Wikipedia:秀逸な記事の選考/関ヶ原の戦い 20090323

関ヶ原の戦い[編集]

賛成/条件付賛成/保留/反対 0/1/1/1 この項目の選考期間は、2009年6月23日 (火) 11:19(UTC)(2009年6月23日 (月) 20:19(JST))までです。

(ノート) 事実が的確にかつ小規模な事実も詳細に表記されているため。徳川よりの記事になっていないため。 蚯蚓 2009年3月23日 (月) 11:19 (UTC)[返信]

  • (条件付き賛成)
    • 全体的に出典の表示が足りません。記事には、意見と事実が書いてありますが、特に意見には、出典を記す必要があると思われます。出典を示すべき分りやすいところでも、「一説には五奉行の増田長盛と長束正家が讒訴(ざんそ)したとも、家康自らが故意に流布したものともいわれる」「家康はこの「暗殺計画」を最大限に利用」「後世の偽書であるとの説もある」「家康は天下奪取を果たすため反対派を一掃するべくわざと会津征伐を起こしたとも言われており」「三成は敢えて家康の罠にはまったとも見られる」「上杉景勝も、常陸54万石の大大名・佐竹義宣と秘密同盟を結んでおり、白河口より攻め込んでくる家康を挟撃する計画があったとされる」「徳川家大名クラスの多く(これは秀忠隊が当初は上杉、後に中山道制圧を任務としていたからと思われる」「中立説もあり」が三つ「西軍に属した説」「ダイレクトメール」(?)「輝元には出馬の意思があったといわれる」「増田長盛内通の風聞があり、動けなかったともされている」「ドイツのクレメンス・メッケル少佐は関ヶ原における両軍の布陣図をみて、即座に西軍の勝利を断言したという」「太田牛一は次のように記している」(『信長公記』?)「盾裏の反逆は武士としてあるまじき事」(どこからの引用?)「武命の衰運、今において驚くべきに非ず」(どこからの引用?)「これには疑問な点も多い」(と言ってる人は?)
    • これだけの大戦ですから、社会的意義も大きいでしょう。戦後、だれがどうなった、こうなった、ではなく、社会がどう変換していったか、が大事です。「詳細さ」よりも、大切かもしれません。そしてそこが、歴史を学ぶ上での一番の面白みだと思うのですけれど……。--Mobnoboka 2009年3月23日 (月) 12:59 (UTC)[返信]
  • 保留 反対 寄り)。日本史をかじったことがある人から見れば、まあ大体事実は網羅されていると思いますが、現段階では保留(どちらかというと反対より)です。些事のことも含めますが、Wikipedia:検証可能性Wikipedia:言葉を濁さないが担保されているとは思えません。Mobnobokaさんが書いてあることとも重複しますが、以下の点の改善が不可欠です。2009年3月23日 (月) 12:43 版を元に以下、問題点を列挙していきます。
  1. チェック 全体として、関ヶ原の戦いの決着日が慶長5年(1600年9月15日_(旧暦)であることは言うまでもないですが、本文中にあるほかの日付は新暦でのリンクです。いずれも旧暦のはずですので旧暦に直さなくてはなりません(あるいは、すべて新暦に換算するか)。
  2. チェック スタイルの問題:不要な太字が多い毛利輝元小早川秀秋細川ガラシャ島津義弘などなど登場人物にむやみやたらに太字となっているが必要ない。ほかにも関ヶ原の戦いに関する局地戦も太字にしているがそんなのは不要。同様に、何回も出てくる人物に内部リンクをいくつもする必要ない(直江兼続など)。
  3. 参考文献の書き方も不十分です。書籍名は『』、発行年くらい最低でも書いてください。脚注に関して引用するならば、ページ名も必須です。
  4. 詳細な戦史よりも関ヶ原の戦いの意義と限界についての記述、とくに後者がない。関ヶ原の戦いの意義は、徳川家康将軍宣下・幕藩体制の確立くらいを書いておけばいいのだろうが、限界として、豊家恩顧の大名である福島正則加藤清正黒田長政らの厚遇、豊臣秀頼の所領安堵をせざるを得なかった家康の政治的立場を最低でも書き、大坂の役につなげないといけないでしょう。先行研究として今谷明『武家と天皇』(岩波新書)がありますので、そこから補完が必要です。
  5. ここから微に入り細をうがった内部検証になりますが、会津上杉征伐の節における直江状の真偽について、詳細は直江状に書けばいいと思うが、本文中に「後世の偽書であるとの説もある」と書いてある以上誰の説かを明記しないといけません。
  6. 去就の節の脚注6:「この38,000は家康が江戸を出陣したときの数であり、東海道隊別働隊・東海道守備隊の家康家臣の数も含む。実際に本線に参加した家康本隊は松平忠吉を除けば、20,000前後と思われる。 」だれが思っているのでしょうか?
  7. 本戦までの動きの節の脚注12:北政所の小早川秀秋への働きかけについて。このことから、笠谷和比古は関ヶ原の戦いの要因のひとつが北政所(及び北政所派の武将)と淀殿・秀頼(及び淀殿派の武将)の確執にあると推定したが、支持は少ない。支持は少ないというからには笠谷への反対説を唱えている学者が多いということなのでしょうが、それは誰ですか?また、学会で多数派になっているならばそれは誰(の門下)なのですか?
  8. 本戦の節:大日本帝国陸軍『日本戦史・関原役』に拠るとありますが、参考文献には記載されていません。どういうことなのでしょうか?
  9. 開戦の小節:太田牛一の引用がありますが、『信長公記』ではありますまい。どの文献からの引用なのでしょうか?
  10. 地方への波及の節:東北の小節について、伊達政宗和賀忠親を扇動して、南部信直を攻撃していますがその記述は些事なので、該当記事に記載がないのでしょうか?
  11. (追加)東北の小節:堀秀治の動向、「秀治が西軍側につこうとしたことを示す書状などが発見されている」の記述がありますが、どのような学術論文で発表されたのでしょうか?
  12. 同、四国の小節:蜂須賀家政蜂須賀至鎮父子の動向についての記述がありません(それぞれの記事を見ればいいのかもしれませんが、少しは記載しておくべきです)。
  13. 同、九州の小節:黒田如水の動向は、黒田に関する研究や九州の戦国時代に関する研究で増強できませんか?
  14. チェック 同、関東の小節:佐竹義宣の所領は54万石、56万石どちらが正しいのですか?
  15. 合戦後の動きの節、論功行賞と三成の処刑の小節の脚注18、「豊臣家がなお特別の地位を保持して徳川の支配下には編入されていなかったとする認識」に関して、朝尾直弘「幕藩制と天皇」、高木昭作「『法度』の支配」などが挙げられているが、これも参考文献には記載されていないし、どのページからの引用なのかはっきりしません。
  16. 関ヶ原の戦いに関する論点の節:橋場日月、『歴史群像』2000年の説が挙げられていますが、『歴史群像』はあくまで、歴史の通俗本であり、参考文献の価値があるかについて疑問符がつきます。
  17. 関ヶ原の戦いは日本史の重大転換点ですから先行研究が山ほどあるはずです(あるはずといっているのは私が戦国時代の専門家でないから言っているだけですが)。それについての整理した節が必要です。秀逸な記事に選ばれている歴史記事の一つである前漢を模範に再構築お願いします。--Wushi 2009年3月23日 (月) 15:10 (UTC)--(1つ追加、avoid曖昧さ回避)Wushi 2009年3月24日 (火) 14:54 (UTC)[返信]
  • 反対・早期終了)問題点については出尽くしているので繰り返し指摘しません。通常の選考期間中に改善できるという期待を全く抱いていないので反対票とし、なおかつ(改善への具体的なロードマップが示されないかぎり)推薦取り下げによる早期終了を求めます。百科事典記事としては関心の持ちどころや焦点の当て方がズレていると言わざるを得ません。「歴史小説愛好家」や「通俗歴史ファン」の視点ではなく、歴史学の視点で記述してください。そうでない限り、何度選考に持ち込まれようとも、反対理由を考える手間で他人を煩わせるだけのことです。いきなり秀逸選考に持ち込む前に、査読依頼を経由するべきでした。そう言えば、査読依頼でさんざん問題を指摘されたのに、全く改善することなく秀逸選考に持ち込んだ事例がありましたが、それもこういう戦国時代の戦役の記事でした。どういうことなんでしょうね。--ikedat76 2009年3月24日 (火) 14:28 (UTC)[返信]

(コメント)Wushiさん、問題点の指摘ありがとうございました。多量にある問題点を今じっくり直していっているのですが、2009年3月25日 (水) 08:47 (UTC)現在1,2,6,8,14について直させていただきました。また、『歴史群像』2000年は通俗本ではありますが、嘘を書いているわけではないでしょう。だから特に問題ない気がするのですが。

参考文献は確かに少ないので、少しずつ追加しようと思います。--蚯蚓 2009年3月25日 (水) 08:47 (UTC)あと、今のところ早期終了を考えてはいません。[返信]

  • (コメント - 2009-03-26 04:21:04 (UTC)版まで)色々と指摘するべきことがあるようですが、秀逸化にむけて努力なさるにしても、いわゆる「あさっての方向」への努力にならないようご注意ください。失礼ながら、このコメントを書いている時点までの努力は「あさっての方向」を向いているように思われます。
    • 事実が的確にかつ小規模な事実も詳細に」という判断の仕方に疑問を感じます。Wikipedia(というか百科事典)の記事としてどうこう、という以前に、文章を書くこと一般に関して、微に入り細を穿った記述というのは一概に良いとは言えません。文章の主題を読み手に理解してもらうためには、あらゆる事を詰め込むのではなく、重要なこと・重要ではないことを取捨選択すること(どちらかというと「捨てること」)が大事です。「小規模な事実も詳細」な記述をするとしても、それが読み手に主題を理解させる上で有益なのか否か精査してください。それが出来ていない文章は、単にダラダラした駄文でしかありません。過去の秀逸選考でも、微に入り細を穿ってありとあらゆる情報(それも見当違いな…)を詰め込もうとしていることが反対票の理由の一つとなった例もあります(Wikipedia:秀逸な記事の選考/日本航空インターナショナル)。
    • 修正なさったと報告のあった点のうち、Wushiさんの指摘2(不要な太字)は問題ありません。14も一貫性があるように修正されています。しかし、その他の修正したと報告のあった点は、全く修正されたとは言えません
    • 指摘1(旧暦・新暦)も修正されています。しかし、それほどの手間をかける価値があるのか非常に疑問です。ひとつひとつの日付にリンクを貼ることは確かに可能ですが、そのリンクがあることでに何の理解を促進しているのでしょうか。
    • 5と6は修正されたとは言えません。(「と思われる」→)「とされる」、「~の説が多数である」と言葉尻を改めたとしても指摘に答えたことにはなりません。それらの記述の根拠(出典)は何か、というのがWushiさんの指摘の根幹であるはずで、その意味で的外れな修正といわざるを得ません。
    • 8も修正されたとは言えません。書誌事項(最低でも編著者名・書名・刊行年・出版者)がきちんと整備されない限り文献を特定したことになりません。したがって、書誌事項が特定されていない限り、出典を示したことになりません。
    • 通俗本ではありますが、嘘を書いているわけではないでしょう。だから特に問題ない気がするのですが。」とありますが、大変問題です。ストレートに言ってしまいますが、通俗本を参考文献に挙げる百科事典を信用できるなさるのでしょうか。通俗本を参考文献にした百科事典などどこにあるのでしょうか。そんな百科事典など見たことがないはずです。それが何故なのかよく考えてください。通俗本は歴史学の参考文献とはしませんが、その理由は簡単で学問的な研究の手続きと関係なく書かれているために信頼できる情報源ではないからです。繰り返しになるかも知れませんが、秀逸な選考で選考対象となるのは百科事典記事です。歴史学とは似て非なる通俗歴史ファンや戦国ファンの思い入れを書き連ねたものを対象にするのではありません。そういうことを求めておられるならここは適した場所ではありません。
以上、指摘します。--ikedat76 2009年3月28日 (土) 03:35 (UTC)一部取り消し(抹消線部)および追記(下線部)。--ikedat76 2009年3月29日 (日) 03:39 (UTC)[返信]
    • コメント1、2、14に関しては修正ありがとうございます(1に関しては、9月15日_(旧暦)以外果たして細かくリンクさせる必要はあまりないと思いますが、言葉足らずだったということもないでもないので、せっかく作業してくれた感謝の意をこめてこれ以上コメントしません)。ikedat76さんのコメントに乗りかかる形になりますが、1817がないから、記事としてぶれているのかと考えます。純粋に軍事史として関ヶ原の戦いを論じている(例えば、兵力がどうのこうの、布陣がどうのこうのといった内容)根本文献が大日本帝国陸軍(出版年不明)であるならば、それを元に肯定的な立場ないし否定的な立場で論陣が張られ、学術論文が展開されると思います(ない可能性もありますが)。政治史的立場ならば、上記に例示している今谷、朝尾、高木、笠谷以外にも奈良本、二木などの面々が戦国時代~江戸時代初期らがどのように学説を展開したかが必要だと考えます。局地戦(東北、九州、四国)についても各地方の大学で郷土史を研究している教授陣などの論文や書籍から持ってくるべきです。どのような論文かピンと来なかったら、小学館や講談社などからハードカバーで日本史の通史(10数巻以上ある)で関ヶ原の戦いに書いてある巻に掲載されている参考文献に論文リストが記載されているので、参考になさるといいと思います。このことは、戦国時代の記事を書く上でのヒントになるかと思います。また、山川出版社からも各都道府県の歴史が出ているので地域史の参考になるかと思います。--Wushi 2009年3月28日 (土) 06:48 (UTC)--(一部訂正、山川追加)Wushi 2009年3月29日 (日) 04:35 (UTC)[返信]
  • (コメント)上記Wushiさんおよび私のコメントと並行するようにしてさらに修正をされたようですが、すくなくともこの差分の編集に関していう限り、以下の三重の意味で記事の改善に資さない編集ではないかと考えます。
    • 第1に、秀逸選考の通過を念頭に置いた編集であるなら、「信憑性は薄い」文献にもとづく記述を維持しようとするのは矛盾である。
    • 第2に、では『歴史群像』にもとづく記述を取り除いてしまえばよいか、というと該当の「関ヶ原の戦いに関する論点」という節自体が成立しなくなります。
    • 第3に、仮に信頼の置ける文献にもとづいて「論点」の節を維持できるとしても、やはり書くべき論点はWushiさんやMobnobokaさんご指摘のように、「関ヶ原の戦いの意義と限界」についてではないのでしょうか。
秀逸選考のための編集は何も推薦者ひとりがしなければならないものではありません。しかし、秀逸選考の通過を念頭に置くならそれなりの質の編集でなければ結果は厳しいものになるでしょう。2009年3月28日 (土) 03:35 (UTC)付のコメントで、指摘されたことの根幹がなんであったかを考えて修正することが必要だと申しましたが、応えられているとは言えません。指摘の表面をなぞっているに過ぎないような仕方では、秀逸云々をさておくとしても質の高い記事を生むことに資しません。
遠慮なく辛辣に申し上げてしまいますが、秀逸選考は、指摘に対する応え方や文章の書き方を添削指導する場ではありません。秀逸選考を通過させるための作業を担う意思を表明されているのであれば、それなりの水準の対応をお願いしたいと考えます。これは蚯蚓さんおひとりを名指して言うものではありませんが、こうしたことは過去にも何度か見られたことでもあり、コメント致します。--ikedat76 2009年4月2日 (木) 17:19 (UTC)[返信]
Ikedat76さんのコメントに回答いたしますと、秀逸化に向けての努力が表面上でしかないとおっしゃられるのもわかります。まだ深く掘り下げて記述できていません。そこは途中です。
上記Wushiさんの17の指摘に関して言いますが、まず直江状について、誰の説かは関ヶ原本戦に記述する必要はあるのでしょうか。直江状の項で詳しく誰が主張するのかを記述してあります。本戦の方でそれを記述すべきなら書きますが。
同、黒田の行動についても黒田孝高の項や石垣原の戦いで記述してあります。それらの項を「関ヶ原の戦い」で細述する必要性があるかどうかは疑問符です。
もしこの記事名が「関ヶ原の役」ならそれらも細述しますが、どうでしょうか。関係記事はCategory:関ヶ原の戦いに書いてありますので、それらを統合するならしてもいいですが。関ヶ原の戦いならどうなのか…と。--蚯蚓 2009年4月3日 (金) 01:55 (UTC)[返信]
コメント2009年3月23日 (月) 12:43版直近最新(2009年4月3日 (金) 01:35)版との比較ですが、10、12、13は歴史的事実ですので指摘点を少し補強するといった感じです。書くとしたら13.は黒田如水が石垣原の戦いの後に、西軍の福原長堯熊谷直盛等の領土を蹂躙したくらいを書けば、十分かと思います。10.東北(伊達政宗)と12.四国(蜂須賀父子)も同様で指摘点が一文ずつあればいいかと思います。5.直江状に関しては、「…の説がある」の後ろに<ref>某(YYYY)</ref>で参考文献を明記のかたちにすれば良いのかと考えます。出来れば、17.にも体系だったものがあればいいのでしょうが、まずは5.のところに上記形式で最低書いておく必要があると私は考えます。17.に関してはまずは、大局的に「関ヶ原の戦いの意義やその限界」についての整理がほしいと考えます。そして、その下に少し局地的な研究(直江状や堀秀治、橋場説(歴史群像)以外の軍事史的な論点の採用)を展開・整理するといった感じです。--Wushi 2009年4月3日 (金) 14:33 (UTC)[返信]
  • コメント私も上記の方々のご意見に近い印象を受けています(別の記事の推薦をするつもりなので墓穴を掘りかねませんが)。たとえば、関ヶ原の戦い#家康の専横と加賀征伐には「すなわち細川忠興に豊後杵築6万石、堀尾吉晴に越前府中5万石、森忠政に信濃川中島13万7,000石、宗義智に1万石を加増。」というくだりがある一方で、該当する加増等の記述は、細川忠興森忠政にはありますが、堀尾吉晴宗義智には見当たりません。史実や学説がどうなっているのかは確認していませんが、信憑性への印象にかかわることかと思います。逆にチェックしきれないのならばなぜ書かれているのか? と感じます。この例からは、「家康の専横と加賀征伐」の段落名の妥当性もよくわかりません。投票期間がまだ2か月あるため早期打ち切りへの賛同は見送りますが、賛成票は投じられません。--ぉっ 2009年4月9日 (木) 10:18 (UTC)[返信]

(選考終了)選考期間満了のため、この選考は見送られました。--Wushi 2009年6月24日 (水) 11:39 (UTC)[返信]