Wikipedia‐ノート:記事名の付け方/日本の皇族/過去ログ

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

日本の天皇・皇族に関する記事をめぐる議論[編集]

※ここは、皇室(天皇・皇族)に関する記事名の取り扱いの審議及び合意形成の場です。皇室記事をめぐる議論はこちらに願います。

ノート:昭和天皇において議論になったのですが、皇族記事に関する改革案がございます。一度、ノートの方をご覧の上議論頂ければ幸いです。 天皇・皇族に対して敬語や敬称を用いるべきだという一部の意見があって、そうした議論が続いてきました。私は必ずしも百科事典にあっては敬意・敬語を用いるのは、百科事典に余計な恣意を挟む余地を与え中立性は担保できないという点から、必ずしもそうした主張には与しません。 但し、日本の皇室を他の記事名との整合性を図るあまりに、皇室固有の表現が軽視されている気がしないでなりません。とりわけ皇族の記事名に身位(親王など)がつけられていないことには違和感も覚えます。タイトルに身位を含めるべきだとする意見の理由としては次の点があげられると思います。

1.近代以降の皇族に身位をつけ、それ以前の皇族には身位をつけるというのは、日本の文化に馴染みのない外国人に対して逆に不親切ではないか。2.歴史的な慣習の上でも名前だけで呼称するのは勅令以下の書状をしたためる以外での通用性が低い。3.一般的には宮号か身位をつけて呼称するのがほとんど。4.身位は敬称ではない。中立性は担保される。5.名前だけでの記事名は外国君主との整合性はとれるが日本の文化的歴史的背景を軽視してしまいかねない。

また、さらに皇室記事全体についても改善点があると思います。たとえば、現在の天皇陛下の記事は明仁(皇族)となっておりますが、人名としての明仁がある以上、今上天皇に統一することは可能だと思います。そこで、この点も含めて全体的な改正案を提示させて頂きたいと思います。

  1. 皇室記事においては客観的かつ中立的な表現を堅持する目的から敬語・敬称は用いないことを原則とする。
  2. 皇室記事における皇室の地位の尊重は、尊敬の対象としてではなく客観的事実に基づくものとし、文化的背景に対する配慮することによってなされる。左の原則に基づき、日本の皇室に対する百科事典としての中立な表現を堅持とともに皇室の有する文化的な背景をより深く理解する上での整合性を図るものとする。
  3. 但し、敬語表現であっても法令または慣習的に皇室用語として成立しているものについては、あくまで皇室に関する理解を深める趣旨に基づき、中立性を犯さない範囲で用いるものとする。敬語としての意味を持つ単語を用いる際には注釈を儲け、皇室用語に対する一般的解説を付記する他、用語についてリンクを張り、一般的解説を試みる措置を施す。
  4. 天皇陛下の記事は明仁(人名)もあることから、ことさら諱(意味は参照)のみでの項目を必要なく、よって今上天皇に統合する。なお、前項の趣旨に基づき今上天皇という表現もまた敬語表現ではなく用語として扱う。(今上天皇には敬意を表す意味もあるが、日本の伝統文化、慣習上既に単語として社会的認知を得ていることから純粋な単語として扱う。)
  5. なお、皇后陛下、皇太子殿下についての項目は別段、統合する必要はないものとする。
  6. 女性皇族は現在のお名前、最終的なお名前を以って記事のタイトルとする。お妃については、便宜的にお名前の後に皇后、皇太子妃、親王妃、王妃とする。
  7. 皇族の記事名については、明治以前の皇族記事との整合性、または日本の固有の表現を活かす目的から、宮号または称号、お名前、身位を以って構成する(宮号、称号のない場合はお名前、身位のみ表記する。陛下、殿下の敬称は事典の性格に鑑み付記しない)。なお、皇族記事の項目名をお名前と身位を以って構成することの意義としては、第一に身位は敬称ではないため、中立性は担保されると考えるものとする。第二にWikipediaの性格上、現代の人名の取り扱いとして純粋な氏名のみで構成することを原則としているようにも見受けられるが、むしろ日本固有の文化的表現とりわけ社会における汎用性のある表現のうち、より正確な表現を尊重することが望ましいと考える。(変更の具体例 「徳仁(皇族)」→「徳仁親王」)

以上、7点の改正案について提案させて頂きます。 --Suifu 2005年9月17日 (土) 04:43 (UTC)[返信]

全く議論に進展がないようですが、身位つきの記事名に移動を行なう方がおられるようですのでそれぞれの件について意見を述べさせていただきます。
  1. について。ウィキペディアの大原則である中立的な観点に則るためにも、敬語および敬称の使用は避けられるべきと考えます。たとえば「○○県を行幸された」とか「おことばを述べられた」などといった敬語の使用は全く必要ないと思います。ただ、これは記事名の付け方で定めるものではないとも思います。
  2. について。「皇室の地位の尊重は、尊敬の対象としてではなく客観的事実に基づく」ということはどういうことでしょうか。ことさらにこの文章が規定に定められる必要があるとも考えにくいのですが、よろしければ意図したところを説明していただけますでしょうか。
  3. について。「法令または慣習的に皇室用語として成立している」敬語表現とは何でしょうか。天皇の敬称は陛下とする、というように法令で規定されていますが、それを根拠に「天皇陛下は~」といった表現を用いるのは1.に述べさせていただいたように必要ないと思います。さらに記事名を「徳仁親王殿下」などといったものにするとしたらこれはNPOVに反するのではないでしょうか。
  4. について。すでに「明仁_(皇室)」は明仁に統合されたようです。ですが、「今上天皇という単語」と「今上天皇である人物」は別物である以上、「明仁」を「今上天皇」を統合するのには賛成できません。ただ、「日本の伝統文化、慣習上既に単語として社会的認知を得ている」というご判断には同意しますので、「今上天皇」という言葉を純粋な単語として使うこと(たとえば、[[明仁|今上天皇]]などと表記すること)には問題はないのではないかと思います。
  5. について。「統合する必要はない」と仰ってますが、これはどこへ統合することを考えられていたのでしょうか。美智子 (皇室)を美智子へ統合することでしたら、この曖昧さ回避のページは不要だと思うのでむしろ統合すべきではないでしょうか。そうではなく、「美智子_(皇室)」を皇后へ、徳仁皇太子へ統合することを指しておられるのでしたら、4.で述べましたのと同様、避けるべきと思います。これらの単語は「今上天皇」よりさらに広く用いられる一般名詞であり、曖昧さ回避の点からも好ましくないと考えます。
  6. について。最終的な名前よりも皇族としての名前のほうがよいのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。皇族ではなくなった人物の記事もウィキペディア内にはある(あるいは今後できる)でしょうが、これらの元皇族の記事があるのは「皇族であったから」である以上、皇族としての名前のほうが妥当ではないかと思うのですが。
  7. について。つまり、「○○宮××親王」といった形に移動するということですよね(身位の記事がないもので…)。歴史上の皇族が大抵「○○親王」(もっと昔だと「○○皇子」)といった記事名ですし、統一性を持たせるという理由にも説得力があると思うので賛成いたします。ただ、それらの配偶者を「親王妃○○」といった形へ移動するのは反対します。歴史上の皇族配偶者についてこのような記事名の付け方は行なわれていないと思いますので。また私は詳しくは存じませんが、称号と宮号はたしか別物だったように記憶しておりますが同列に扱って大丈夫なのでしょうか。
以上、それぞれの件について意見させていただきました。―霧木諒二 2005年10月11日 (火) 13:32 (UTC)[返信]

この際、特に意見の食い違いのないところは割愛します。

記事の文面で敬語は使わないと書いたつもりでしたが、伝わりにくかったら失礼致しました。

「皇室の地位の尊重は、尊敬の対象としてではなく客観的事実に基づく」という項目ですが、格別、特に変更を加えたいという意図ではありません。これは、皇室には敬意を払えという方が少なからずおられました。さすがに敬語を使うのは無理だが、事実を客観的に書く範囲で、尊敬の対象となっている天皇の表現には配慮するということです。本来は格別、新ルールもいらないところですが、しばしば争いになっているのでわざわざこの項目をつくりました。

「法令または慣習的に皇室用語として成立している敬語表現」ですが、この中に陛下や殿下は含まないつもりです。法令用語とはいえ、敬称として位置づけられていますし、使用が国民に強制されていないからです。むしろ、この場合は敬称はウィキのルールに反するという点では同意しております。ただ、身位については必ず名前とセットであって欲しいということです。身位は敬称ではありませんし。かつ、あくまで公人としての皇族をとらえる上で私人としての名前はかえって不適切。作家の記事をペンネームで書くべきところ、本名にするのと同じ行為であると思うからです。

「なされた」「仰せになった」という文章中の敬語表現を用いる意図はないです。ただ、崩御とか行幸という単語として使う分にはOKかなと。 客観的な記事にということで配慮しつつ、一方で天皇家のことをより深く理解する上で皇室用語も用いる余地を残すことは必要かと。

それと、宮号と称号は別物です。称号の場合はことさら記事名に含める必要はありませんが、宮号は含んで構わないのではないかと思います。 --Suifu 2005年11月2日 (水) 14:39 (UTC)[返信]

記事名に関するまとめ[編集]

話が拡散しそうなので、とりあえず話を記事名に絞りたいと思います。

  1. 現在の天皇
    • 一案: 「明仁」と「今上天皇」を統合する(Suifuさんの案)。
    • 二案: 現状維持(私の案)。
    • 三案: 「今上天皇(明仁)」案
    • 四案:天皇(明仁)案
    • 五案: 「明仁天皇」案
  2. 皇族の子女として生まれ、現在皇族である(もしくは死去するまで皇族であった)人物
    • 宮号を持つ人物は、諱に宮号と身位をつけた記事名にする。宮号を持たない人物は、諱に身位をつけた記事名にする。
  3. 皇族の子女として生まれたが、後に皇籍を離脱した人物
    • 一案: 離脱後の姓名で記事名とする。(例: 東久邇宮稔彦王→「東久邇稔彦」、紀宮清子→「黒田清子」など。Suifuさんの案)
    • 二案: 離脱前の皇族としての名前で記事名とする。(例: 「紀宮清子」→「清子内親王」など。私の案)
    • 三案: 基本的には離脱後の姓名であるが、旧皇族に関しては皇籍離脱(1948年)時の宮家当主に関しては例外的に皇族名とする。(水野白楓案)
  4. 皇族の男子と結婚したことで皇族の一員となった女性
    • 一案: 名前のみ(現状)
    • 二案: 名前のみ(現状)但し、平安時代の皇后・妃のうち女院(院号宣下を受けた后妃、内親王)は、「~~門院」とする。(suifu案)
    • 三案: 「皇后」「皇太子妃」「親王妃」「王妃」を名の後ろにつけて記事名とする(Suifuさんの案)。


場合分けは以上で十分でしょうか。なお、香淳皇后などのように諡を持つ人物は諡を記事名にしてよいと思います。まず1ですが、どうしましょうか?私としては前述したように「今上天皇という用語」と「現在今上天皇である人物」は区別すべきだと考えるので現状維持を支持するのですが。次に2ですが、「称号と宮号が別のものである」ということで「宮号は記事名に含む」とすればいいのではないかと思いました。称号については記事中で言及するということで。4について私は「明治以前の皇族記事との整合性」の面で違和感があると思います。歴史上の皇后は大抵結婚前の姓名で呼ばれているように思うので。先行議論としてノート:寬仁親王妃信子を見つけましたが、これに倣うというのはいかがでしょうか?―霧木諒二 2005年11月14日 (月) 09:20 (UTC)[返信]

整理頂いて有難うございます。ほぼ異論ありません。今上天皇は曖昧回避か何かして、明仁は今上天皇(~)としてはどうかと思います。2についても異論ありません。3はことさら強く変更したいというほどでもないので、皇族時代のお名前が残って差し支えなければそれはそれでよいと思います。4についてでありますが、明治の以前以後での完全な整合にこだわる気はありません。学術上の表記と現行法的な表記とでは一致しない部分もあろうと思います。また、皇室も2000年の変遷を経ているので完全一致するものでもないでしょう。まして、歴史上の人物と現代の公人という違いもある。その意味では明治以前と以後の完全一致を目指すのではなく、諡号を持つかどうかをひとつの線引きにしてもいいかと思いますが。院号宣下を受けているのであれば、「~~門院●子」がいいかと思います。「~~皇后」という諡号があればそれを用いる。また、五条后など当時の別称を持つ場合であれば、タイトル名として相応しいかどうか検討するのがよろしいかと。寛仁親王妃信子殿下の議論もおおいに参考になるかとおもいました。--Suifu 2005年11月16日 (水) 00:54 (UTC)[返信]

  • 3.においては新案を提示いたしました。
    1.の今上天皇については現状維持です。「今上」は当代とという意味で使われている皇室用語であって、決して特定人物に付随するものではないからです。不謹慎ですが、陛下に万が一があれば現在の皇太子が今上天皇となられるのですから、現在の今上天皇と統合してしまう事には違和感を感じます(そもそもウィキペディアでやかましい履歴の問題は大丈夫なのでしょうか?)。現在の総理大臣は小泉純一郎氏ですが小泉純一郎と内閣総理大臣の項目を統合しようと提案されないのと同じ事です。もし、今上天皇という項目が統合されるにしても統合先は天皇であるべきでしょう。
    2.案には異論なしで4.はノート:寬仁親王妃信子に准じられるとよろしいかと思います。
    今回提案の3.案の理由ですが、前半部は一案と同一でですが後半で例外を認めた事には理由があります。まず女性皇族の降嫁後の名称ですが、戸籍名(実名)をもって項目名を立てることを基本的な流れであることから判断(Wikipedia‐ノート:スタイルマニュアル/人物伝参照)して戸籍名である降嫁後の名称で書かれるべきだと思います。例えば、昭和天皇の内親王に関しては誰も項目を立てられていないようですが、早世された久宮祐子(次女)に関しては異論ないものとしても照宮成子孝宮和子順宮厚子清宮貴子で立ててしまって本当にいいのでしょうか?東久邇成子さんや鷹司和子さんは既に亡くなられ、池田厚子さんと島津貴子さんはご健在ですが、一番年下の貴子さんの降嫁でさえ既に45年も前の話です。半世紀近く使われていない呼称を今更ウィキペディアの項目名で使うのか思うと首を捻るところです。
    あと旧皇族において例外を設けたのは旧皇族は戦前は軍籍に属しており、軍人としての立場から公務に携わっていた方々です。特に宮家の当主に当たる皇族方はそれなりの高位にあり、伏見宮博恭王(軍令部総長)や東久邇宮稔彦王(首相)の様に戦前(終戦直後も含めて)の歴史に重要な公的活動に関与して歴史文献においても名前を残された方もいるわけです(現在の皇族が携わる名誉職的な公的活動とは同一視できない)。そこで旧皇族が公的活動の拠点としていた旧陸海軍が廃止されてその後の皇籍離脱があった当時に宮家の当主であられた方に関してのみは例外的に皇族名で記し、それ以外の方々に関してはその大半の方が民間人であった期間のほうが長かったと推測されるので戸籍名どおりとした方がいいかと考えたのです。--水野白楓 2005年11月17日 (木) 12:31 (UTC)[返信]
女性皇族は現在のお名前、最終的なお名前を以って記事のタイトルとする。お妃については、便宜的にお名前の後に皇后、皇太子妃、親王妃、王妃とする。
後半に反対します。皇統譜にあるお名前、’すなわち皇后/○○妃某とするべきではないかとかんがえます。内親王については○○内親王でよいと思います。臣籍降下された方については、結婚後のお名前とするべきでしょう。--Aphaia 2005年11月17日 (木) 12:39 (UTC)[返信]

私も色々考えました結果、后妃については身位の後に名前が来ることに同意することと致しました。よって、事実上、「名前の後に~皇后」という案は個人的には撤回します。ただ、選択肢としてはあってもいいと思うので引き続き、提案からの削除はしません。

加えて新規提案ですが(上記の皇族の一員となった女性についての提案の中に新たな案を入れました)、后妃のうち、女院については氏と名(平徳子)ではなく、建礼門院徳子というようにすべきだと思います。通常の后妃については氏と名でよいでしょうが、院号宣下を受けるのと受けないのでは地位にも違いがあります。特に平徳子については建礼門院徳子とすることで、女官である建礼門院右京大夫の項目をつくる際にも整合もつきます。如何でしょうか。 また、平安~江戸までの后妃は生家の氏と名で書くことが基本ですが、例えば嵯峨天皇の后である檀林皇后などのように、特定の称号を有する場合はその称号を以って記事名にしてはどうかと思うのですが。 --Suifu 2005年11月18日 (金) 02:30 (UTC)[返信]

新規のご提案ですが、整合性の観点とリダイレクトを介すれば他記事からのリンクに支障ないことから、あまり賛成できません。記事名はある一貫した規則にしたがってつけ、差異はリダイレクトで吸収することが望ましいと考えます。「○○の場合はこう」ということをたてていくと、煩瑣になり、執筆者の便に資さないと考えます(読者にとってはリダイレクトが完備すれば差異は問題ではないのでここでは考えない。むしろ、院号で記事を立てるなら、名前なしで院号のみの記事名のほうがかえって便宜になるのではないでしょうか。院号というものは他とかぶることのないものですし。。
檀林皇后はむしろ氏名をもってよばれることが多いように思いますが、いかがでしょう。ただすでに光明皇后の例があることと、リダイレクトをもってすればどのような名前でもたどり着けるようにはできるため、強い反対ではありません。議論の上での選択肢としては、氏名と称号の両方があってしかるべきとは考えます。--Aphaia 2005年11月18日 (金) 06:32 (UTC)[返信]

確かに女院についは院号だけというのもよいかもしれません。それでは、上記の4つの課題につき、さらに吟味したいと思いますが、2案については既にご異議はないと解釈していいのでしょうか。また、1及び3、4については如何でしょうか。

明仁の項目ですが、今上天皇への統合にはご反対もあるようです。しかし、私は明仁のままでよいとは思いません。もし、ご賛同ある方、そうでない方がいらっしゃったら、お話し合いできればと存じます。

それと、3はあまり争いはないかと思いますが、水野さんのご提案もふまえ、ご意見あればお願いします。私は水野さん案もよいかと思うこの頃です。

さらに、4ですが、新たに二案を加えました。即ち、入内された后妃については現状のままですが、院号宣下を受けている皇族は院号をタイトルとするという案です。これも踏まえてご意見頂ければ幸いです。また、壇林皇后など、特に~~皇后という呼称のある方の場合はどうするか、さらに議論できればと思います。--Suifu 2005年11月21日 (月) 08:48 (UTC)[返信]


 明仁の項は「天皇明仁」か「今上天皇」とすべきと思います。どちらかというと、今上天皇とするべきかと。将来的には現在の明仁という項目も改名することになると思いますが、「明仁」っていうのはあんまりかと思います。呼び捨てかよって。天皇及び皇族に関係する項目は日本の文化や宗教に関わる問題で、項目名「明仁」では敬意以前の問題だ。天皇陛下の諱を無闇に使うべきではない。だから「今上天皇」に統合すべきだと思います。然し、それについて反対が在るようなので折衷案として「天皇 明仁」ではどうかと思います。 徳仁の項も同様に変更が必要ですが、これは「徳仁親王」が、美智子の項は「皇后美智子」がいいと思います。上記三項目はあまりにも不敬じゃないか。よその国の宗教では絶対神の名前をみだりに口にしてはいけないのに。以前運動靴の底に「アラー」とアラビア語で書いてある(様に見える)といって問題になった事があるように宗教に関することは外国語版ならいざ知らず、日本語版なら当然の敬意を払うべきです。代言人 2005年12月1日 (木) 12:11 (UTC)[返信]

suifuと申します。この議論を提示したものです。 おそらく私の提示した7項目のうちの3つについてのご意見であるかと思いますが、個人的意思だけで提案すれば、敬称も何も込めたいというのが私の意図です。一方でここの原則として、敬称は中立に反するという原則が在るわけで、百科辞典の性格にも沿うよう、ギリギリの妥協案として中立性をおかさず、なるべくルールを逸脱しない限りの敬意の払い方の方法として上記3つの提案をしました。

不敬な意図などまったくなく、最低限許容される範囲で結果として皇室の尊重する心を害しない方法にもなればと思って提案しています。 そのあたりお汲み取り頂ければ幸いです。あなたのご主張に一理ないとは申しません。いや心情的には同感です。しかし、あなたのご提案は、ここの議論以前のウィキペディアそのもののルールを変えなければ不可能な部分があります。それではいつまでたっても合意形成は不可能ではないでしょうか。 それなら、ルールを遵守することを前提とした上で、何とか不敬にはならないレトリックを勝ち得る現実的な方法論を導き出す方が得策だというのが私の考えです。その点も踏まえてご議論頂ければ幸いです。 上記、3項目は敬意を払わないとあるから不敬に思われるのかもしれませんが、文脈をお汲み取りいただけないでしょうか。わかりづらければ幾度でもお話します。

ちなみに、明仁の項目は私も不快に感じていました。ただ、それでは変更が正当に認められる理由にはならない。よって、「文化的背景」に沿って不適当であるという正当な文脈を形成し、今上天皇或いはその他の項目名への以降ができればと思います。※明仁天皇はいかもしれませんが、天皇明仁では左翼のようになりませんか?敬意を払うこととは逆の意味で中立でないということにもなりかねない。。。

--Suifu 2005年12月2日 (金) 15:48 (UTC)[返信]


1.については三案「今上天皇(明仁)」を支持します。現状の「明仁」のみだと特に皇室びいきでない私でも不快感を覚えてしまいました。感情的な面を抜きにしても、ただ名前だけ出されても(写真があるとはいえ)誰のことか中高生あたりにはわかりにくいということはないでしょうか。百科事典の項目名としてもちょっと親切心に欠けるのではないかと思います。
2.と3.について特に意見はありません。
4.については1.と同様の理由で三案で「雅子(皇太子妃)」のような形が、ウィキペディアにおける、他国、イギリスの現王室の人間への扱いとのバランスからいっても妥当ではないかと思います--Morio 2006年1月5日 (木) 21:34 (UTC)[返信]

皇族の身位を含める件[編集]

何度もすみません。そろそろ議論もしていければと思いますが、提案については、各項目ごとひとつひとつ処理できればと思いますが如何でしょうか。 最低限、男子皇族の項目名について、諱(名前)の下に身位(親王)をつけること、宮号がある場合は宮号を含むことについては反対論が出ていないですし。まずはこれだけ採択できればと思うのですが。如何でしょうか。--Suifu 2005年12月2日 (金) 16:02 (UTC)[返信]

同意します。代言人 2005年12月3日 (土) 03:02 (UTC)[返信]

合意形成の過程で異論がないこと、前後の議論から賛意を頂いていることなどから判断して皇族方の身位について変更させて頂ければと思います。 --Suifu 2005年12月5日 (月) 00:32 (UTC)[返信]

遅ればせながら同意いたします。該当するのは男性の皇族、および未婚の女性皇族ですね。Category:日本の皇族を見たところ以下の通りでいいでしょうか。よければ保護解除依頼に出します。
霧木諒二 2005年12月5日 (月) 05:46 (UTC)[返信]

ご連絡有難うございました。お手数わずらわせてしまいました。 ちなみに、上記の表記ですが、同意です。三笠宮家の姫宮殿下(彬子女王、瑶子女王)においては、現状として宮号が入っているので、そのままでいいかと。

Suifu 2005年12月5日 (月) 09:47 (UTC)[返信]

2005年12月5日 (月) 05:46 (UTC) に私が列挙した記事について、移動保護の解除依頼をWikipedia:保護依頼に、「三笠宮寬仁親王」の移動のための削除依頼をWikipedia:リダイレクトの削除依頼 2005年12月に出してきました。ご確認ください。―霧木諒二 2005年12月5日 (月) 10:55 (UTC)[返信]

確認致しました。深謝申し上げます。--Suifu 2005年12月5日 (月) 11:41 (UTC)[返信]

保護が解除されたので、移動を行ないました。リンク元の修正はこれから行ないます。―霧木諒二 2005年12月13日 (火) 07:33 (UTC)[返信]

露木様、有難うございます。かえって、差し出がましいかもしれませんが、感謝の印として露木様のノートに「編集者のバーンスター」をお送りさせて頂きました。ここに感謝申し上げます。--Suifu 2005年12月13日 (火) 09:39 (UTC)[返信]

ありがとうございます。とりあえずリンク元の修正が終わった記事に線を引いておきます。あと、後朱雀天皇にも祐子内親王という名前の内親王がいるようです。この場合の曖昧回避の方法も考えておいたほうがいいかもしれません。―霧木諒二 2005年12月13日 (火) 13:52 (UTC)[返信]

いっそ、宮号のみならず称号も項目名に入れるか、名前プラス内親王(~宮)もありかと。--Suifu 2005年12月13日 (火) 14:25 (UTC)[返信]

後朱雀天皇の皇女は「祐子内親王(高倉宮)」ですか?--代言人 2005年12月13日 (火) 15:45 (UTC)[返信]

称号と宮号が別物であるから称号を記事名に含めるべきでないと提案した人間としましては、括弧による曖昧回避の方がいいように思います。ただ実際に記事を書く人の意見も伺いたいところですが。
秩父宮までリンク元の修正が終わりました。―霧木諒二 2005年12月14日 (水) 20:22 (UTC)[返信]
記事名の付け方本体も改正(追加?)するのでしょうか--代言人 2005年12月16日 (金) 00:38 (UTC)[返信]

異議なしです。他に妙案でもあれば別、今のところ必然的にそうなるかと。--Suifu 2005年12月16日 (金) 14:50 (UTC) 名前身位(宮号)[返信]

徳仁親王愛子内親王以外のリンク元修正が終わりました。―霧木諒二 2005年12月18日 (日) 06:05 (UTC)[返信]

なお、皇族の記事名に関し宮号身位についての合意を得たところですが、古代皇族などの出家した際、或いは崩御・薨去により諡号が贈られ、なおかつそちらの号の方が著名な場合についてはさらに審議が必要かと思います。これについては適宜議論できればと思います。--Suifu 2005年12月18日 (日) 08:51 (UTC)[返信]

たしかに聖徳太子を「厩戸皇子」とするのはちょっとまずそうですから、その辺は適宜例外規定が必要だと思います。
保護中の万世一系を除き、上記すべての記事のリンク元(ノート、会話ページ、Wikipedia以外)の修正が終わりました。―霧木諒二 2005年12月26日 (月) 09:58 (UTC)[返信]

皇后陛下の記事「美智子 (皇族)」ですが、他の慣例に倣い、皇后美智子に改名を提案すべきであると思います。さらに、合意事項について新条項として、「三后・親王妃・王妃の項目名については、身位の後に諱(名前)を付記した項目名とする」の一条を加えたいと存じますが、皆さん如何でしょうか。--Suifu 2006年9月21日 (木) 23:47 (UTC)[返信]

賛成--代言人【右】 2006年9月22日 (金) 04:50 (UTC)[返信]