プラエトル

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古代ローマ

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プラエトルラテン語: Praetor)は、古代ローマ政務官職の一つ。日本語では法務官と訳される。共和政ローマではコンスルに次ぐ公職で、インペリウムを保有し、主に司法を担当した。

概要

その成立については諸説あるが、ローマ社会を統率する者が「コンスル」と呼ばれる以前の呼称として「プラエトル」が使われていたといわれる[1]。共和政初期には、プラエトルは軍事的な司令官の意味合いが強かった。また、階級闘争の過程で公職が開放される中で、コンスルがプレブスにも開放されたのに対して、紀元前337年クィントゥス・プブリリウス・ピロが選出されるまではプラエトルに就任できたのはパトリキ(貴族)のみであった。紀元前305年に、それまでプラエトルがこなした業務はコンスルが行うようになり、プラエトルはインペリウムを保持しつつコンスルに次ぐ公職となった。

当初は1名であったが、紀元前244年以降増員され、ローマ市民権を保有するローマ市民に関する司法を担当する首都プラエトル(プラエトル・ウルバヌス)と、ローマに滞在する外国人の司法を担当する外国人係プラエトル(プラエトル・ペレグリヌス)の2名が首都に配置されるようになった。紀元前228年には4名に増員され(シチリア・サルディーニャ担当増員)、紀元前198年には6名(ヒスパニア担当増員)と、ローマが属州を獲得するたびに増員され、首都の2名以外はインペリウム保有者として属州総督の任にあたった。

ルキウス・コルネリウス・スッラがローマを掌握して改革を実施した際、プラエトルを8人に増員、性質も変化し、全員が首都に置かれて司法を担当することとなった。

参考文献

  1. ^ p4, Nicholas, Barry著、「An Introduction to Roman Law」(1975年、Oxford University Press) ISBN 0-19-876063-9
  • 長谷川岳男・樋脇博敏『古代ローマを知る事典』東京堂出版東京堂出版〉、2004年10月。ISBN 4-490-10648-3