Wikipedia:コメント依頼/山田晴通 20201010

利用者:山田晴通のこれまでの行為について、コメントを依頼します。

この依頼は、問題行為を繰り返していると指摘されている当人が、自ら提出するものです。

自らのコメント依頼の提出理由[編集]

山田は、かつて管理者を投票により解任された経緯があるように、他者からの指摘を適切に読み取れないことや、他者との議論において噛み合わない状況になることがしばしばあります。このことは自覚があり、議論に参加する際には当人としては注意もしているところです。

しかしながら、最近立て続けに、改名提案に反対する局面において、議論に参加する姿勢が誠意を欠いているとの指摘を受けました。

具体的には、「ノート:蝉丸#「蝉」を含むページ名の改名提案」、「ノート:三ツ沢#改名提案」の議論において、いずれも提案(の一部)に反対票を投じた際の議論の中で、議論に関わる姿勢が「誠実に答えない問題構造」をもっており、「立証を怠っています」といった指摘を受けているのですが、当人としてはそのような自覚はありません。しかし、過去からの経緯もあり、自分の主観的な判断では大きな勘違いをしているところもあるのではないかとも危惧します。そこで、この際、ここで直接言及している案件以外も含め、また、改名提案のみならず、削除依頼その他の審議における山田の審議への参加姿勢について、率直なコメントを伺いたいと考え自らコメント依頼を出すこととしました。

具体的な事例を踏まえた、忌憚のないご意見を伺えれば幸いです。--山田晴通会話2020年10月10日 (土) 07:41 (UTC)[返信]

依頼者/被依頼者からの追加のコメント[編集]

ProfessorPineさんは、「ノート:パロディ・モンタージュ写真事件#再改名提案の閉じ方について」において、「ノート:三ツ沢#改名提案」における山田のコメントを正確に引用された上で「あなたは反対票がある限り、合意形成とは呼べないと主張しています。」とおっしゃっています。そこで引用されているのは、まさしく山田が述べた次のようなコメントです。
「花いかださんは、提案から1週間で反対は山田だけであるとして、合意形成とすると仰っています。通例、1週間で結論を出すの:は、反対がないか、(提案からではなく)議論が停止してから1週間(ないし2週間)ではないでしょうか?」
山田は、このコメントが「反対票がある限り、合意形成とは呼べないと主張し」たことになる、そのように受け取られるということが理解できていません。
そこで、あるいは別のコメントも踏まえてそのような誤解をされているのではないかと考え、
「色々誤解されておいでのようですが、「あなたは反対票がある限り、合意形成とは呼べないと主張しています。」というのは、山田のどの発言を指しておっしゃっているのでしょうか?具体的にそう解釈された部分をご提示ください。このまま誤解されたままでいるのは残念です。--山田晴通(会話) 2020年10月22日 (木) 21:38 (UTC)」
と申し上げたのですが、「対話不能と判断」され、こちらでの議論となった次第です。
Wikipedia:善意にとる」に照らしてなお、そのように受け取られる(山田の立場からすれば誤解される)ようなコメントを山田はどこかでしていたのでしょうか?その辺りを具体的に示していただかないと、今後に向けて同様の誤解を重ねることになりかねないと危惧しております。
なお、コメント依頼に書かれたことは目を通しておりますし、真摯に受け止めております。また、コメントをいただくことが趣旨ですので、十分に納得的ないこと、異論を申し上げたいこともありますが、この場では極力それは控えるつもりでおります。意のあるところをお酌み取りいただければ幸いです。--山田晴通会話2020年10月23日 (金) 11:07 (UTC)[返信]

コメント[編集]

  • コメント 改名議論で揉めている場面で頻繁に名前を見かけるように思うのですが、そもそも改名は今注力することではないと思います。紙の時代なら、記事名が不適切だと読者が記事にたどり着けない、ということはあったでしょう。しかし今、人間が「こんな感じのこと調べたいんだけど」というとAIが「これじゃね?」と記事を提示する、程度のことは現実的に可能になってきています。内部リンクだって、編集者が手動でつけなくてもよくなるでしょう。近い将来に機械がやりそうなことは、人間が今やることではありません。それより、改名してアクセスを改善しても、たどりついた記事の内容がひどい、という現状の改善に注力すべきではないでしょうか。--西村崇会話2020年10月13日 (火) 00:39 (UTC)[返信]
  • 質問 西村崇さんにお尋ねしますが、「そもそも改名は今注力することではない」とのご発言の真意をお聞かせください。同じような発言は、蝉関連の改名議論でも西村崇さんは展開していらっしゃいましたが、今回の2件とは経緯が異なります。「三ツ沢」の方では「三ツ沢 (富士市)」の記事を花いかださんが新規立項したがゆえに、曖昧さ回避が現実問題として必要となったから改名提案なさっています。さらに柒月例祭さんが丁寧な追加調査した上で賛成票を投じています。この調査により、曖昧さ回避ページに何を載せるべきか具体的な話が進んでいます。また「パロディ事件」の方は予告した通り、関連する親記事の「パロディ」を私が改稿中です (編集差分)。この改稿にあたって、内部リンクを貼っている事件名を変更しないと困ったから改名提案を出したのです。つまり2件とも、具体的に記事の充実化を図っている当事者によって、現実問題を解消するために労力を割いています。まだ実現していない将来のAIの話をここで持ち出した意図が理解できませんでした。--ProfessorPine会話2020年10月13日 (火) 02:14 (UTC)[返信]
  • コメント 書かれている文言の通りで、これを見て本人がどう行動を変えるか(あるいは変えないか)を見たいためのコメントですので、真意を説明するつもりはありません。「何を目的にこのコメント依頼を提出したのか」についても、私は見解を持っていますが、それを説明するつもりはありません。本人の対応がすべてだと思います。--西村崇会話2020年10月13日 (火) 04:03 (UTC)[返信]
  • コメント 山田晴通さんは何を目的にこのコメント依頼をご自身で提出されたのか、正直理解に苦しみます。まず、現在問題となっているのは「ノート:パロディ事件#再改名提案」と「ノート:三ツ沢#改名提案」の2件です。前者の改名提案を提出したのは私であり、当事者ですからあまりこの場で私がガヤガヤするのはよろしくないのでしょうが、前者を山田晴通さんがわざわざコメント依頼から除外したのはなぜですか? ノートを見て頂ければ分かりますが、山田晴通さんは2件とも「慎重な審議を求める意味で、反対票を投じておきます。」と文章をコピペして、反対票を1時間以内に2件に投じています。私は、"「反対票を投じる=現状のページ名を積極的に維持する」行為ですから、なぜ現状のページ名がより優れているのか、反対投票者に立証責任"があると申し上げました。賛成票を投じた皆さんは、具体的に文献調査を行って発言しているにもかかわらず、山田晴通さんは反対理由をサポートする客観的な情報を追加で提供しようとせず、建設的な議論参加の姿勢が見られなかったためです。さらに、"ノートページ上での他者発言に即レスせず、まずは関連ページ/文献をお読み頂き、主題の基礎理解に基づいて建設的なご発言をお願いできませんでしょうか" と私は申し上げましたが、それを無視してこのコメント依頼提出はさすがにないと思います。悪気はないのでしょうが、結果として2件の改名提案のクローズを先延ばしするフィリバスターのような状況に陥っていると思います。今やるべきは、2記事のノートに戻ってきて、客観的な追加情報を提示した上で反対票を維持するか、さもなくば反対票を撤回するかだと思いますよ。--ProfessorPine会話2020年10月13日 (火) 02:14 (UTC)[返信]
  • 報告パロディ・モンタージュ写真事件」の改名提案ですが、具体的な反対材料の提示を求めてから9日経過するも山田晴通さんから反応がなかったため、予告通り反対票ではなくコメント扱いとし、賛成3票で改名を実施しました。この間、山田晴通さんは精力的に新規立項や別の改名提案、削除依頼などをこなしていることから、「パロディ・モンタージュ写真事件」からの議論撤退と判断致しました。--ProfessorPine会話2020年10月15日 (木) 11:52 (UTC)[返信]
  • 「慎重な審議を求める意味で、反対票を投じておきます」って言って、よく反対票を投じておられるようですが、慎重な審議を求める(=結論を先延ばしさせる)ために、気軽に反対票を入れられたら提案者はたまりません。反対票を入れるのは、山田晴通さんが反対(現状維持がベター)であると真に思い、その根拠を明確に説明できるときだけにしてください。--Yapparina会話2020年10月13日 (火) 11:25 (UTC)[返信]
  • コメント ちょっと気になったのでコメントすることにしました。改名提案や削除依頼などで気軽に反対票や保留票を投じるユーザーを知ってますが、Yapparinaさんも仰っているように提案者からすれば嫌がらせされているように感じるでしょうし、1票の重みというものを軽んじているように見えます。たった1票でも、その票があることによって事が円滑に進まないこともあるわけで、投票というものは、もっと慎重に行なうべき行為だと思います。提案者からすれば、それこそ本当にたまったものではありません。ご参考までに。--111.171.171.23 2020年10月14日 (水) 07:46 (UTC)[返信]
  • コメント 大筋としては山田晴通さんを支持する意見を述べます。
  • 私は、山田晴通さんと同様に、改名提案で「慎重な審議を求める」ことがよくあります。(例)ノート:銀座#改名提案(山田晴通さんもこれにも参加なさっています)・・・私の場合には、「反対」とするよりは「保留・慎重意見」ぐらいにしておくことが多いですけど。
  • 改名は大雑把に分類すると、通常の記事改名と、曖昧さ回避がらみがあります。それぞれ改名に際して検討すべきことが違います。
  • 一般論として、改名案件は、当初提案の質の高いものから低いものまでいろいろです。提案者が「自分はこう思う」ぐらいのことしか述べず客観的な根拠を具体的に示さないような場合で、告知が最小限しか行われていない、結論を急いでいる(1週間ですぐに実行するよという場合)場合には、ルール関係・過去の合意や類似案件・実際の文献での用例がじゅうぶんに圧倒的であること、他に重複があるかどうか、などをきちんと調査し実証してからにしてね、というコメント・保留票を投じることは、私もよくあります。あまりにも提案が低質な場合には・・・反対票とするケースもあります。
  • 改名提案は、最低ラインとしてはWikipedia:改名提案での告知を求めていますけど、関連するPJやその分野によく顔を出している利用者にもお知らせして意見を募る、というのがベターだと私は考えています。最低でも1週間というのは例示されていますけど、改名を急がなければいけない事情があるケースというのは稀で、もう少し時間をかけてもデメリットは無いとも思います。
  • なので、具体的な根拠が適切に例示されていない/十分な告知が行われていない案件で、山田晴通さんが、最初に「反対」(慎重意見)を表明すること自体は、妥当だと私は考えます。
  • 今回、三ツ沢には私も関わりましたけど、上記の観点で、当初の提案は、高いレベルで説得力があるというわけではなかった、とは感じます。地名の曖昧さ回避ではよくあることで珍しくはないのですが、平等な曖昧さ回避なのか、どれかを代表的なトピックとするか、知名度の大小を決めるのにじゅうぶんな調査結果が示されていない。なので、少し時間をかけて慎重に検討することを求める、というのは、理に適っていると思います。検討した結果、当初提案の「平等な曖昧さ回避」とするということになるならそれでいいのですが、検討せずにそうするのと、検討してそうするのでは、説得力が違います。(横浜の三ツ沢が代表的なトピックかどうかを判断する根拠がGoogle検索だけだった、というのは、ちょっと説得力が弱かったようには思います。)
    • 地名の曖昧さ回避の場合、(1)他に曖昧さ回避の対象となりそうな物件の精査、(2)表記ゆれの検討、(3)どれかが圧倒的知名度があり代表的なトピックとするかどうかの判断、の3つが主な検討点になります。そして多くの場合、現存の大字や町丁などの地名だけでなく、河川名や山岳名、人名、企業名、商品名などの固有名詞、それに過去の地名なども検討の対象に入るでしょう。
    • 理想的なのは、これらの点について、「こういう調査を行い、こういう結果が出ています」と具体的に例示することです。Google検索は、手軽ですが、往々にして説得力のある根拠ではないとみなされます。Google検索で得られるのは、せいぜい2010年以降の言及に限られるといったところで、ニュースやポップカルチャーの影響を受けやすく、自然地名の歴史的な重要性などを測るには不向きかもしれません。たとえば、たまたま人気アニメにその名字のキャラが登場する、みたいな事があるとGoogle検索は明らかに偏りが生じます
  • 蝉の方は私は初見ですけど、漢字が解禁になったから一括して書き換えようというのは、やっぱり乱暴で、ちょっと待てというのは正しい意見です。記事名を定める最も基本的な考え方は、山田晴通さんが示されたとおりWP:CRITERIAです。いくら「旧字体を使用してよいことになった」といっても、ただそれだけでは改名の根拠になりません。世間一般で使われている表記を採用すべきだというのがWikipediaの基本則です。一般に使われているのが旧字体で、今まではそれが使えなかった、というなら改名に値しますけど。
  • この点については花いかださんによる具体的検証によって、大きく議論の質が向上しています。
  • 先を焦らず、根拠が出てくるまではちょっと待ちましょう、ということでの慎重意見を述べるのは、知的プロジェクトの百科事典としては適切な態度でしょう。当初提案が適切な根拠を示していない場合には、ただそれだけで反対されるのは当然で、それは提案者側の落ち度です。
  • ただ、首を突っ込むからには、調査や議論の帰趨にもいくらか責任を分担するのが、道義的な面ではベターだろうなー、とは思います。なにも自分自身で文献調査をするとまでいかなくても、ベテランとして、関連PJなどのコミュニティへの告知をやってあげるとか、その記事や同分野の編集者で、調査能力のありそうな人に声をかけるとか、してあげると親切だなとは思います。それでたくさんの編集者が集まってきて、具体的な調査が始まるようならば身を引くのでもいいでしょうし。(蝉の場合には、山田晴通さんは十分なフォローもなさっているように見えます)
  • この意見には私も全く同感で、100件の改名提案よりも、1つの記事を出典つけて改稿するほうが100倍生産的です。改名提案するなら、少なくともそれ相応の調べ物をすべきだし、そうすれば自然と、出典つけて改稿できるでしょう。それをせずに改名ばかりするのは、ちょっとねー、とは感じます。--柒月例祭会話2020年10月15日 (木) 09:49 (UTC)[返信]
  • コメント 上述の私の発言、お読み頂いてますでしょうか? 今回問題となったのは蝉の件ではなく、「ノート:パロディ・モンタージュ写真事件#再改名提案」ですが...。親記事の改稿を進めている中で必要になったために改名提案しています。西村崇さんも柒月例祭さんもですが、まるでこちらが表面的な改名だけで遊んでいるかのようなご発言に読め、提案者としては極めて遺憾です。まだ改稿は途中ですが、既に4万バイトも加筆してるのに。--ProfessorPine会話2020年10月15日 (木) 11:52 (UTC)[返信]
  • 返信 そのような印象を与えてしまったのはすみません。私の発言は、もっぱら「三ツ沢」「蝉」に関してのものです。「パロディ事件」については、私は法令関係は疎いので、正直わからないというのが本音です。少なくとも、加筆なさっていることはおっしゃるとおりで、表面的な改名だけで遊んでいる、とは思いません。--柒月例祭会話2020年10月16日 (金) 02:11 (UTC)[返信]
  • (コメントの仕方や編集の仕様がいまいちよく分かっていないので不手際があったらご容赦ください)もう早々とシメられてしまったようですが、上記事件について、田村先生と上野先生という大物の先生方が「パロディ事件」とした評釈が現に存在する中で、これを挙げた山田先生の反対意見をコメント扱いして強行されるのはちょっとどうなのでしょう…。個人的には「議員定数不均衡事件」が星の数ほどある中で特段の断りなく言及されれば事情判決の法理を示したあれとわかったり、あるいは「白鳥事件」といわれた場合にトリの白鳥に関する事件(なお、エリザベス1世のころの英判例で白鳥事件というものがあるのですが、時代で判断するならそちらが「白鳥」という名前を無主物先「占」するんでしょうか)でなくもう殺してもいいやつかとイメージできたりするのと同じく、「パロディ事件」についてもなるほどあれだなとイメージはできます。つまり、名称が何となく一般的に考えて抽象的だからといってその名称を判例のニックネームとして使用するのが不適切という結論は導かれないんじゃないでしょうか。まあどうせどんなニックネームで呼ぼうが評釈では裁判所判決年月日掲載誌で必ず特定して引いてくるのであって、これがパロディ・モンタージュ写真事件になったからといってそのような特定が不要になるわけではないですし。結局、「現に」日本で「●事件」と呼ばれるものが複数存在するのでなければ(当事者がソニーやディズニーの事件ならそういうことがあり得ると思います)正直アバウトでもいいことで、だからこそここまでいろいろな事件で表記ゆれが存在しているわけかと思います。

個人的に気になったのは、そもそも最初の段階で、田村・上野先生の評釈がアップされていて簡単に検索してたどり着けるにもかかわらず、「信頼置ける情報源で「パロディ事件」を使っている例は見当たりませんでした」と言い切られている点です。当事者主義の訴訟手続などとは異なり、ウィキペディアでの議論は情報を出し切った上であくまでより良い結論が何かを皆で検討するためのものなのでしょうから、もし情報を把握した上であえてご自身の好みを通されるためにわざと黙っておられたのであれば、それは些か誠意を欠くのではないかとも思います。もし本当に調査が及んでおらず把握されていなかったとすればですが…私はたまたま判例を正面から扱った項目でも立てるかと別の方々の立項したものを参考に見ていたところProfessorPineさんの立てられた判例項目を踏んだのがきっかけでこちらのやりとりを拝見したのですが、手続の理解や訳語の当て方が何というか全般的に非常に独特というかユニークだったため、私は少々面食らってしまいました。その事件に関してはIP関係や海外法制に詳しい学者実務家の方々がかなり詳細に解説していてウェブでも確認できるものがたくさんあるのになぜそういうことになったのかと不審に思ったのですが、もしこの分野に関してウェブ上の情報の確認はほとんどしていらっしゃらないということなら納得です。が、そこはできたらもう少ししていただいた方がいろいろな意味で混乱を招かなくてよいのではないかというのが正直な感想です。--Teldec会話2020年10月15日 (木) 13:23 (UTC)[返信]

  • 返信 (Teldecさん宛) 曖昧さ回避に作り替えた後の「パロディ事件」をよくよくご覧になって下さい。これら複数のパロディ判例を扱った文献上で、昭和55年判決だけを「パロディ事件」と呼んでいるケースは誰一人として提示していません。私自身もこの改名提案を思いついてから実は16か月も温存していて、その間に複数の文献を当たって関連ページを加筆してきましたが、見つけられませんでした。ノートで既に指摘しましたが、山田晴通さんの当初提示情報 (田村、上野など) は全て、判例単一を紹介したものでしかなく、これでは曖昧さ回避の不要の判断材料にならないので、昭和55年判決だけが突出している表記をしている文献があれば提供をお願いしました。この指摘後、9日も待ちましたが誰からも反応はありませんでしたので、改名提案成立としました。なぜこれが手続上も実体上も「強行」なのでしょうか? もし山田晴通さんが多忙でWikipedia上での活動が不活発なら、もう少しお待ちしたと思います。ですが、これだけの大量投稿記録があるわけです。--ProfessorPine会話2020年10月15日 (木) 14:13 (UTC)[返信]
  • うーん…挙げられているのはすべて米判例で、現にそれらをProfessorPineさんも当事者名で特定して引いてこられているわけですが、米判例はそもそもあえてニックネームで特定して呼ばれること自体がそうないですよね。例えば、非常に有名なhairy hand caseとかいうのもwikipediaの項目上「Hawkins v. McGee」になってますが、これが講義用の教材として出てきたペーパーチェイスという映画でも私の記憶が正しければやはり当事者名で特定して呼ばれていたはずです。結局、現地の解説で「parody case(s)」として列挙しているものは「パロディに関する判例」とでも訳すべきものにすぎず、(事件の特定に必要な「当事者」の名前自体があまり表に出てこない)日本における個別の判例を特定するニックネームとしての「パロディ事件」とパラレルにとらえるべきものではないのではないでしょうか。で、その辺で理解の食い違いがあるからこそ「言及されている Campbell v. Acuff-Rose Music, Inc. や Deckmyn v Vandersteen をそのように呼称している「日本語」(←私がカギカッコつけました)の用例はあるのでしょうか」と山田先生がおそらく質問されているわけで、この質問に答えられずにProfessorPineさんはそれ以降ずっと逃げ続ける格好になってしまっているようにも見えます。この場合、日本語にどう訳してどう考えるかが問題になるわけですから、そこを明確にあるないで答えずに「英語の関連書籍を読め、読んでないからわからんのだ」ではちょっと回答になってないですし、それで議論は終わったと解釈されるのはかなり強引に見えるのです。なお、「判例単一」の意味をつかみかねているのですが、どのようなご趣旨なのでしょう。複数の判例を一人が一つの評釈の中で扱っている場合でないと参考にしてはいけない気がするということでしょうか?そもそもそういう発想自体ありませんでしたが、そのようにお考えになる根拠も別にないと思いますよ。それでいくと、百選などはいろんな先生方が執筆した個別の判例に関する評釈の寄せ集めなのですから、それを参考にすべきとも言えなくなってしまいます(なお、この場所にコメントを突っ込むべきでないのならすみません)。--Teldec会話2020年10月15日 (木) 15:11 (UTC)[返信]
  • コメント このコメント依頼の焦点からは外れる部分もあろうかと思いますが、コメントさせていただきます。「利用者‐会話:山田晴通#Discogsの使用に関して」で一度やり取りをさせていただいた件について、詳細はそちらに目を通していただければわかりますが、山田さんは外部のWikiサイトを出典として利用することに何の疑問も抱いておられませんでした。本件について、私が方針やガイドラインに照らし合わせて論理的に反駁いたしましたが、山田さんはただひたすらに「私見」を提示されるだけで、そうは思わないの一点張りでまるで議論にならないという印象を受けました。当議論については、こちらから対話を打ち切りにしていますが、以降の投稿履歴を拝見します限りご理解を得ることは叶わなかったようです。
また、削除依頼の提出歴やそこで提示されたご意見に関しても私は長年あまり良い印象を持っていません。特にケースEの案件において肝心な調査結果が杜撰であることが私や他の利用者から指摘されることもままあり(私が加筆を行ったWikipedia:削除依頼/ゲーセンで出会った不思議な子の話や、最近ではWikipedia:削除依頼/東京大衆歌謡楽団)、やはりこちらも山田さんご自身の主観や「私見」等によって削除の必要性の判断をなされているのでは?と邪推してしまうようなことが多いです(簡単にピックアップするならば、例えばWikipedia:削除依頼/宮崎まゆみなども記事が孤立していることは削除判断の理由には決してなり得ませんし、Wikipedia:削除依頼/スーパークレイジー君あるいはWikipedia:削除依頼/西本誠におけるWP:SNOWの適用についても論理性に欠けています)。僭越ながら申し上げますが、山田さんはご自身の関心のない分野にまで無理に管理行為の手を広げるのはお止めになった方がよろしいのではないでしょうか。--stck_w (Talk/Edits) 2020年10月15日 (木) 15:05 (UTC)[返信]
  • コメント もう答は出ていると思います。依頼者はコメント依頼はなさいましたが、コメントに耳を傾けるつもりはないのでしょう。
    本当に「忌憚のないご意見を伺」いたいとお考えなのであれば、「具体的な事例を踏まえた」などと限定をつけるでしょうか。「批判コメントは抽象的と退けます」と書いてあるようなものです。また本当に改名提案で御自分が「大きな勘違いをしているところもあるのではないかとも危惧」なさっているのであれば、その改名提案について「忌憚のないご意見を伺」っている最中に、新たな改名提案を提起したりするでしょうか。実際には「危惧」などお持ちでないことが、この「具体的な事例」に示されていると思います。
    私は冒頭「改名提案に関わるのをやめて、記事の改善に集中してはどうか」と申し上げたつもりですが、そう解釈なさることも、実際にそうなさることもないでしょう。私は、この試みを諦めます。そう解釈なさらなかった方はほかにもいらっしゃるようですし、依頼者が「自分ではなく、コミュニティ側に問題がある」と主張するのに使える材料は集まってきているように思います。そういう意味では、依頼者の方が一枚上手なのかも知れません。--西村崇会話2020年10月15日 (木) 19:04 (UTC)[返信]
  • コメントノート:パロディ・モンタージュ写真事件」にて、ProfessorPineさんに当コメント依頼に関連する件について、ご意見を求めていたのですが、停滞しておりますので、僭越ながら私から「パロディ事件の再改名提案」並びに追加のコメントである「再改名提案の閉じ方」に限りコメント致します。
  • 「パロディ事件の改名」につきましては、上記のTeldecさんの意見と同じく山田晴通さんの意見は決して的外れとは言えず、有効な反対票であったと考えます。ただし、ProfessorPineさんはそう感じておられなかったのは確かであり、山田晴通さんにおいては、もう少し丁寧な説明があっても良かったのではないかと思います。
  • 「再改名提案の閉じ方」については、額面通りに山田晴通さんの発言を読めば合意形成に必要な条件としては
  1. 反対意見が無く1週間経過した
  2. (反対意見があっても)議論が停止してから1週間乃至は2週間が経過した
のいずれかと読めますので、この発言を以て「反対票がある限り合意形成と呼べない」とは取れないと感じます。しかしながら、再改名提案での遣り取りで上手く意思疎通ができなかった結果、発生してしまった事態であるとも思いますので、山田晴通さんには、意思疎通できているかを確認しながら、より慎重な議論を行っていただければと思います。--Junknote会話2020年11月9日 (月) 16:35 (UTC)[返信]
  • コメント コメントはここにすればよろしいのでしょうか。リダイレクトであった独島を単独項目化させた行動[1]について、ここにコメントをしようかどうか迷いましたが、独自研究の酷さと他者意見の軽視、両面で驚かされました。
独自研究について詳しくはこちらで申し上げましたのでここでは詳細は割愛しますが、山田晴通さんが独島の導入部に書かれた記述の中には、検索サイトなどで10分でも調べればすぐにわかるようなレベルのかなり稚拙な誤情報が出典の明記もなく記されていました。私が独島をリダイレクト化させる前に別の方が一部を正してくださいましたが。山田晴通さんは普段からこのような低質な記事の投稿を行っているのでしょうか。
他者意見の軽視について。山田晴通さんが最初に独島単独項目化をおっしゃったノート:竹島/過去ログ5(これも記事名改名の議論)では単独項目化への賛同者が一人もいないばかりか私を含む二名の利用者が単独項目化に反対していましたが、その状況で単独項目化が強行されました。単独項目化の後もノート:竹島/過去ログ5Wikipedia:削除依頼/独島20200814でも単独項目化に反対する方が現れ、賛同する方はいませんでした。しかしそれでも山田晴通さんは一切自らの非を認めようとしない。#自らのコメント依頼の提出理由で「他者からの指摘を適切に読み取れないことや、他者との議論において噛み合わない状況になることがしばしばあります。このことは自覚があり、議論に参加する際には当人としては注意もしているところ」とおっしゃっていますが、独島単独項目化はまさにそのような山田晴通さん個人が抱える問題がWikipediaに害を為した事例と考えています。そして「まとめ」に関するやり取りを見ていると、そのような問題があることを自覚したうえで自らコメント依頼を行ったにもかかわらず、コメント依頼をまとめる段階になってもいまだに「他者からの指摘を適切に読み取れないことや、他者との議論において噛み合わない状況」を発生させていると言わざるを得ないです。他者から「まとめろ」と言われたのであってもまとめを行う経緯がどのようなものであっても、「他者からの指摘を適切に読み取れ」ているのならば独りよがりなまとめなどはせず大筋で正確なまとめを書くことができるはずだと思うのです。「注意もしているところ」という言葉だけでまったく「注意」した行動ができていません。
ノート:竹島/過去ログ5でご自分に関するコメント依頼を提出するよう他者に求める発言がありました[2]。しかしコメント依頼は教育施設の類ではありませんので、過去に指摘された点と同様の問題をさらに繰り返してまた同じようなコメント依頼で他者から同じことを指導されなければならないのでは、問題解決というWikipediaへのメリットもなく徒に人的資源を浪費するだけです。「まとめ」についてのやり取りを見ていると、このコメント依頼だけでは山田晴通さんの問題は解決されたとは考えにくいと思いました。ご自身の問題をこのコメント依頼で終局的に解消する意思をお持ちでしょうか。私にはとてもそのようには見えません。--Henares会話2021年2月20日 (土) 08:18 (UTC)[返信]
  • (二回目のコメント) ノート:竹島での少しお話をさせていただきましたが、このコメント依頼のことについてノートページで申し上げても「反省しなければいけない」とおっしゃるだけで肝心の行動がまったく改められていないと、山田晴通さんの相手方をした者としては考えます。「肝に銘じたいと思います」という言葉の評価や投稿ブロックに言及したBellcricketさんのご意見[3]は残念ながら山田晴通さんという利用者を正確にとらえたものと言わざるを得ないです。正確性確保という観点から山田晴通さんに関わった経験が浅い私が新たな依頼などを行う意思は今のところありません(ただし確約まではできません)。山田晴通さんという利用者に長くかかわってこられた方が少なからずいらっしゃるようですので、問題を近日中に解決するか将来再発した時に解決するか、お任せしたいと考えています。少なくともこのコメント依頼を踏まえた上で今の状況ですので、山田晴通さんがこのコメント依頼の後も同様の問題を繰り返す可能性が高いことはもはや誰の目にも明らかであるように思います。--Henares会話2021年2月24日 (水) 10:55 (UTC)[返信]

まとめ[編集]

  • 議論が止まっって3ヶ月近くなっております。会話ページに何らかのまとめを求めるご意見をいただきましたが、本件依頼は、依頼者自身が被依頼者であり、当方でまとめる事が適切か、判断が難しいところもあります。1週間ほど待っても特にご異論がなければ、山田としてのまとめをこちらに書き込みます。それ以前に、どなたかが客観的にまとめをしていただけるようであれば、それを歓迎します。--山田晴通会話2021年2月7日 (日) 01:11 (UTC)[返信]
    • 1週間以上、特段のご異論がありませんので、依頼者=被依頼者である山田からのまとめを以下に綴ります。さらに特段のご異論がなければ、あるいは、議論が停止して2週間以上が経過した場合は、本依頼を閉じます。
      • 本件依頼で山田がコミュニティにお尋ねしているのは、「議論に参加する姿勢が誠意を欠いている」と指摘をされているが、当人にはそのような自覚はないので、具体的にどのような「姿勢」がそのように見えるのか、という点でした。これについては、こういうところが不誠実であるという具体的指摘は明確なものはなかったように思われます。
      そもそも「誠実に答えない問題構造」という表現を(現在の)「ノート:三ツ沢 (横浜市)」においてお使いになったProfessorPineさんは、こちらのコメントではそうした文言はお使いになっておられませんが、「ノート:パロディ・モンタージュ写真事件」において山田が安易に反対票を投じ、賛成が多い形成になってもそれを撤回しなかったことを特に問題視されておいでのようです。(2020年10月13日 (火) 02:14 (UTC)など)しかし、山田の反対票があっても、圧倒的多数が賛成しているのであれば改名は実施可能ですし、反対票を投じていた者が撤回しなければ審議が滞るといった議論はコミュニティに共有されていません(他の方々からも山田に近い意見が出ています)。[返信]
      • 本件依頼では、山田に大いに問題があるとするご意見もありましたが、そうではないご意見もあり、山田の「姿勢」への評価は必ずしもコミュニティが一致して支持するものではないことが明らかになりました。
      西村崇さんは、「依頼者が「自分ではなく、コミュニティ側に問題がある」と主張するのに使える材料は集まってきているように思います。」(2020年10月15日 (木) 19:04 (UTC))ともおっしゃっていますが、これは明らかに誤りであると考えます。少なくとも山田はそのように「主張」することはありません。Wikipediaにおいてコミュニティは常に正しいのです。たとえ、コミュニティが一致した結論に至らないとしても、現状ではそれが正しいのであり「問題がある」わけではありません。コミュニティが一致して山田を不誠実であると判断するのであれば、山田が不誠実だということです。そして、そのような一致が見られないということは、山田の「姿勢」を不誠実と考える参加者もいれば、そうではない参加者もいるということでしかありません。[返信]
      • 本件依頼の「#依頼者/被依頼者からの追加のコメント」において、山田は、「「Wikipedia:善意にとる」に照らしてなお、そのように受け取られる(山田の立場からすれば誤解される)ようなコメントを山田はどこかでしていたのでしょうか?...なお、コメント依頼に書かれたことは目を通しておりますし、真摯に受け止めております。」と申し上げております。(2020年10月23日 (金) 11:07 (UTC))これは、それに先んじて「もう答は出ていると思います。依頼者はコメント依頼はなさいましたが、コメントに耳を傾けるつもりはないのでしょう。」と西村崇さんにコメントいただいたことも踏まえています。(2020年10月15日 (木) 19:04 (UTC)[返信]
      当初の依頼でも述べていますように、山田は「他者からの指摘を適切に読み取れないことや、他者との議論において噛み合わない状況になることがしばしばあります。このことは自覚があり、議論に参加する際には当人としては注意もしているところです。」その上で、「Wikipedia:善意にとる」に照らしてなお不誠実であると断じられることがあるのは、具体的な指摘がない限り、不徳の致すところとしか申し上げようがありません。
      その意味では、「もう少し丁寧な説明があっても良かったのではないか」というJunknoteさんのコメントは、今後とも一層心がけたいと思います。
      • なお、山田の立場から明らかに誤解であると思われる点について、2点だけ、最後に申し上げておきます。
      西村崇さんは、「私は冒頭「改名提案に関わるのをやめて、記事の改善に集中してはどうか」と申し上げたつもりですが、そう解釈なさることも、実際にそうなさることもないでしょう。」(2020年10月15日 (木) 19:04 (UTC))とおっしゃっていますが、それは誤解です。「そう解釈」した上で、それに従う必要はないと考えているということです。方針文書に明記されている場合を除いて、コミュニティの参加者が、他の参加者に、何かをすべきではないと発言することは自由ですが、そう言われた側はそれに従う義務はありません。正しく解釈することと、それに従うことは独立した事象です。[返信]
      stck_wさんのご指摘(2020年10月15日 (木) 15:05 (UTC))のうち、雪玉に関するご指摘はその通りかと思いますが、「Wikipedia:削除依頼/宮崎まゆみ」に関しては、削除票の根拠は「依頼者に同意」であって、記事が孤立していることの指摘は付随的なコメントに過ぎません。[返信]
      • 以上、山田としては、コミュニティが一致して、山田の「姿勢」を不誠実と問題視しているわけではないものと理解します。その上で、やりとりにおいて一層丁寧な説明を心がけるよう肝に銘じたいと思います。--山田晴通会話2021年2月15日 (月) 01:08 (UTC)[返信]

山田さんのまとめに対するコメント[編集]

  • 山田さんはずっと、この調子です。「コミュニティが問題視しているわけではない」「コミュニティが自分の意見と異なるのであれば、自分の意見とは異なる結論を出してくれるはずだ」。西村崇さんが「コメントに耳を傾けるつもりはないのでしょう」という感想を持つのもうなずけます。「コミュニティ」という言葉を盾にして、山田さんの態度の不満を持つ人たちの存在を無視しています。山田さんの姿勢に問題があると考える人も、ないと考える人も確かにいるでしょう。しかし、問題ないと考える人の存在は、問題視する人の存在を無視して良いことにはなりません。突きつけられた問題に向き合わず、それでも忠告を続ければ「利用者‐会話:山田晴通/過去ログ08#即時削除の方針をもう一度ご確認ください」のように「そもそも「言い続ける」ことはBellcricketさんの義務でも何でもなく、ご自身でご判断なさることかと思います」と、忠告する側に責任を放り投げるでしょう。こうした物言いは山田さんの会話ページで幾度となく繰り返されてきました。「肝に銘じたいと思います」という言葉を額面通りに受け取ることはできません。山田さんに「コミュニティ」の意見を聞き入れさせるのであれば、過去のWikipedia:管理者解任の投票/山田晴通 20161019のように結論を明らかに示す形、投稿ブロック依頼をとらなければならないでしょう。--Bellcricket会話2021年2月15日 (月) 02:44 (UTC)[返信]
    • Bellcricketさんが投稿ブロック依頼を提出されることに反対しないことを表明しておきます。もしかするとBellcricketさんは、自分が忠告する内容に相手は絶対的に従って当然だというお考えなのかもしれません。もし、本当にそのようにお考えなのであれば、そこにはベテラン管理者としての驕りがあるのではないでしょうか。管理者解任に至る過程で山田が学んだのは、全ての判断は、一人の管理者ではなくコミュニティが下すものだということです。--山田晴通会話2021年2月15日 (月) 05:18 (UTC)[返信]
*>自分が忠告する内容に相手は絶対的に従って当然だということはないにせよ、山田先生のまとめはあまりに独りよがりであるとは思います。反対意見に関しても、ご自分の意見表明に対してあまりに無責任だと思います。言うだけで自分の発言に責任を取らない、議論を不必要に停滞させているだけで、結果には関心を持たないという態度であるのではないかと感じられると思います。「コミュニティが問題視しているわけではない」「コミュニティが自分の意見と異なるのであれば、自分の意見とは異なる結論を出してくれるはずだ」このようなまとめをするのであればそもそもコメントを募集する必要は無かったと思います。カエサルの有名な言葉に『人間はみな自分の見たいものしか見ようとしない。』というのがありますが山田先生もその範疇であると思います。苦言の中には的外れなものもあるでしょう、それは否定はしませんが苦言を呈した人物を否定することで苦言を否定してはなりません。Bellcricketさんに驕りがあろうとなかろうと、コミュニティを軽視する傾向があるにせよ無いにせよ、それはそれとしてと山田先生が自分から求めたコメント依頼に関して自分が見たいものしか見ようとしない、そしてそれは今回だけではなく今までずーっと続いてきた傾向だろうと思います。--ぱたごん会話2021年2月15日 (月) 07:00 (UTC)[返信]
  • 信じていただけるか否かは別として、ぱたごんさんのおっしゃることはよく分かりますし、一切否定しません。そうであればこそ、山田は自分ではまとめをすることは適切ではないと考えておりました。その上で、山田のまとめ方が不適切であるとして、別の方が議論をまとめて閉じられることに反対するものではないことは言うまでもありません。また、上記の山田のまとめの中で苦言を呈された方の苦言そのものを否定する記述はしていないはずです。そのようにお考えになる方々がおいでになることは承知しておりますし、そのご意見を否定するつもりはありません。繰り返しますが、「善意にとる」を踏まえてなお、そのように誤解されるような山田のコメントがあるとすれば具体的にご指摘ください。--山田晴通会話2021年2月15日 (月) 07:22 (UTC)[返信]
          • 「具体的にご指摘ください」、それもまた、山田さんがずっと繰り返してきたことです。具体的に示したら「コミュニティの意思ではない」、それは違うと言えば「具体的にご指摘ください」の堂々巡りにしてしまいます。しまいには、私が驕っているベテラン管理者だと決めつけるような、人身攻撃に至ります。「利用者‐会話:山田晴通/過去ログ09」でVigorous actionさんに対して「少なくとも長い経験をお持ちのVigorous actionさんが、自らは管理者としての仕事はなさらないまま、また、不適切な管理者の排除につながる有効な方策もおとりにならないまま、このようなコメントをあちこちに書き続けられるという行為も、別の立場から見れば同様のものと見えることは「自覚してください」と申し上げておきます」と、おっしゃったように。コメント依頼にコメントを寄せていただいた皆様は、いかがお考えでしょうか。2012年7月の「Wikipedia:コメント依頼/山田晴通」から幾度となくコメント依頼で様々な助言、諫言を経て、なおも変わらないこの姿勢を変える意図が、山田さんにあるのでしょうか。--Bellcricket会話2021年2月18日 (木) 03:57 (UTC)[返信]
  • Wikipedia:コメント依頼/山田晴通 20160929の提出者です。その際に示した「過去の信任関連」以下のリンク先は当時までに一通り目を通しております。しかしWikipedia:コメント依頼/山田晴通から約8年半、「問題ではないか/である」などと言われることが総じて削除関連であるのは覚えていても、具体的事案で「問題なし」「当事者間どっちもどっち」のような第三者の意見がそれなりにあったことに関しては、済んだこととして頭の整理が出来てしまいよく覚えていません。それでもWikipedia:コメント依頼/山田晴通 20141103で問題点になった「4つも5つも6つも複数の問題のタグを貼る行為」に関しては強く印象に残っています。なぜならこういうことは無期限ブロックを受けるなどした問題利用者にもよく見られる傾向だからです。
  • で、Bellcricketさんがおっしゃられた「山田さんはずっと、この調子です。」というのも総じて削除関連であるとか具体的事案が先に来そうなものの、これまで事あるごとに前述の第三者の意見も踏まえたある種の立ち消えがありましたし、それを引きずっているというより、利用者としての根本的な問題が一貫してあり、そのあたり、ご自分が不利な状況に置かれた山田晴通さんの対話姿勢に何度も何度もあらわれている、ということなのだと思います。これを(存命人物に対する侮辱、社会的評価を低下せしめるような意見をとても気にしておられる)Bellcricketさんが最小限におさえて言っておられるのは私の察するところです。また、どちらかというとBellcricketさんより山田晴通さん寄りのぱたごんさんがここで呈されたのは余程のことであるのは言うまでもないでしょう。
  • 山田晴通さんに反感を持っていたVigorous actionさんやLTA:TEAMFは無期限ブロックを受けてとりあえずは去りました。ですがこの人たちは問題利用者とされても山田晴通さんに対する意見では特に異常は見られないと個人的には思います。
  • なお、山田晴通さんがWikipediaに記事のある著名人であり、積極的に実名を用いて参加されている利用者である以上、社会的信用の観点から「変わる/変わらない」こそ無理強いであり、単なるWebサイトでしかないWikipedia上における解決の手段は淡々と行われるべきなのかもしれません。そういう段階に来ている気がします。--市井の人会話2021年2月19日 (金) 07:37 (UTC)[返信]
    • 前述「4つも5つも6つも複数の問題のタグを貼る行為」とは、これら(2014年10月24日の投稿記録)です。こういったことがいわゆるWikipedia:タグ爆撃にあたるかは判断が分かれることとは思いますが、「無期限ブロックを受けるなどした問題利用者にもよく見られる傾向」であるのは今でも変わりなく、特に2014年(山田晴通さんはこのとき管理者でした)当時は管理者であるなら火種として警戒していた要注意事項であったと思います。で、山田晴通さんについては、2012年7月にご自身が提出された「Wikipedia:コメント依頼/山田晴通」において11月にHimetvさんが次のようにコメントされています。「被依頼者の山田さんについてはご職業のことも考えあわせると、ウィキペディアの管理権限を使ってひとつの実験・調査をしているように感じられてなりません。
    • このような見方に加えて、私は山田晴通さんがご自身の観点と管理者としての存在(立場、模範的方針理解など)を融合させ、高い評価を得ている執筆に参加する上でWikipediaの管理体制と対等に、重要なポスト(学会の理事などに就任されるように周りからの推しもあるでしょうから、独善的なこととまでは言えませんが)に就いておくのは対策・武装として(意図にはなくても)有利に働いたのはあると思います。実際に2012年にあった某氏とのメタでの対決では、Wikipediaに記事のある著名人(2009年の山田晴通さんのアカウント登録よりも記事のほうが2007年と先にあり、直後に出された削除依頼でも複数の存続意見のみで終了となっています)であり、積極的に実名を用いて参加されている利用者、というだけでなく、そのような異例の管理者としてWikipedia日本語版の窓口とみなされ利用されてしまった不本意な事例・現象が山田晴通さんから見た自他共にありました。
    • それがもしも管理者権限を手にしていなければ、タグ爆撃のような行為やツイッターでいいねをもらうではありませんが他者承認を確かめる手段としての削除依頼だけが目立ち、場合によっては一定の制限を早くから受けていたのではないかとすら思います。ただ、山田晴通さんにおかれましては問題利用者に堕ちる常識のなさはあり得ないという、一般社会における多大なる信用があったわけです。ところが前述、単なるWebサイトでしかないWikipedia上における解決の手段はそれとはまったく関係なく、これまでに数多く行われてきました。
    • 山田晴通さんはもうすぐ12年になる活動期間の中で約5年管理者を務めておられました。何かあると、たとえば内閣において大臣であった場合、大臣を辞めることが先に言われ(基本的なことからの身代わりとも)、議員辞職の是非はその後に来ます。Wikipediaの管理者も問題があって辞めた後では全般的な利用者としての汚点よりも段階的に次に何がくるかが問われる、そのことを「何かが継続していると」いつかコミュニティが深刻に受け止める時期が来るのはあるのだと思います。--市井の人会話2021年2月19日 (金) 15:22 (UTC)[返信]
コメント 改名提案の件については、私は山田さんを擁護する側のコメントをしました。が、山田さんを批判する方もいました。
「コミュニティが一致して、山田さんの「姿勢」を不誠実と問題視しているわけではない」かもしれませんが、逆に言えば、「コミュニティが一致して、山田さんに問題はない」としているわけでもないです。
山田さんは、改名提案に関して、山田さんの反対票があっても、他の参加者が山田さんの票に反する合意を形成することができる、としています。それはそうでしょう。すなわちコミュニティが「完全一致」していなくてもよい、ということです。
であるならば、コミュニティの意見が「山田さんに問題あり」で完全一致していないとしても、逆に「山田さんに問題なし」で完全一致していないとしても、なにがしかの合意は成立する、ということに、論理上はなりますよね。
要は「山田さんの言動を問題視する人が一定数いる」ということです。おそらく山田さんはそれをわかったうえで「やりとりにおいて一層丁寧な説明を心がけるよう肝に銘じたい」とおっしゃったのでしょう。ただしこの発言はいかにも抽象的です。「丁寧に説明します」ではなく「心がけるように肝に銘じる」というあたりも、積極性のなさを感じさせます。(山田さんがインテリなのは間違いないでしょうし、慎重に言質をとられないように振る舞うのはわかりますけど、ときには「必ずヒット100本打つ」みたいな具体的かつ可視化された発言も有用でしょう。)
そこらへんの抽象的な言い回しに終始しているあたり、他者には「具体的な指摘」を求めるのに、自身は具体的に語らない、そのあたりが余人に「この人は一切反省していないのだ」という印象を与える結果になっています。--柒月例祭会話2021年2月19日 (金) 09:49 (UTC)[返信]

コメント ほぼ古参の方々同士のコメントになっていますが、大方の中堅や新参の方々が意見を投稿していないことは、正直中堅や新参の方々が現時点でそれほど問題としていない(或いはそこを問題とするレベルに殆どの参加者が達していないとの言い方もできますが。)ことの表れのように思います。古参の方々はいずれも後進の育成にあたられていらっしゃると思いますが、現時点でこの古参同士の見解の違いや評価、解釈の議論が、このコメント依頼に参加していない新規や中堅の方々へそれほど影響がないのであれば、むしろコミュニティ全体の利から双方離れているとの解釈は合理的であるかもしれません。眼前の小異に夢中になるなとの戒めもございます。大局的な見地でこのコメント依頼が着地されますようにと個人的にはコメントしておきます。山田先生のスタンスをずるいと思われる方々もいらっしゃるようですが、利害関係や参加歴の浅いものから見て、双方の御主張に一定の理があるとも思えますから、解釈や評価について古参同士で同一性を過剰に求めすぎる争い事は、コミュニティの利には実質繋がらないように思います。このコメント依頼に熱をあげるより、ご参加の古参がそれぞれ距離間を持ち、他の新規が起こすコメント依頼にそれぞれ知己を展開してアドバイスする方が、より生産的なこともあるかもしれません。僭越ながらご意見まで。--以上の署名のないコメントは、106.180.27.100会話)さんが 2021-02-21T13:52:55(UTC) に投稿したものです(郊外生活会話)による付記)。