キングストン (駆逐艦)

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艦歴
発注
起工 1937年10月6日
進水 1939年1月9日
就役 1939年9月14日
退役
その後 1942年4月11日に大破
除籍
性能諸元
排水量 1,690トン
全長 357 ft (109 m)
全幅
吃水
機関 ギアード・タービン、2軸推進、40,000HP
最大速 36ノット
乗員 183名
兵装

キングストン (HMS Kingston, F64) はイギリス海軍駆逐艦K級

艦歴[編集]

1937年10月6日起工[1]。1939年1月9日進水[1]。1939年9月14日就役[1]

1940年5月、キングストンは駆逐艦カルトゥームカンダハーキンバリーと共に紅海に配備されることになり、5月24日にアレクサンドリアを離れて5月28日にアデンに着いた[2]。キングストン、カンダハー、カルトゥームとスループショアハムは6月21日にイタリア潜水艦エヴァンジェリスタ・トリチェリを攻撃し損傷させる[3]。この4隻は6月23日に再びエヴァンジェリスタ・トリチェリを攻撃し撃沈した[4]。6月26日、キングストンはイタリア潜水艦ペルラを攻撃[5]。ペルラは後日座礁しているのが発見された。

1940年9月6日に潜水艦にギリシャの貨物船アトラス (Atlas) が撃沈されると、キングストンはその生存者を救助した[6]。10月20、21日夜、BN7船団がイタリアの駆逐艦に攻撃され、イタリア駆逐艦を追撃したキンバリーが砲台からの砲撃で損傷した。キンバリーは最初軽巡洋艦リアンダーに曳航され、途中からキングストンがそれを引き継いでポートスーダンへ向かった[7]。12月4日、キングストンは反乱がおきた灯台の鎮圧を行った[8]。キングストンは1941年1月3日に修理のためボンベイへ向かい、1月27日に修理から戻った[8]。2月3日、キングストンなどが護衛していたBN14船団がイタリア駆逐艦の攻撃を受けたが、発射された魚雷はすべて外れた[9]。3月、ベルベラ奪回作戦(アピアランス作戦)に参加[10]マッサワの陥落直前の4月2日にイタリアの駆逐艦がマッサワから出撃したが、空襲により沈没艦を出し、残りの駆逐艦パンテラティグレアラビア半島沿岸で自沈した。キングストンはその場に行き、パンテラを沈めた[11]。紅海からイタリア海軍の脅威が無くなったことにより、キングストン、キンバリー、カンダハーは地中海艦隊へ移ることになり、キングストンは4月17日にアレクサンドリアへ到着した[11]

1942年3月、キングストンはアレクサンドリアからマルタMW10船団を送るMG1作戦に参加した[12]。船団は3月20日に出航し、船団攻撃を試みたイタリア艦隊との間で3月22日に第2次シルテ湾海戦が発生。この海戦でキングストンは15インチ砲弾の直撃を受けて損傷した[13]。キングストンはマルタへ送られて3月23日に到着し、ドックに入った[14]。修理中のキングストンは爆撃を受けて4月5日には直撃弾1発を複数の至近弾を、4月9日にも直撃弾1発を受けた[15]。ただ、4月9日のものは不発であった[15]。4月11日にキングストンは再び直撃弾を受けて損傷し、全損とされた[15]

脚注[編集]

  1. ^ a b c The Kelly's, p.216
  2. ^ The Kelly's, p.105
  3. ^ The Kelly's, p.106,ただし、この本では潜水艦の艦名はLuigi Tricelliとなっている
  4. ^ The Kelly's, p.106
  5. ^ The Kelly's, p.107
  6. ^ The Kelly's, p.108
  7. ^ The Royal New Zealand Navy, p.91
  8. ^ a b The Kelly's, p.109
  9. ^ Struggle for the Middle Sea, p.106
  10. ^ The Kelly's, p.110
  11. ^ a b The Kelly's, p.111
  12. ^ The Kelly's, p.139
  13. ^ The Kelly's, p.140
  14. ^ The Kelly's, pp.140-141
  15. ^ a b c The Kelly's, p.142

参考文献[編集]

外部リンク[編集]