米津政賢
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米津 政賢(よねきつ まさただ、1883年(明治16年)3月8日[1] - 1941年(昭和16年)8月19日[1][2])は、明治から昭和期の技術者、政治家、華族。貴族院子爵議員。位階および勲等は正三位・勲二等。
経歴
[編集]旧長瀞藩主・米津政敏の長男として生まれる[1][3][4]。父の死去に伴い、1895年(明治28年)11月22日、子爵を襲爵した[3][4][5]。
学習院中等科、第六高等学校を経て[3]、1908年(明治28年)7月、東京帝国大学農科大学を卒業[2][3][4]。同年、農商務省嘱託となる[2]。以後、農商務省種畜牧場嘱託、農林省嘱託、同畜産試験場嘱託、畜産博覧会審査官、第2回神奈川県有畜農業経営共進会審査長などを務めた[2][4]。
1915年(大正4年)6月12日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[6][7]、研究会に所属して活動し[2]、死去するまで5期在任した[2][4]。
栄典
[編集]親族
[編集]- 妻:益子(ますこ、戸沢正実三女、1911年5月結婚)[1][3]
- 長男:政福(子爵)1912年 - 1979年[1]
- 姉:鉄子(松平直敬夫人〔離縁〕、河村隆実夫人)[1]
- 叔父:酒井忠利(父の弟、海軍少将)
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
- 杉謙二編『華族畫報 上』吉川弘文館、2011年(華族画報社大正2年刊の複製)。
日本の爵位 | ||
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先代 米津政敏 |
子爵 (長瀞)米津家初代 1895年 - 1941年 |
次代 米津政福 |