茅ヶ崎貝塚
座標: 北緯35度32分36.9秒 東経139度35分00.4秒 / 北緯35.543583度 東経139.583444度
茅ヶ崎貝塚(ちがさきかいづか)は、神奈川県横浜市都筑区茅ケ崎東(調査当時は港北区茅ヶ崎町)に所在する縄文時代前期~中期の貝塚・環状集落と、古墳時代(4世紀)・古代(奈良・平安時代)の集落を含む複合遺跡。港北ニュータウン遺跡群の1つとして発掘調査された[1][2][3]。
概要
鶴見川の支流・早渕川の低地に向けて北東方向に突き出した、標高35メートル程の台地上に所在する。縄文時代貝塚の貝層は、台地から下る北側斜面と西側斜面に分布している。1965年(昭和40年)から始められた港北ニュータウン開発に伴う埋蔵文化財調査に伴い[4]、1987年(昭和62年)8月5日から1988年(昭和63年)7月15日にかけて発掘調査された(港北ニュータウン遺跡群調査)[1]。
調査の結果、台地上面で、縄文時代前期(黒浜式期)から中期(五領ヶ台式期)にかけての竪穴建物27軒(黒浜式期5軒、黒浜~諸磯a式期4軒、諸磯b式期7軒、十三菩提式期2軒、五領ヶ台式期2軒、不明4軒)、土坑墓85基、貯蔵穴3基、土坑内貝層1基が検出され、台地斜面では貝層2か所(北斜面貝層・西斜面貝層)が検出された[1]。このほか、古墳時代中期の竪穴建物1軒、奈良・平安時代の竪穴建物1軒(竈のみ)が検出された。台地上の集落遺跡は破壊が激しく実態を十分とらえきれなかったが、前期中葉にこの地域に発達した環状集落の1つであり[5]、中央広場に土坑墓群が形成されていることが確認された[1]。
調査後、台地上は住宅地とマンションに造成されたが、調査概報では予備調査のみ行われた台地西側斜面の貝層は緑地として保存する予定としており[1]、現在「せきれいのみち」と呼ばれている谷戸の緑道内に現存しているとみられる[3]。
脚注
- ^ a b c d e 横浜市埋蔵文化財センター 1990, pp. 130–131.
- ^ 横浜市教育委員会生涯学習部文化財課|2004.
- ^ a b 横浜市教育委員会. “横浜市行政地図情報提供システム文化財ハマSite”. 横浜市. 2022年5月16日閲覧。
- ^ 埋蔵文化財センター 2006, pp. 1–2.
- ^ 谷口 2005, p. 9.
参考文献
- 横浜市埋蔵文化財センター「茅ヶ崎貝塚」『全遺跡調査概要』公益財団法人横浜市ふるさと歴史財団〈港北ニュータウン地域内埋蔵文化財調査報告10〉、1990年3月、130-131頁。 NCID BN05701176。
- 横浜市教育委員会生涯学習部文化財課『横浜市文化財地図』横浜市教育委員会、2004年3月。 NCID BB23262051。
- 谷口, 康浩『環状集落と縄文社会構造』学生社、2005年3月25日。ISBN 4-311-30062-X。 NCID BA71509293。
- 埋蔵文化財センター「港北ニュータウン遺跡群のかたるもの」『埋文よこはま』第14巻、公益財団法人横浜市ふるさと歴史財団埋蔵文化財センター、2006年9月1日、NCID AA12346416。
関連項目
外部リンク
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