の人に嫌われている?[編集]

初めてWikipediaに投稿します。項目「民族性」の、最初の段落の半ばに『世界の90%以上の人々に嫌われているのもまた事実で ある。』とありますが、この部分に疑問と悪意を感じました。--Mao-g 2007年2月14日 (水) 02:25 (UTC)[返信]

その部分はカットしました。同じ投稿者が[4]のような編集もしているので、信頼性は低いと思われます。--Los688 2007年2月14日 (水) 02:32 (UTC)[返信]


「改宗者の場合、正統派以外はイスラエルでは「ユダヤ人」とは認められない。」というのは正確ではないと考えます。 帰還法の対象者であってもユダヤ教徒でない場合もあります(非ユダヤ教徒ですと結婚等の面で面倒なので、そういう子女のための改宗センターもあります)が、改宗者がユダヤ人と認められない例は聞いたことがありません。 ウィナ・ツァハル 2007年12月29日 (土) 14:00 (UTC)[返信]

世界宗教における「性」の扱い[編集]

「一般的な世界宗教では性行為は罪とされているが」という記述が不正確です。 それは中世のキリスト教など、ごく一部の宗教に限った話ではないでしょうか?

仏教・イスラーム・ヒンドゥー・では、性を罪と結び付けることはありません。 --さんしろ

とくに反論もないようですので、記事を修正します。--さんしろ 2011年1月23日 (日) 05:00 (UTC)さんしろ[返信]

節の削除について[編集]

「その他」という項目では、 「アシュケナジムによるセファルディムに対する差別意識はすさまじく、戦後、セファルディムの子供たち10万人に対し誘拐および全身に強力なX線を照射されるという事件が発生し、多数の子供たちが虐殺されている」という記述がありました。このまま放置しておくと訴訟に発展しかねないので除去しました。出典すら明らかにせず、このような内容を書き込編集者には猛省を求めます。--さんしろ

フリッツ・ハーバーについて[編集]

IP:126.26.248.224会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois氏は、この編集において、「ハーバーは毒ガス開発を命じ、現場での使用を命令した「ドイツ軍」「ドイツ政府」の一部であり、「ユダヤ人史」に記載する必然性がうすい」という理由でrvされましたが、自説の根拠となる出典を明示しておらず、さらに理由も無く反対意見の出典を削除しております。つまり、このrv行為は、出典を明記しておらずWikipedia:検証可能性を満たさない独自研究に基づいているのです。反対意見の出典を削除するならば、相応の出典の提示が必要です。--119.83.111.72 2013年9月15日 (日) 15:14 (UTC)[返信]
Wikipedia:検証可能性#出典を示す責任は掲載を希望する側ににもあるとおり、出典はページに記述する側に求められます。たとえば「「○○」にフリッツ・ハーバーが関係ない」という出典が存在しなければ削除できないのであれば、どんな記事にもハーバーの記述を書き込むことが可能になります。
現状の出典『毒ガス開発の父ハーバー 愛国心を裏切られた科学者』は、「フリッツ・ハーバーの毒ガス開発が、ユダヤ人そのもの、そしてユダヤ人史において重要である」という出典となっていません。Wikipedia:独自研究は載せないには「独自研究ではないことを示す唯一の方法は、その記事の主題に直接関連のある情報を提供している信頼できる資料を参考文献として記し、その資料に記された内容に忠実に記述することです。」とあります。この本はハーバーの個人史および彼のドイツ国家と軍の関わりが主題であり『ユダヤ人およびユダヤ民族』を主題とした本ではありません。ユダヤ人の個人が行って世界に影響を与えた事象はハーバーの毒ガス開発への従事だけでなく、オッペンハイマーの原爆開発への従事など様々な事象があります。また、それは火薬を発明した中国人、戦車を発明したイギリス人、弾道ミサイルを発明したドイツ人などほかの民族についても同様です。ですが、ハーバーをふくむこうした人物はその民族全体の意志を代表した人物でも何でもありません。ですから各国語版の民族記事においても、こうした個人の発明家が記載されることは通常ありません。--126.28.219.152 2013年9月16日 (月) 11:49 (UTC)(修正)--126.28.219.152 2013年9月16日 (月) 11:51 (UTC)[返信]
貴方(IP:126.26.248.224会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois、IP:126.28.219.152会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois)氏、フリッツ・ハーバーの毒ガス開発は、ユダヤ人史で最も重要な出来事の一つであるホロコーストに使用されており、他の火薬・戦車等と比較する議論は、「ホロコースト」否定説でよく使われる手法です。貴方の主張する『「ユダヤ人史」に記載する必然性がうすい」』という理由は、「ホロコースト」否定説と考えて良いのですね。--119.83.111.72 2013年9月16日 (月) 14:17 (UTC)[返信]
記載されていたハーバーの記述は第一次世界大戦に関するものだけで、ホロコーストにおけるガス殺に一言も言及していません。これで記述理由が「ホロコーストに使用されたから」と誰が読み取れるというのでしょうか。しかもホロコーストで使用されたのは毒ガスだけではありません。ホロコーストにおける犠牲者の死因には飢餓、銃殺、実験、収容中の虐待、病気、労働を通じた絶滅死の行進などがあります。これらは殺害数において大きな割合を占めましたが、これらの開発者についても「ユダヤ人史」に書くというのですか。ハーバーはガスで人を殺すという方法自体の発明者ではなく、さらに「ガス室」自体や、その象徴的な使用薬剤であるツィクロンBなどの発明者も別人です。またすべてのガス室のガスがハーバーの研究に由来するわけでもなく、トレブリンカ強制収容所ソビボル強制収容所などで用いられたガス室はエンジンの排気ガスによるものですが、あなたの論法で行くとニコラウス・オットールドルフ・ディーゼルも「ホロコーストによる殺害方法の発明者」として書かなければならないことになりますが。
くりかえし「ユダヤ人、ユダヤ人史に直接関連のある出典」の提示をお願いいたします。「出典を示す責任は掲載を希望する側に」「独自研究ではないことを示す唯一の方法は、その記事の主題に直接関連のある情報を提供している信頼できる資料を参考文献として記し、その資料に記された内容に忠実に記述することです。」--126.28.219.152 2013年9月17日 (火) 10:13 (UTC)[返信]
貴方(IP:126.26.248.224会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois、IP:126.28.219.152会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois)氏、該当する歴史の項で書かれているのは、「ユダヤ人居住地域が形成された場所」で「フリッツ・ハーバーの毒ガス」が用いられたという資料に基づいた事実です。貴方は「フリッツ・ハーバーの毒ガス」を削除し、該当地域でのユダヤ人犠牲者が「「ユダヤ人史」に記載する必然性がうすい」と改竄しようとしているのですから、その出典提示の義務が生じているのです。「ホロコースト」否定説に基づいたねじ曲げた主張にも当然、科学的な根拠が必要です。--119.83.111.72 2013年9月17日 (火) 16:31 (UTC)[返信]

該当する場所「1915年4月22日、フリッツ・ハーバーの開発した毒ガスが、イーペル地区で使用され(第ニ次イーペルの戦い(英語版))、その後、東部戦線へも拡大された(ボリモウの戦い(英語版)、リガ攻勢)。第一次世界大戦中の毒ガスによる死者は総計140万人である。1915年のパレスチナ蝗害」の記述にどこにホロコーストの関連があるというのですか。第一次世界大戦の欧州における戦闘行為は1914年~1918年、ホロコーストは「ナチス・ドイツの成立後(1933年)、第二次世界大戦中(1939年~1945年)」に起きた「ユダヤ人である者を対象にした」出来事です。それ以外のユダヤ人である者を対象にした迫害は通常ポグロムと呼ばれます。他人をホロコースト否定と糾弾する前にホロコーストの概念をよく確認してください。--126.28.219.152 2013年9月18日 (水) 09:56 (UTC)[返信]

貴方(IP:126.26.248.224会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois、IP:126.28.219.152会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois)氏、「「ユダヤ人史」に記載する必然性がうすい」という根拠の提示もなく、認識不足であったと認める謝罪も無いため、Wikipedia:コメント依頼に提出しました。--119.83.111.72 2013年9月18日 (水) 19:09 (UTC)[返信]
当該の部分(1915年4月22日、フリッツ・ハーバーの~1915年のパレスチナ蝗害。)について、掲載するにしてもしないにしても、WP:NOR に反するかどうかで判断できる事例ではないでしょう。掲載する方向では、Wikipedia:独自研究は載せない#何が除外されるか に例示されている編集内容には該当しないです。また掲載しない方向では、WP:NOR には「何らかの記述を除去する」ことについて規定がありません。
といえども、WP:NOR には「その記事の主題に関連する形で」と(方針原文も太字で強調され)明示されているのですから、ハーバーと彼の毒ガスについて、ユダヤ人・ユダヤ人史に関する書籍などで紹介されているものを出典として要求することはおかしくないでしょう。現在提示されているのはハーバー個人の伝記ですから、ユダヤ人そのものに関する総合的または部分的な書籍とはいいがたいです。ハーバーの毒ガスがユダヤ人史に関連が薄い・無いことをわざわざ述べる出典があるとは考えられませんから、そのようなものを要求するのは無理があります。逆に、「ユダヤ人史の文献などでは触れられていない」ということを根拠として「ユダヤ人史に記載する必然性がうすい」と主張されるのであれば、それに反論するには実際にユダヤ人史としてハーバーに触れている資料を提示すれば済むのですから、まずそうすべきではないでしょうか。そのような資料提示によらない主張法をとるとしても、「ユダヤ人史に記載するべき(重要な)記述である」という俯瞰的な根拠については、何も提示されていないように見受けられます。WP:V は記述の必要条件であり、充分条件ではありませんから、これを満たすからといって必ずしも記載すべきという結論にはなりません。
以上、まとめると私は 126.28.219.152 さんの主張を支持します。--Calvero会話2013年9月20日 (金) 14:38 (UTC)[返信]
Calvero氏、まず最初に議論へのご参加を歓迎します。さて、最初に指摘しておきますが、「フリッツ・ハーバーの~1915年のパレスチナ蝗害。」という引用部分の範囲設定には誤りがあります。「1915年4月22日、フリッツ・ハーバーの開発した毒ガスが、イーペル地区で使用され(第ニ次イーペルの戦い)、その後、東部戦線へも拡大された(ボリモウの戦い(英語版)、リガ攻勢)[20]。第一次世界大戦中の毒ガスによる死者は総計140万人である。」が該当部分です。ご確認下さい。1915年のパレスチナ蝗害は火炎放射で殺虫した(当時はユダヤ人とアラブ人が混在していた)パレスチナでの自然災害なので毒ガスの件とは無関係の文章です。
二点目ですが、イーペル、ボリモウ、リガといった著名なユダヤ人居住地で総計140万人死亡し、百分率(5%)からの推計値で7万人のユダヤ人が死亡しています。なお、これらの作戦で毒ガスが使用されたことは、各国語版でも記載されています。ハーバー個人の伝記であるとの指摘ですが、該当部分の出典にはイーペル、ボリモウ、リガについてその地名を具体的に記載しているので、ユダヤ人居住地で毒ガスが使用された出典として十分です。なぜなら、ユダヤ人史に関連が薄い・無いという文献が無いこととも関連しますが、ユダヤ人居住地史というものもこれが国家として成立しなかった故に国家としてのオフィシャルな記録が存在しないからです。例えるなら、アルメニア人虐殺は項目としてあっても、クルド人虐殺は項目として成立していないのと同じで、国家が無ければ民族史はオフィシャルな記録として成立しません。他の虐殺事件でもそうですが、いわゆる民族史との関連を要求する民族史観は、事実の集積として歴史を語る歴史学の立場とは異なります。Calvero氏がなぜ民族史観を要求しているのか、その立場をご説明下さい。
Calvero氏は、7万人のユダヤ人が殺害されたことは否定していないのでしょうか?IP氏(IP:126.26.248.224会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois、IP:126.28.219.152会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois)は、火薬を発明した中国人などと同様にフリッツ・ハーバーがユダヤ人を代表していないと云う理由で、上記の地域に於ける毒ガス作戦も削除しましたが、毒ガスを発明した人物がユダヤ人であるかどうかと、ユダヤ人居住地域で毒ガスが用いられた作戦という問題をリンクする必然性はありません。上記の引用範囲の拡大にも見られますが、IP氏には問題を広げる傾向が見受けられます。
最後にもう一点、ユダヤ人居住地域での毒ガス作戦に関する出典の削除は正当化出来ません。これはwikipediaの一般的な慣行ですが、反論があれば両論併記するべきです。出典の削除に関しては謝罪もしくは然るべき処分を要求します。--119.83.111.72 2013年9月20日 (金) 18:40 (UTC)[返信]

あなたの記述のどこに「イーペルの『ユダヤ人地区でユダヤ人が多数死亡した』」という記述があったのですか。もしそのことを書く必要があるのならば「イーペルのユダヤ人居住地で7万人のユダヤ人が死亡した」という出典を出し、本文に「ユダヤ人居住地で7万人が死亡した」と書くべきです。ところがあなたの記述は第一次世界大戦における全般的な毒ガス作戦とその死者についてしか触れていません。これで誰が「ユダヤ人居住地について」書いたと思うのですか。また第一次世界大戦における化学兵器英語版の英語版では、化学兵器による民間人の死傷者は公式な記録で「5200人」とあります。実際には多い可能性があるとありますが、7万人という数字にははるかに届きません。さらに化学兵器戦全体の死者は88498人、負傷者1240853人とあり[1]、「140万人が死亡した」という記述とはかなりの乖離があります。7万人のユダヤ人が死んだならば、死者の大半が両軍に所属していたユダヤ人であったということになりますが、そのような記述はありません。あなたの出典にあるイーペルなどで使用されたという記述は「ユダヤ人居住地」を含む「市街地」に対して行われた作戦であると書かれているのですか?第一次世界大戦における毒ガスの使用方法はイーペルで行われたシリンダー散布方式から砲弾による射出方法に変わるなどの変化はありましたが、基本的に敵軍陣地に使用されたものです[2]。あなたの出典には、毒ガス作戦では殺害されるユダヤ人がまだ住んでいた「ユダヤ人居住地」などの「市街地」を狙い打ちにして行われ、結果「7万人」のユダヤ人が死亡したという明確な記述があるのですか。また「ホロコーストで使用されたから」という理由はどうなったのですか。--126.28.219.152 2013年9月21日 (土) 08:45 (UTC) (追記)死傷者数について公的機関によるソースです[3]。ドイツ休戦までの期間で負傷者130万人以上、死者9万人とされています。またユダヤ人居住地への攻撃が言及されているものは見つかりません--126.28.219.152 2013年9月21日 (土) 09:16 (UTC)[返信]

コメント 「1915年のパレスチナ蝗害」について毒ガスと関係ないことは認識していますが、ここも除去のあと書き戻されている箇所ですので範囲に含めました。前後のつながりもなく「1915年のパレスチナ蝗害。」とだけ書かれていても意味がよくわかりませんので、せめて文章が補われるべきだと思います。

これらの作戦で毒ガスが使用されたことは、各国語版でも記載されています」とのことですけれども、個別の戦争作戦記事は別として、en:Jewsde:Judenfr:Juifs のいずれにもハーバーの件は書かれていないです。ともかくユダヤ人を解説する上でハーバーの件が記載に値することを示していただきたいのですが、ユダヤ人がユダヤ人を殺したとか、大量のユダヤ人が殺されたという点がそうだということでしょうか。前者の場合、このころの(ドイツに住んでいた)ユダヤ人はドイツの一員として認められようと必死だったという点のほうがむしろ重要なのではないかと思います。そうした状況の中の一例としてユダヤ人であるハーバーがとった行動、のように記述すれば、意義が認められる可能性が出てくるのではないでしょうか。また後者の場合、126.28.219.152さんのご指摘とも重なりますが、単純に比率から計算が行われているように特にユダヤ人が標的とされたのではないようですから、その見地からの意義は薄いと思います。

それから「オフィシャル」について、別に国家的な記録は要求していないです。ユダヤ人自身によるものに限らず、ユダヤ人の解説を目的とした書籍は多数あるのですから、そのようなものを出典として求めています。「ユダヤ人居住地史」というほどにまで個別的なものまでは求めません。

なお「反論があれば両論併記」について、必然性が乏しいため記載が不適当という主張に対して両論併記という措置はありえないでしょう。両論とは、信頼できる情報源に基づく情報をそれぞれ記載するということを意味します。--Calvero会話2013年9月23日 (月) 02:45 (UTC)[返信]

『あなたの出典にあるイーペルなどで使用されたという記述は「ユダヤ人居住地」を含む「市街地」に対して行われた作戦であると書かれているのですか?』という質問にリガの例を答えておきます。リガは1721年ニスタット条約ロシア帝国の支配下に入りましたが、他のユダヤ教徒居住区英語版とは異なり、リガへのユダヤ人の流入は遅かったことが知られています。1858年5月12日1841年法が施行されユダヤ人が建物を購入可能になった1850年代のアレクサンドル2世の治世以降に始まり、1850年以前には500人程度だったユダヤ人口が、1913年には3万人を越えるまでに急増しました([5])。流入したユダヤ人の多くは、今日のベラルーシなどのロシア領内からだったと記録されています。この第一次大戦までのユダヤ人居住地はen:Maskavas Forštate: Moscow suburbs、日: モスクワ地区)として知られています。(その一部は「リガ歴史地区」として世界遺産になっています。)この地は市内を東西に貫く西ドビナ川(: Западная Двина́、現ダウガヴァ川)右岸(北側)にありました。川に沿って東西に走る道路はモスクワ街道と呼ばれモスクワまでの幹線道であったことが名前の由来です。1915年8月のen:Battle of the Gulf of Rigaでドイツ軍はドビナ川左岸(南側)を攻略し、1917年9月のリガ攻勢でドビナ川渡河作戦を実施しました。この時、毒ガス作戦の攻撃目標がドビナ川右岸のMaskavas Forštate、つまりユダヤ人居住地域です。リガ攻勢でMaskavas Forštateが攻撃された出典はそちらを確認して下さい。その後、ロシア軍は市の西部を南北に走る街道を北にプスコフまで敗走しました。毒ガスの使用はそれ以前のハーグ陸戦条約で禁止されていましたが、改めてヴェルサイユ条約ジュネーヴ議定書 (1925年)が作成され、禁止されました。
ドイツは、1941年7月にen:Burning of the Riga synagoguesを実施し、8月25日にこの土地の中でも特に人口が密集している地域にリガ・ゲットーを作りました。リガ・ゲットーとは異なり、Maskavas Forštateは街道沿いの広い範囲で、40ほどのシナゴーグがあったそうです。しかし、シナゴーグ焼き討ちの際にそれ以前の多くの記録が消失しています。
民族国家の民族史観の範囲では守られない少数民族の虐殺を守るために、世界人権宣言が行なわれたのは1948年です。しかし、毒ガス禁止条約などとは異なり、決議に過ぎない緩いものでした。そのため、イラン・イラク戦争でのサダム・フセインによるクルド人への毒ガス使用が黙認されてしまいました。また、国際連合人権委員会において某国代表が「シャラップ」と発言するなど、生存権を含む基本的人権の保護に後ろ向きな傾向が続いていたのは否めません。最近のシリアでの毒ガス使用に際し、米ロが協調したのは極めて画期的な出来事と言えるでしょうが、武力による強制の結果であり、法律による強制という第一次世界大戦以来の問題は克服出来ていません。--119.83.111.72 2013年9月23日 (月) 22:43 (UTC)[返信]
追記。歴史の生き証人であるリガのユダヤ人はen:Rumbula massacreにおいて抹殺されました。これは「ホロコースト」否定説に基づいた第一次大戦の毒ガス問題を否定する根拠として、記録の焼却と合わせて使われ、長らく第一次大戦の毒ガス問題が解明されて来なかった理由と言えるでしょう。--119.83.111.72 2013年9月24日 (火) 00:33 (UTC)[返信]
追記2。1941年12月8日en:Rumbula massacreの翌月1942年1月20日に行なわれたヴァンゼー会議で、en:Jewish questionへの最終的解決策としてホロコーストが最終決定されました。この決定には、Rumbula massacreを含む、1941年6月22日に開始されたラトビアでのアインザッツグルッペンの経験が影響を与えたというのが通説です。--119.83.111.72 2013年9月24日 (火) 04:29 (UTC)[返信]
追記3。ラトビア等のバルト3国での虐殺はアインザッツグルッペンAと呼ばれる部隊によって実施されたが、設立時のトップであったラインハルト・ハイドリヒが暗殺されたこともあり、アインザッツグルッペン裁判での判決で死刑判決を受けたハインツ・ヨストマルティン・ザントベルガーエドゥアルト・シュトラウヒらは誰一人として死刑を執行されなかった。--119.83.111.72 2013年9月24日 (火) 04:49 (UTC)[返信]

私が聞いているのは「第一次世界大戦時において、戦闘時にユダヤ人が居住しているユダヤ人居住区に対して行われた毒ガス攻撃により、7万人のユダヤ人が死亡した」というあなたの主張の「出典となる参考文献」です。戦場、もしくはその付近にユダヤ人居住地があったかどうかではなく、そこで7万人のユダヤ人が死んだということが確認できる出典です。リガ攻勢の記事には「ロシア軍砲兵陣地」に対して毒ガス弾が用いられたとありますが、「ユダヤ人居住区に在住しているユダヤ人」の毒ガス死者、そしてその数に関する記述は全くありません。「Maskavas forštate」および「リガ」「リガの歴史」の記事もラトビア語まで確認しましたが、第一次世界大戦で「住民」に大量の毒ガス死者が出た記述はありません。なおリガの歴史ラトビア語版では「200000人の労働者およびその家族と工場の、ロシア内陸部への疎開」が行われたと書かれています。それと再度言いますが第一次世界大戦は1918年に終わっており、ハーバーも1934年に没しています。1939年に勃発した第二次世界大戦とそれ以降のガス関係の事象は直接関係がありません。さらにアインザッツグルッペンのガス殺はガス車英語版の項目にあるように、バス内に排気ガスを引き込んだ一酸化炭素中毒による殺害です。エンジンも排気ガスも一酸化炭素もハーバーが開発したものではありません。またこのページは「ユダヤ人」の項目です。クルド人に対するフセイン政権のガス使用は「ユダヤ人」のページの編集問題にどう関わるというのですか。--126.28.219.152 2013年9月24日 (火) 10:24 (UTC)[返信]

一週間以上反論がないため、当該の箇所を除去しました。--Calvero会話2013年10月5日 (土) 02:28 (UTC)[返信]

出典[編集]

  1. ^ [1]
  2. ^ [2]
  3. ^ [3]Gerard J. Fitzgerald

外部リンク修正[編集]

編集者の皆さんこんにちは、

ユダヤ人」上の1個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年9月20日 (水) 16:10 (UTC)[返信]

大部分のユダヤ人がその地に留まり改宗し農民として定住した様です。[編集]

DNA鑑定によりパレスチナ人はユダヤ人の末裔と断定されています。 従って「ユダヤ人」の定義は「パレスチナ人」とすべきだと思います。--以上の署名のないコメントは、鷲田温伺会話投稿記録)さんが 2019年4月5日 (金) 06:12 (UTC) に投稿したものです。[返信]

定義文[編集]

種馬=多重妻帯者=精豪が定義文のはず つまり、黒人や黄色人種のユダヤ人も存在するはずである--以上の署名のないコメントは、180.25.3.224会話投稿記録)さんが 2020年4月1日 (水) 08:00 (UTC) に投稿したものです。[返信]