船後正道
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船後正道(ふなご まさみち、1921年1月25日 - 2013年9月3日)は日本の大蔵官僚。経済企画庁長官官房長、環境庁企画調整局長、環境事務次官、日本環境協会理事長、中小企業金融公庫副総裁、同公庫総裁、全国労働金庫協会理事長などを歴任。
来歴
奈良県出身。東京帝国大学法学部政治学科卒業[1]。東京帝大法学部政治学科在学中に高等試験行政科を合格[1]。1943年9月 大蔵省入省。資金局属[1]。1946年2月 富山税務署長。1961年7月1日 主計局主計官兼主計局総務課(企画担当)。1962年6月1日 主計局主計官(厚生・労働担当)。1965年6月28日 主計局総務課長。1966年7月22日 近畿財務局長。1967年8月18日 主計局次長(末席)。1969年8月15日 主計局次長(筆頭)。1970年6月12日 経済企画庁長官官房長。1971年7月1日 環境庁企画調整局長。1973年7月27日 環境事務次官。1975年7月8日 退官。1977年3月 日本環境協会理事長[2]。1978年9月 中小企業金融公庫副総裁[2]。同年12月 同公庫総裁(〜1982年11月)[2]。1983年5月 全国労働金庫協会理事長[2]。1993年5月 同協会特別顧問[2]。1995年5月 同相談役(〜1997年5月)[2]。2013年9月3日 肺炎のため死去[3]。
略歴
- 1943年9月:大蔵省入省。資金局属[1]。
- 1943年9月:辞職。
- 1943年9月:海軍主計尉官・海軍経理学校付。
- 1944年1月:海軍経理学校補修学生。
- 1944年3月:海軍主計中尉。
- 1944年7月:横須賀鎮守府付・海軍省大臣官房調査課派遣勤務。
- 1945年3月:海軍主計大尉。
- 1945年3月:海軍省軍需局糧食生産班。
- 1945年11月:予備役。
- 1945年12月:主税局。
- 1946年2月:富山税務署長。
- 1947年12月20日:大阪財務局。
- 1948年8月:大阪財務局総務部総務課長。
- 1948年12月:主税局。
- 1949年6月1日:国税庁総務部人事課員。
- 1950年6月:国税庁総務部人事課長補佐。
- 1952年4月1日:大臣官房。
- 1952年8月16日:主計局主計官補佐(保安係主査)。
- 1954年5月8日:主計局主計官補佐(保安係主査) 兼 総理府内閣総理大臣官房調査室。
- 1954年6月1日:主計局主計官補佐(保安係主査) 兼 総理府内閣総理大臣官房調査室調査官。
- 1955年9月1日:人事院事務局給与局給与第二課長。
- 1957年7月1日:主計局主計官(防衛担当)。
- 1959年8月1日:主計局給与課長。
- 1961年7月1日:主計局主計官 兼 主計局総務課(企画担当)。
- 1962年6月1日:主計局主計官(厚生・労働担当)。
- 1965年6月28日:主計局総務課長。
- 1966年7月22日:近畿財務局長。
- 1967年8月18日:主計局次長(末席)(厚生・労働担当)[4]。
- 1969年8月15日:主計局次長(筆頭)(厚生・労働担当)[4]。
- 1970年6月12日:経済企画庁長官官房長。
- 1971年7月1日:環境庁企画調整局長。
- 1973年7月27日:環境事務次官。
- 1975年7月8日:退官。