歯学
歯学(しがく、英: dentistry)は、口腔顎顔面領域に関する外傷や疾患の性状、原因についての知識を蓄積、その予防、診断、治療の方法を開発する学問である。歯科学・歯科医学(しかがく・しかいがく、英: dental medicine)とも呼ばれる。
日本においては、明治時代に医学より独立しているが、それまでは口中科として医学の一分科であった。口腔科医師として口腔医学(こうくういがく、英: oral medicine)や医学(口腔科学・こうくうかがく)に包括されている国も中国・台湾や欧米諸国など存在する。
歴史
古代
古代においては、医学同様、歯学についても、各文明においてそれぞれに発達した。
古代エジプトにおいて、エーベルス・パピルスやエドウィン・スミス・パピルスには、それぞれ歯痛や歯肉炎についての薬物治療法、顎関節脱臼に対する治療法が記載として残されている[1]。
メソポタミア文明や、中国文明においては、虫歯の原因は虫であるという概念が広まった[1]。
インドではスシュルタ本典(英語: Sushruta Samhita)において、口腔清掃の必要性、歯ブラシや歯磨剤、歯石除去について記載されている[2]。
古代ギリシアでは、ヒポクラテス全集に、幾つかの歯科疾患に関する記載のほか、長寿の人ほど歯の残存歯数が多い事がすでに記載されていたが、治療法は抜歯や焼灼などであった[1]。
ローマ帝国においては、ケルルスがう蝕の治療法として、歯の黒い部分をこすり落とすことが必要であることや、矯正歯科についての記載を行ったほか、ガレノス全集には歯の解剖や髄腔穿通法、歯の漂白に関する記載もされていた[1]。
中国では歯学の扱いは安定していなかった。殷において、医学の1分科とされた歯科口腔領域は周、春秋戦国時代では内科の中の消化器科の一分野とされ、秦漢にて再び独立した扱いとなった[3]。杉本は、中国では歯科疾患は一部の王侯貴族の病気であり庶民の歯科疾患は少ないことから、疾病としての認識が少なく、そのために歯科疾患に用いられる漢字にも疒が用いられなかった と報告している[3]。
中世
この時期、歯学を含めた医学分野は東ヨーロッパ、イスラム世界において発達した[4]。この時期の医学書には虫歯により空いた穴に乳香とミョウバンを混ぜたセメントを詰めることや歯の清掃、歯石除去、歯の再植術、歯の欠損部位にウシの骨で作った人工歯を入れる等の治療方が記載されていたが、モンゴルの侵入や内部崩壊などの結果、発達は止まることとなる[4]。
ヨーロッパでは、16世紀に至るまで千年以上に渡り、ヒポクラテス医学、ガレノス医学、アビセンナ医学を信奉する各学派が絶対的権威として君臨しており[5]、停滞が続いていた。ルネサンスの影響により医学も近代化が進む事となるが[5]、歯学の近代化は18世紀、ピエール・フォシャールの登場を待つことになる。
ピエール・フォシャール以降
ピエール・フォシャールが1728年に出版した歯科外科医、もしくは歯の概論は歯学の分野における最初の包括的な医書である[6]。この書により、門外不出の秘術を売り物としていた歯学を公にし、誰もが学べる学問とした[7][8]。これ以降、多くの高名な医師、歯科医師がその診断・治療などを公開するようになり、歯学を大きく発達させることとなる[8]。19世紀に入ると、フランス革命の混乱やアメリカ合衆国の発展から有能な歯科医師のアメリカへの移住が進み、歯学の中心はアメリカへと移り変わった[8]。その流れの中、1840年にボルチモアに世界で最初の歯学教育機関であるボルチモア歯科医学校が、1841年にはアメリカ歯科医師会が設立された[9]。これ以降、ボルチモア歯科医学校を始めとする歯学教育機関により歯学は学問として体系化され、各分科の基礎が作られることとなった[9]。
歯学教育
ジョン・ハリスは、オハイオ州ロス郡のベインブリッジに世界で最初の歯科の学校を設立、健康の専門としての歯学教育を確立させた。これは1828年2月21日に開かれ、現在はハリス歯科博物館(英語: Harris Dental Museum)となっている[10]。最初の歯科医学校(dental college)であるボルチモア歯科医学校は1840年に設立された[9]。
歯学教育は国によって異なり、学部を卒業した者が進学する専門職大学院の方式を取る国と、学部教育で歯科医学教育を行う国がある。
卒業した国[11]や、同じ国でも卒業した大学により[12]、同じ症状でも異なった判断をすることが有る。例えば、イスラエルの歯学教育機関にて教育を受けた歯科医師は、南米や東ヨーロッパの歯学教育機関にて教育を受けた歯科医師よりも第三大臼歯を積極的に抜歯する事が報告されている[13]。
分科
基礎歯学
口腔顎顔面領域の学問であるため名称に『口腔』と付いてはいるが、実際には『解剖学』と『口腔解剖学』、『生理学』と『口腔生理学』……のように口腔と同時に全身を網羅した学習を行っている。 解剖学においては、ご遺体の全身を実際に解剖して修学することが歯科医学(口腔医学)を修めるために必須となっている。人体を取り扱う学問である以上、人体の構造・機能、疾患とその原因など医学研究の根拠となる知見を得るための学問分野である基礎医学と、ほぼ一致する。
臨床歯学
外科系歯学
保存治療系歯学
- 保存修復学 8世紀にはう蝕による欠損に対する修復が行われていたが、学問として体裁を整えはじめたのは、19世紀末にグリーン・バーディマン・ブラックが体系化してからである[14]。
- 歯内療法学
歯周治療系歯学
補綴系
矯正歯学
小児歯学
社会歯科学
関連する分野
関連する人物
- アルフレッド・ギージー:歯科補綴学
- アール・パウンド:総義歯の人工歯排列法(リンガライズドオクルージョン等)の提唱
- エドワード・アングル:歯科矯正学
- グリーン・バーディマン・ブラック:G.V.ブラックの窩洞分類
- ジョージ・スノー:顔弓の発明
- ジョージ・モンソン:モンソンの球面学説
- ハーベイ・スタラード:ナソロジー
- ビバリー・マッカラム:ナソロジーの創始者
- フェルディナント・グラフ・スピー:スピーの彎曲
- ルドルフ・ハノー:咬合の5要素
脚注
- ^ a b c d 石井ら (2011) pp.2-7 (古代の歯科医学史)
- ^ 松田ら (2012)
- ^ a b 杉本 (1978)
- ^ a b 石井ら (2011) pp.8-13 (中世の歯科医学史)
- ^ a b 中原 (1996) pp.1-3 (近代医学の始まり(16世紀))
- ^ ワインバーガー (1941) p.56
- ^ 中原 (1996) pp.27-36 (近代歯科医学の祖 フォシャール)
- ^ a b c 石井ら (2011) pp.26-33 (フォシャールとアメリカの歯科)
- ^ a b c 中原 (1996) pp.105-108 (歯科医学の分科の始まり(19-20世紀))
- ^ Owen, Lorrie K., ed. Dictionary of Ohio Historic Places. Vol. 2. St. Clair Shores: Somerset, 1999, 1217–1218.
- ^ Zadik Yehuda; Levin Liran (January 2008). “Clinical decision making in restorative dentistry, endodontics, and antibiotic prescription”. J Dent Educ 72 (1): 81–6. PMID 18172239.
- ^ Zadik Yehuda; Levin Liran (April 2006). “Decision making of Hebrew University and Tel Aviv University Dental Schools graduates in every day dentistry—is there a difference?”. J Isr Dent Assoc 23 (2): 19–23. PMID 16886872.
- ^ Zadik Yehuda; Levin Liran (April 2007). “Decision making of Israeli, East European, and South American dental school graduates in third molar surgery: is there a difference?”. J Oral Maxillofac Surg 65 (4): 658–62. doi:10.1016/j.joms.2006.09.002. PMID 17368360 2008年7月16日閲覧。.
- ^ 平井ら(2008) pp.2-3
- ^ 前田ら (2013) p.1
参考文献
- 石井拓男、渋谷鉱、西巻明彦『スタンダード歯科医学史』(第1版第2刷)学建書院、東京都文京区、2011年10月10日。ISBN 978-4-7624-0671-3。 NCID BB14010579。
- 杉本茂春「中国古代の歯科疾病と疾病観 : 歯科病名歴程補遺」『日本歯科医史学会会誌』第6巻第2号、日本歯科医史学会、1978年12月25日、44頁、ISSN 0287-2919、NAID 110007155159。
- 中原泉『歯科医学史の顔』学建書院、東京都文京区、2015年11月15日。ISBN 9784762405655。 NCID BA33705592。
- 平井義人、寺中敏夫、寺下正道、千田彰 編『保存修復学』(第5版第2刷)医歯薬出版、東京都文京区、2008年5月25日。ISBN 978-4-263-45606-4。NCID BA81788568。
- 前田隆秀、朝田芳信、尾崎正雄、田中光郎、福田理、宮沢裕夫、渡部茂『小児の口腔科学』(第3版)学建書院、東京都文京区、2013年3月20日。ISBN 978-4-7624-2646-9。 NCID BB12053898。
- 松田裕子、佐野高子 著「歯ブラシの歴史:古代」、松田裕子 編『歯ブラシ事典』(第6版)学建書院、東京都文京区、2012年2月1日、10-11頁。ISBN 978-4-7624-3630-7。 NCID BB07941879。
- ベルンワード・W・ワインバーガー『概説 ピエール・フォシャール 歯科外科医 近代歯科医学の端緒、最初の歯科医学書および200年前の歯科医に関する論述』訳 高山直秀、時空出版、東京都文京区、2015年11月15日(原著1941年)。ISBN 978-4-88267-062-9。 NCID BB20208297。