K部隊

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K部隊(Kぶたい 英:Force K)とは、イギリス海軍第二次世界大戦中に編成した任務部隊の一つ。エルヴィン・ロンメル率いるドイツアフリカ軍団を含む北アフリカドイツイタリア軍への補給物資を積んだ船団の妨害をする任を負って、マルタ島近海で作戦した。

K部隊は、1941年10月21日に創設された。これは1941年春季に行われたドイツ軍の北アフリカでの攻勢、ゾネンブルーメ作戦の影響を受けてのことである。連合国軍の潜水艦や航空機は、北アフリカの部隊へ補給物資を送る枢軸国軍の輸送船団に対して、大きな損害を当てることが出来なかった。このため、イギリス首相のウィンストン・チャーチルはK部隊を創設することとした。創設当初のK部隊は、2隻の軽巡洋艦オーロラペネロピ、そしての2隻のL級駆逐艦ランスライヴリーから成っていた。

1941年11月には、K部隊は枢軸国軍の船団を全滅させることに成功し(訳注:デュースブルク船団の戦い)、イタリアに「トリポリは事実上封鎖状態にある」と考えさせるまでになった。その後すぐ、K部隊はマルタに到着したB部隊(軽巡洋艦・エイジャックスネプチューンと2隻のK級駆逐艦から成っていた)が合流したことで増強された。これは非常に効果的で、枢軸国は1941年11月にその補給量の60%にのぼる損害を受けていた。しかし、1941年12月19日、K部隊とB部隊の艦艇は、イタリア軍の船団を追跡するうちに機雷原に入り込んでしまった。機雷の爆発によって巡洋艦1隻(ネプチューン)が沈没、1隻(オーロラ)が損傷した[1]。また駆逐艦1隻(カンダハー)が被害を受けたネプチューンを救援しようとした際に触雷した。損傷したカンダハーは翌日駆逐艦ジャガーによって処分された。

この後、マルタ島への枢軸国軍の空襲が再開されたため、水上艦艇はマルタ島から撤退することとなった。ペネロピのみはマルタ島にとどまったが、これはペネロピが撤退するには損傷を受け過ぎていたからであった。同艦は港内に停泊中繰り返し何度も攻撃を受けたため、「胡椒瓶("HMS Pepperpot")」というあだ名を付けられた。ペネロピも最終的にはマルタ島を去り、この時が、K部隊の活動の終わりとなった。

1942年11月、マルタ島に対して、ペデスタル作戦ストーンエイジ作戦による有力な補給船団からの補給が行われると、K部隊は再建された。ストーンエイジ作戦に参加した艦艇から軽巡洋艦のダイドーユーライアラスと第14駆逐戦隊が分派され、マルタを基地として作戦するようになったのである[2]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ BBC - History - The Siege of Malta in World War Two
  2. ^ Woodman, Richard. Malta Convoys 1940-1943. John Murray. p. 461. ISBN 0-7195-6408-5 

参考文献[編集]

  • Eric Groves : Sea Battles in Close-Up Vol II ( 1993) . ISBN 0 7110 2118 X
  • Stephen Roskill : The War at Sea 1939-1945 Vol I (1954) ISBN (none)