SAFETY SHOES

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SAFETY SHOES
出身地 日本の旗 日本
ジャンル J-POP
ロック
活動期間 2003年 -
公式サイト http://www.safetyshoes.jp/
メンバー 桜井敏郎 (ボーカルギターキーボード
西村悟志 (ドラムスコーラス

SAFETY SHOES(セーフティ シューズ)は、日本ロックバンド2003年に結成、2012年より現メンバー。

概要[編集]

2003年に結成。メンバーチェンジを繰り返しながらも活動し、2013年には10周年を迎える。

ロックバンドでありながら、弾き語りライブにも重点を置いている。

ラブソングはもちろん、厳しい現実の中でも前向きに生きようとする姿を描いた作品も多く、歌詞にも定評がある。

音楽スタイル的に「王道」を貫ける、数少ないバンドである。

メンバー[編集]

主な実績[編集]

  • タワーレコード通販部門インディーズチャート1位(2004年)
  • Inter FMパワープレイ及び番組メインパーソナリティとして出演(2005年)
  • 老舗ライブハウス渋谷TAKE OFF 7で年間7度のワンマンライブ開催(2006年)
  • 第一回渋谷音楽祭出演、及び同イベントのテレビ告知用CMソング(2006年)
  • 大規模ライブハウス渋谷CLUB QUATTROで通算4度(2008年1月、2010年2月、10月、2011年9月)のワンマンライブ開催
  • 京都ホテルオークラ「ワンダフルクリスマスコンサート」出演(2011年)

来歴[編集]

初期(2003年~2005年)[編集]

2003年の結成当時は、桜井ともう一人のギタリストによるユニットだった。

2004年6月、四谷フォーバレイでファーストCD「Good Morning」発売記念ワンマンを行なう。

(「Good Morning」はタワーレコードのデイリーインディーズチャートで1位を獲得)


2005年4月3日に東京キネマ倶楽部でワンマンを控えるも、前月にギタリストが脱退するという事態を迎える。しかし大人数のサポートメンバー(Dr.西村悟志、Key.朝永陽子、Cho.浦田隆志、Cho.MAKI、Per.厚地暁、Tp.土岐忠明、Pf.佐々木博史、Ba.藤原宏樹、G.岡部浩明)と全国から駆け付けたファンの力に支えられ、ライブは無事成功に終わる。コーラスで参加した浦田隆志はこの時「絶対成功させましょう」と、知り合いのゴスペルクワイヤー数十人に声をかけ、“大コーラス隊”を結成。豪華なステージを作り上げた。

またこの時集まったファンは色紙数枚にわたり桜井にメッセージを送り、ファンに心底感謝した桜井は「何があっても音楽を作り続ける」と後日HP上で誓う。


第二期(2005年~2008年)[編集]

デシベルコミュニケーション時代からの仲間である藤原宏樹、東京キネマ倶楽部でのサポートギタリストとして参加した岡部浩明が正式メンバーとなる。また、そのタイミングでバンド名を「Safety Shoes」から大文字の「SAFETY SHOES」に改称する。


この時期のサポートメンバーは西村悟志、朝永陽子、MAKI、厚地暁で、のちにこの4人も正式メンバーとなった。

しかしそれは、三人体制の中で一人奮闘している桜井を見かねたMAKIが「表向きだけでも『全員がメンバー』ということにしない?その方がきっとファンの人も安心するし、私がみんなにも話してあげるから」と桜井に促したのが真相である。


こうしてにぎやかになっていった2007年、拠点にしていたライブハウス・渋谷TAKE OFF 7で、4か月連続を含む年間7回のワンマンライブを行なう。

また11月に行われた第一回渋谷音楽祭では、マークシティ会場のトリを務め、「West gate」が同イベントのCM曲として、渋谷駅前の巨大ビジョンQフロントTOKYO MXテレビなどでオンエアされた。

第三期(2008年~2010年)[編集]

1月28日に渋谷クラブクアトロでワンマンライブを開催し、招待客なしで300人を動員する。大規模なライブハウスでのライブを成功させたことで、これまでになかった反響が起こるも、直後にメンバーの脱退劇があり、そのことに責任を感じた桜井は軽いうつ状態になる。

しかし西村悟志が「ここで終わったら意味ない。自分もこれからはもっと関わっていきたい。スタジオ代だって自分も払っていく」と、正真正銘の正式メンバーになる。

西村の意志に励まされた桜井はそれまで所持していたギターを大量に処分し、以後のサウンドの要となる、Fender Custom Shop製の白いテレキャスターを購入。

これまでの大編成ポップバンドから、桜井、西村、藤原、厚地の4人による“ロックバンド”へと変身する。


バンドが再建したタイミングで、会社員でもあり、デシベル時代から参加していたパーカッションの厚地が脱退し、3人編成のトリオに。

またこの時期からサポートギタリストとして大和田亮がたびたび参加するようになる。


2010年には渋谷クラブクアトロで2度ワンマンライブを開催。

これらのライブでは、元メンバーの厚地が裏方としてこっそり参加したり、同じくキーボードの朝永陽子や、桜井の会社員時代の同僚である小野秀幸がトランペットで参加したりした。


第四期(2011)[編集]

デシベル時代から桜井と9年間活動した藤原が脱退。1月に“卒業記念ライブ”として行われた渋谷TAKE OFF 7のライブでは長年のファンが詰めかけ、ワンマンライブのような盛り上がりを見せた。

入れ替わるようにしてベースに奥山源記が参加。

この時期、代表曲となる「降りそそぐ太陽の下に」が完成し、2月の渋谷Wasted Timeライブで披露する。


東日本大震災発生後、「大ダメージを受けた日本に、そして今困難な状況を迎えている人みんなに“夜明け”が来るように」という願いを込めたアルバム「RISING」を制作。

しかし制作費を工面できず、苦肉の策としてネットで制作費を募ったところ、ファンの人達から1週間で25万円のお金が集まり、CDをプレス。すぐさまツアーを敢行する。

そしてツアーファイナルとして、通算4度目となる渋谷クラブクアトロでのワンマンを行ない、インディーズとしては異例の4,000円という価格設定で200人を動員した。


「RISING」には社会的メッセージ性の強い歌もあり、特に戦後の日本と原子力について歌った「愛していると伝えたい2011」は賛否が分かれ、拒否反応を示すファンもいた。


夏のツアーで訪れた京都でのライブをきっかけに、京都ホテルオークラからオファーを受け、12月23日にクリスマスライブを行なう。

またそのタイミングに合わせて書いたクリスマスソング「I wish all a merry Xmas」が京都ホテルグループのHP上で「SAFETY SHOESから日本を元気にする歌が届きました」と紹介される。


現在(2012~)[編集]

奥山が脱退し、またしても試練が訪れる。またこの時期桜井は肉体労働のアルバイトをしていることをHP上で告白。しかし桜井はそれを連日ツイッターで「今日は解体の現場です!」などとツイートし、ファンとの交流を楽しんだ。

そんな中行われた渋谷Wasted Timeでの弾き語りライブでは熱いファンが結集し、「降りそそぐ太陽の下に」の大合唱が起こる、感動的なものとなった。


桜井と西村のみによる限定的な活動しかできない中、関西のファンの主催により、11月に滋賀県長浜市でワンマンライブが企画され、その時藤原宏樹が“特別復帰”という形で参加。

このライブをきっかけに、SAFETY SHOESは徐々に力を取り戻していく。

12月には渋谷Wasted Time店長・中島氏の計らいで、プロ・ベーシストの工藤緑矢を迎えてのワンマンライブを行ない、ハイクオリティなライブを実現した。 また、このライブにはかつて在籍した岡部が数曲参加し、大所帯だった頃のアレンジでかつての曲を再現した。


2013年、年末の帰省を通じ、卒業以来会っていなかった同級生との再会に感動した桜井は、これまでとはまったく違う路線の「同級生~Classmate~」を発表。恵比寿天窓.switchで行なわれたライブにおいて、グランドピアノで披露する。このライブでは、ベースは藤原が担当した。

またこのライブの主催者は、デシベルコミュニケーション時代のドラマー、テディ(TEDDY-PARTY)であり、現在もTEDDY-PARTYのイベントにはよく出演している。


SAFETY SHOES以前[編集]

デシベルコミュニケーション時代[編集]

会社員としてゲーム音楽を作っていた桜井だが、退社して一年経った2002年、弾き語りで音楽活動を始める。その時楽屋でたまたま一緒だったのが、当時18歳の藤原宏樹とテディだった。

人懐っこい性格のテディを後日家に呼んだ桜井は、「オレにはやりたい音楽がある。ライブで黒字が出たら君らのギャラとして払うし、スタジオ代も全部持つ。力になってくれないか。藤原君も誘ってほしい」と誘い、桜井敏郎 with dB Communication(以下dBC)を結成。翌月から国立市のリバプールを拠点に活動を始める。


dBCはライブごとにメンバーを増強、会社員時代の後輩だった佐々木博史や、のちにパーカッショニストとしてSAFETY SHOESのメンバーになる厚地暁もこの時期に参加している。

ライブには、桜井が当時通っていた居酒屋の店主や常連客が大挙“応援”に押し寄せ、また当時あまり行われていなかったWEBでの映像配信なども功を奏し、結成半年後には吉祥寺スターパインズカフェで70名を動員。結成10か月後の2003年2月にはスターパインズカフェでワンマンを行ない、150名を動員する。

メンバーチェンジを経ながらも活動してきたdBCだったが、同年6月四谷フォーバレイのライブで解散。

7月から、Safety Shoesとして活動を始める。


桜井のゲーム音楽クリエーター時代[編集]

桜井はコナミ株式会社の会社員だった。

ドライブゲームの「GTI CLUB」「スリルドライブ」などのBGM制作を経て、初期の「ドラムマニア」サウンドディレクターを担当。ドラムをどうゲームにするかにおいて、ドライブゲームで吸収したノウハウを応用し、ヒットに導く。

「ドラムマニア」や「ギターフリークス」では多くの名曲を生み出した。


最初の「ドラムマニア」においては予算が少なかったため、プロダクションを通じた歌手のブッキングができなかった。インストゥルメンタル曲だけではマニアックなものになり、また有名な曲も使えず、初物のゲームとしては敬遠されると危惧した桜井は、トーマスハワードなどのフリーのシンガーを自らの足で発掘。当時としては異例の直接交渉による、コストを抑えた契約を行なう。

会社の信用を得るため、起用したシンガーの魅力を最大限に引き出す楽曲を作り、同時にシンガーにも信用してもらえるように、プライベートでも交流した(その後共に活動する浦田隆志やMAKIとはこの当時に出会っている)。

結果、トーマスハワードを軸に多くのオリジナル楽曲がゲームと共に広まり、「音ゲーブーム」の一翼を担う。


「カップルがデートの時に遊んでくれてるのを見るのが嬉しかった。『もしかしたら昨日はケンカしていて、今日が仲直りのデートかもしれない』とか思うと、自分が誰かの役に立ててるのかなと思えた」と言うぐらい、ユーザーが自分達の作ったものを楽しそうにプレイするのを見るのが好きだったという。

またゲームで遊ぶユーザーや、ゲームショーで行なわれるライブに集まるユーザーを見ているうちに、「彼らにもっと楽しんでもらいたい」という思いが強くなり、その結果が曲の完成度を上げ、またボーカリスト募集企画や、初の日本語曲となる「ありがとね」へとつながっていった。

ディスコグラフィ[編集]

アルバム[編集]

  1. Good Morning(2004年7月25日、SMSS-001)
  2. REGENERATE(2005年3月6日、MUSE-0102)
    • 「風の丘に寝転んで」:Inter FM『Early Bird』2005年5月度テーマソング
  3. Big Smile(2006年7月14日、SMSS-002)
    • 「West gate」:第1回渋谷音楽祭CMソング
  4. Knock up!(2007年3月4日、SMSS-003)
    • 紙ジャケット仕様盤
  5. Rolling Elbow(2009年12月6日、SMSS-005)
  6. RISING(2011年8月24日、SMSS-006)


バンド名の由来[編集]

結成当時、桜井がDr.Martensのブーツを履いていたことから、桜井の幼馴染であるHandsome JETが命名。メンバーチェンジなどでこれまで何度かバンド名の変更を検討するも、「昔からJETの口癖は『死んだら、みんな自分のことなんか忘れる』だった。名前を変えない限り、あいつのことを忘れることはないから」(桜井)という理由で今も使い続けている。

出演[編集]

ラジオ番組[編集]

  • CMJ JAPAN MUSIC STYLE「Safety Shoesの夕方Good Morning」(Inter FM、2004年11月20日 - 12月25日)
  • NEXTONE「Safety Shoesの真夜中★Good Morning」(Inter FM、2005年1月6日 - 6月30日)

このほかゲスト出演は多数。


外部リンク[編集]