槇徳子
槇 徳子(まき のりこ、1964年[1]8月17日 - )はPRコンサルタント[2]。株式会社エムシーストラテジー代表取締役[3]、アジア女性経済会議 (AWEC) 代表・実行委員長も務めた[4]。国立研究開発法人産業技術総合研究所 (AIST) 客員研究員[2]。
略歴
名古屋市出身。愛知県立旭丘高等学校[5]、慶應義塾大学文学部英米文学科[3] を卒業後、1988年4月に中部日本放送 (CBC) にアナウンサーとして入社。同期のアナウンサーに遠藤雅也、大園康志、加藤美紀、杉浦憲子がいる。
1991年4月にテレビ東京 (TX) へ移籍し、同局パーソナリティ室(後にアナウンス室と名称変更。2004年7月の組織改編で編成局アナウンス部となる)専属のアナウンサーとなる。また母校の慶應義塾大学に学士入学し、1995年[1] に法学部政治学科[3] を卒業。そして同年、テレビ東京の社員アナウンサーとなる。
2004年、テレビ東京の金融市場情報番組を管轄する報道局経済ニュースセンターへ異動。異動後も『NEWS MARKET 11』や『株式ワイドクロージングベル』に出演し、後に副参事。
2007年12月にテレビ東京を退職した後は、アジアなどの経済新興国を中心に経済・金融動向や海外の起業家を取材したり、広報・IR戦略コンサルタントに携わったりしている[6]。
また日経BPの『日経マネー』や日本経済新聞社の『日経ヴェリタス オンライン』でも、新興国での取材コラム『世界の投資家さん』『市場TO市場』を1年半にわたって連載[4]。
アジア女性経済会議を企画、2009年11月10日に横浜市で行われた第1回会議と、2010年9月22日にマンダリン・オリエンタル東京で行われた第2回会議の実行委員長を務める。また2010年9月には、アジア太平洋経済協力 (APEC) の非公式会合である女性リーダーズネットワーク (WLN) でアジア女性経済会議が分科会を担当し、槇はモデレーター(パネルディスカッションなどの司会者)も担当。
アナウンサー時代の担当番組
中部日本放送
テレビ
- CBCニュースワイド(1989年 - 1991年) - サブキャスター
- カラッとカラオケ
- ニュース24 - アシスタント
- CBC開局40周年記念特番(1991年) - 司会
- 新春中部財界人サロン(年始に放送される新春特番) - 司会
ラジオ
- 土曜の夜は私が主役(1988年10月15日 - ) - 当時CBCが世界デザイン博覧会場内で運営していた期間限定のFM局・FM DEPOで放送。
- 0時半です松坂屋ですカトレヤミュージックです
テレビ東京
- TXNニュース THIS EVENING(1991年 - 1993年、1995年 - 1997年) - キャスター
- 株式ニュース(1992年 - 1995年) - キャスター
- ワールドビジネスサテライト(1992年、1998年) - リリーフキャスター
- TXNニュースワイド11(1993年 - 1995年) - キャスター
- 東京マーケットフォーカス(1995年 - 1997年)
- 情報レストラン(1996年 - 1997年)
- TXNニュースワイド 夕方いちばん(1997年、1998年) - 週末メインキャスター・ディレクター
- ニュースモーニングサテライト(1998年 - 2004年) - メインキャスター
- NEWS MARKET 11(2004年 - 2007年) - メインキャスター
- 株式ワイドクロージングベル(2004年 - 2007年) - メインキャスター
脚注
- ^ a b “槇徳子さん - 広報ウーマンネット”. 広報ウーマンネット (2009年). 2018年9月14日閲覧。
- ^ a b “SIP/DMCT「メンバー紹介」”. 産業技術総合研究所. 2018年9月14日閲覧。
- ^ a b c “エムシーストラテジー ホームページ”. エムシーストラテジー. 2018年9月14日閲覧。
- ^ a b “AWEC - アジア女性経済会議 - ご挨拶”. アジア女性経済会議 (2009年). 2018年9月14日閲覧。
- ^ 東京鯱光会総会実行幹事団 [@Kokousoukai2014] (2014年6月9日). "槇さんは旭丘35期。慶應義塾大学卒業後、CBCを経てテレビ東京に移り、 「モーニングサテライト」などのキャスターを務めたバリバリの女子アナです!". X(旧Twitter)より2018年9月14日閲覧。
- ^ 「毎日新聞」東京本社管内 2009年10月21日付朝刊 p.20「企画特集」記事より
外部リンク
- エムシーストラテジー ホームページ
- 槇徳子さん - 広報ウーマンネット - 槇へのインタビューを掲載。